5-18 笑みを浮かべる者



 気が焦って、思わず朎明りょうめいは訊ねてしまう。それが、どう考えても上天じょうてんの誘導だと解っていながらも抗えなかった。


「……あの子って、まさか、姉上のことを言っているのか?」


 竜虎りゅうこの忠告などもはや意味を持たない。陣はあと少しで完成する。集中しないといけないのに、朎明りょうめい上天じょうてんの言葉に囚われてしまっていた。


「けれども、役には立ったわ」


 口の端を上げて、上天じょうてんは皮肉っぽく笑う。すべては、こちらの、あの者の思惑通りに。それが気に食わない気持ちもある。しかし、四天の願いはひとつ。自分たちの王を呼び覚ますこと。


 そのためには神子みこが必要。四神と契約をし、真の力を得た神子みこのその身が。そう、あの邪神は言っていた。真意は関係なく、可能性があればそれをする以外ない。


「でも残念。あの子はそれ以上の役には立てないから、処分するしかないわね」


「だから……何を言っているんだっ!」


 物静かな朎明りょうめいが声を荒立てる。怒りで掠れた声は、その表情も相まって鬼気迫るものがあった。


(よし、完成した!)


 竜虎りゅうこは最後の印を組み、勢いよく地面に手をついた。その瞬間、地面に暁色の太陽のように光る陣が、広範囲に渡って衝撃波の如くどんどん広がっていく。それはあの赤黒い光の陣を掻き消し、その先にいる民たちを呑み込んでいく。


 視界は目が眩むほどの強い光で真っ白になり、その場にいた者たちの視界が戻るまでの間、深い闇夜が真昼のように明るくなったのだった。



****



 役目を終えた光が消え、闇が再び訪れた頃。


 戻って来た視界の先に、ただひとつの影がゆらりと現れる。それは先ほどまで目の前にいた上天じょうてんでも、特級の妖鬼でもなかった。竜虎りゅうこは少しずつ近づいて来るその影を見つけて、目を凝らす。


 折り重なるように地面に倒れている大勢の民たちの中、ひとり立ち尽くす真白い衣裳に身を包んだその者の瞳は、虚ろ。しかしその表情は、無邪気な笑みを浮かべていた。紛れもなく、彼は、自分の良く知る者だった。


「……無明むみょう?」


 人形のように飾られたそれは、あの日、奉納舞を舞った姿に似て。


 再び訪れた青白い月明かりが、ぼんやりとその姿を照らし出す。


「姉上……まさか、蠱惑こわく香を人に使ったのか?」


「どういうことだ?蠱惑こわく香って?」


「蠱惑香は、妖者を一時的に操り、同士討ちさせる宝具。本来、人に使うことはない」


 朎明りょうめいの頬に汗がつたう。まさか、本当に、あの蘭明らんめいがこの事態を引き起こしたというのか。しかも烏哭うこくの力を借りてまで。


「二手に分かれよう」


 え?とふたりは白笶びゃくやの突然の提案に耳を疑う。


「宗主たちが危険かもしれない。君たちは先にそちらを、」


 有無を言わせないその表情に、ふたりは戸惑う。しかし、迷っている場合ではなかった。蘭明らんめいの姿はここにはない。もし、自分たち全員を殺すつもりでいるのなら、尚更だ。


「行け」


 それを合図に、ふたりは反対方向へと走る。竜虎りゅうこは陣を発動したばかりで、すぐには戦力にはならないと思い知る。それくらい、身体が言う事を聞かなかった。もちろん全力で走っているが、朎明りょうめいがどんどん先へと行ってしまう。


 そんなふたりの横を強い風が通り過ぎた。なんだ? と思わず瞼を半分閉じる。それは後ろにいるだろう、白笶びゃくやたちの方へと向かって吹いているようにも思えたが、そのまま振り向かずに走り抜ける。


 角を曲がり、駆け抜けたそのずっと先に、煙が見えた。朎明りょうめいの足が止まる。あの煙は、明らかに姮娥こうがの邸の方向から上がっている。


「行こう! 急がないとっ」


「……ああ、そう、だな」


 手を取り、引きずるようにして竜虎りゅうこは走る。朎明りょうめいは動揺を隠せていないが、とにかく足を動かすしかなかった。


 よろめきながら走る少女を気遣う余裕は、竜虎りゅうこにはなかった。

 


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