5-8 痴れ者を演じる理由



 蘭明らんめいのその意図が解らず、竜虎りゅうこは思わず訊ねる。


「失礼を承知でお尋ねします。どうしてこのふたりは良いのですか? 蘭明らんめい殿もご存じの通り、この者は金虎きんこの第四公子。ご迷惑をおかけするのは目に見えております」


 あらあら、と蘭明らんめいはおっとりとした口調で小さく笑う。右頬に手を当て、小首を傾げて見せた。


「ええ、ですから、ある意味安全なのです。失礼ですが、そこの白笶びゃくや兄様は立っているだけで女子おなごの目に毒ですし、竜虎りゅうこ殿もわたくしたちの間では秀外恵中しゅうがいけいちゅうで有名なお方。おふたりには宿を手配致しますので、宗主の許可が下りるまではどうかそのように、」


 有無を言わせぬその口調は、やんわりとしているのにどこか強制的だった。


「あははっ! 白笶びゃくや竜虎りゅうこも残念だねっ」


 そんな中、無明むみょうがくるりと回って蘭明らんめい竜虎りゅうこたちの間に躍り出る。


 いたずらっぽく人差し指を口元に当てて、白笶びゃくやに向けてなにか合図を送っているようだった。


 それに気付いていたのは竜虎りゅうこ白笶びゃくやだけで、清婉せいえんはひとり慌てていた。


(また無明むみょう様がおかしくなってるっ!?)


 久しぶりの痴れ者状態に、目の前の宗主代理と名乗る人当たりの良さそうなお嬢さまの様子を窺う。


 にこにことその姿を眺めているようだったので、清婉せいえんはほっと安堵する。


「お姉さん、俺、お腹すいちゃった!」


「ふふ。ちょうど夕餉を用意していたので、一緒にいただきましょう」


 無明むみょうは三段ほどの石段を駆け上がり、蘭明らんめいを見下ろして幼い子供のようににっこりと笑った。


「ほら、清婉せいえんも早く早くっ」


 大きく右手を振って呼ぶ主と竜虎りゅうこたちを交互に見て、清婉せいえん竜虎りゅうこの方に指示を仰ぐ。

 こちらの方がずっとまともな答えが返ってきそうだったからだ。


無明むみょうに従え。いいか、なにかあればあいつに従うんだ」


「は、はい! え、なにかって?」


「いいから、とりあえず、黙って行くんだ」


 小声で囁く竜虎りゅうこは、視線は真っすぐ門の方を見据えていた。その意味が何を指すか、清婉せいえんに解るはずもなく。

 とりあえず、生返事をして小走りで門の方へと向かった。


朎明りょうめい、あなたはおふたりをご案内してあげて? あと、余計なことは口にしない事。これは姮娥こうがの一族の問題なのだから、」


「········はい、······わかりました」


 朎明りょうめいは何か言いたげだったが、やはり逆らえないのか蘭明らんめいの指示に従う。


 ふたりの前にやって来て、扉が閉まる音を背中で聞いた。

 その眼は、どこかなにかを諦めているような色が浮かび、竜虎りゅうこ白笶びゃくやも疑問を持つ。

 この姉妹に一体何があったのか、と。


「では、宿に案内します。私について来て下さい」


 息を吐き、なんとか精神を整えると、朎明りょうめいは顔を上げて感情を押し殺した。


 明るい月が空を照らす。大きな半月は、薄墨色の空にぼんやりとした明かりを齎していた。



****



 その頃地下牢では、宗主の薊明けいめいと三女の椿明ちゅんめいがどうにかして結界牢を壊そうと奮闘していた。


 しかし物理的な攻撃でもびくともしない。術は弾かれると解っているので使用することはない。


「母上、姉様はどうして理由を教えてくれないの? 言えないようなことをしようとしてるの?ねえ、母上、答えてください」


 どうしてこんな酷いことをするのか。椿明ちゅんめいは疲れ果てて手に持っていた三日月のような形の刃の霊槍、残月に視線を下ろす。


 刃と黒い柄の境目に銀の装飾が付いていて、そこにそっと触れた。霊槍は本来の力を発揮することができないまま、握られていた手の中で消えた。


 十二歳の少女は頭を使うのがとても苦手で、身体を動かしている方がずっと得意だった。術はまだまだ勉強中だが、槍の腕は姮娥こうがの中で一番だった。


「······母上?」


 返答がないことに、椿明ちゅんめいは不安を覚えて後ろを振り向く。大丈夫、と遅れて薊明けいめいが答えた。あの美しく強い印象しかない母のやつれた姿に、心苦しさを覚える。


「いい? あなただけでも、どうにかしてここから出す方法を考えるわ。もし、ここを出ることができたら、」


 薊明けいめいの言葉の続きに、椿明ちゅんめいはわけが解らず首を振る。何を言っているのか、解らない。


(母上······どうして、)


 どうして。

 なんのために?


 信じられない命令に、唇を噛み締める。一体、外で何が行われようとしているのか、それすら解らないというのに。


 光の届かないこの場所で、疑心暗鬼になっているだけなのだと、そう思っていたかった。


 けれどもそれは祈りでしかなく、真実はもっと残酷なものだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る