5-19 救出



 姮娥こうがの邸に辿り着いたふたりは、すでに開かれている門を見上げてそのまま石段を駆け上がった。


 まるで誰かが来るのを解っていて、開かれていたその門の先に広がる光景に、朎明りょうめいは膝から崩れ落ちそうになるのを堪える。


 邸が燃えていた。まだ大きな炎は出ていないが、煙が所々に立ち込めていた。竜虎りゅうこは辺りを見回し、井戸を見つけると、腕がりそうになるのを我慢しながら、全力で水を汲み上げる。


 桶に入った水を頭からかぶって、もう一度井戸に投げ入れる。そして同じように汲み上げて、朎明りょうめいの前に突き出した。


「今の状態なら、まだなんとかなる!」


 うん、と頷き、朎明りょうめいは水の入った桶を受け取ると、頭から勢いよく冷たい水をかぶった。滴る水が頬をつたう。

 

 そこには何かを決意したような眼差しがあり、竜虎りゅうこはよし、と邸の方に視線を移す。


「まずは宗主を捜そう! 運が良ければ、妹君も一緒にいるかも!」


「ああ、行こう! たぶん、予想が正しければ地下牢だろう」


 その前に、と朎明りょうめいは井戸に手を翳す。すると、白色の光を帯びた陣が、翳した手の平の先に現れる。


 途端、地面から地響きが鳴り、足元がぐらついた。竜虎りゅうこはその原因を目の当たりにする。


姮娥こうがの一族の直系の力は、重力を操る能力。この力は、姉妹の中で私だけが受け継いだものだ」


 地響きの正体は、井戸の中の水が上に上がって来る音だった。それは竜虎りゅうこの目の前で水柱となり、天へと舞い上がる。井戸の水を汲むための滑車が、屋根ごとその水の勢いで吹き飛ばされた。


「この水で火を消し止める」


 朎明りょうめいは陣を手の平に宿したまま、邸の方へと向ける。水柱は渦を巻いたまま闇空に向かって伸び、邸の上空で薄く広がった後、バシャッと大きな音を立てて上から降って来た。


 それはまるで土砂降りのように大きな雨粒となり、地面に向かって降り注ぐ。


 集中豪雨のように落ちて来た水は、すでに水浸しになっていた竜虎りゅうこたちをさらに濡らした。


(すごいな……これが、姮娥こうがの力)


 思わず感心していたが、そこに朎明りょうめいが間髪入れずにその手を取った。


「行こう! 火はこれでなんとかなった。後は母上たちを救い出すだけだ」


「ああ、君もどうやら冷静になれたみたいだ。今なら大丈夫そうだな」


 竜虎りゅうこは真っすぐに朎明りょうめいを見つめる。お互い水浸しで、今も井戸の水は空から降り注いでいたが、彼女ならもう大丈夫だと確信できた。まだ黒い煙が残る邸の中へと足を踏み入れる。


 地下牢は邸の奥にある階段の下だ。


 その途中に邸を警護していた術士たちが倒れており、見つける度に生死の確認をする。皆、なんとか息はあるようだったので、そのまま先へと進む。


 無残に焼け焦げた柱と、火が消されたことによって立ち込める煙、そしてそのきな臭い香りが辺りに残っている。


(けど、なんであのひとはここまでするんだ?)


 そもそもの原因はなんなのか。


 朎明りょうめいが言うには、奉納祭の夜から彼女はおかしくなったらしい。戻って来ない彼女を捜しに、皆、近くを捜し回っていたのだそうだ。


 どこを捜しても見つからず、一度戻ろうということになり邸に戻ったら、彼女はすでに戻って来ていたのだと。しかし、彼女は朎明りょうめいや宗主を見るなり目の色を変え、ひとりにして欲しいと部屋に籠ってしまったのだ。


 もし烏哭うこくが接触していたとしたら、あの夜、蘭明らんめいが姿を晦ましていた数刻の間。


 あの四天のひとり、上天じょうてんになにかされたとしか思えない。けれど、そうだとしても、こんなことは赦されないことだ。


 地下牢の扉を開く。薄暗い中、手探りで壁をつたい、ふたりは唯一灯のある場所を見つける。結界牢に阻まれた先に、ふたつの影があった。


「……朎明りょうめい姉様?」


椿明ちゅんめいなのか!? 母上も無事ですかっ」


 宗主である薊明けいめいはやつれた顔で椿明ちゅんめいに抱きかかえられていた。結界牢は所々綻びがあったが、内側からはどうにもならなかったようだ。


「待つんだ。結界牢には触れない方がいい。俺が消すから、少し待ってくれ」


 竜虎りゅうこは今の霊力を考えると、結界牢を消した後、自分に残された霊力は本当に僅かになることを確信する。次に必要とされた時には使えないだろう。


無明むみょう……お前のことは、師匠に任せていいんだよな?)


 あの様子だと、自力でなんとかできる状況ではないだろう。傀儡のように瞳に光はなかった。きっと、意識もないまま操られている可能性が高い。


 宝具の効果であることは聞いたが、無明むみょうなら、なにか糸口を残しているはず。


 竜虎りゅうこはパンと両手を合わせ、それから結界牢に向けて手を翳した。


 一瞬にして結界牢の壁は消え、朎明りょうめいが駆け寄る。三人は抱き合い、お互いを慰め合っていた。


 そして、椿明ちゅんめいの眼にある決意の色が浮かんでいたことを、この時の竜虎りゅうこは気付いていなかった。


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