4-23 玉兎



 碧水へきすい玉兎ぎょくとの間には山があり、それを越えると立派な竹林が一帯に広がる平地になる。


 玉兎ぎょくとの都の前にひとつ村がある。

 昔から温泉が有名で、それを目当てに術士や商人たちが立ち寄るため、都ほどではないが賑わいのある村であった。


 山は険しかったが、なんとか二日ほどで抜けることができた。

 特に厄介な妖者もおらず、その分体力も霊力も温存することができた。四人は竹林の中を進む。


 無明むみょうたち紅鏡こうきょうの者は、こんなに広い竹林の中を歩くのは初めてだった。


 足元がふかふかとしており、なんだか歩きにくい。体幹の弱い無明むみょう清婉せいえんはふらふらと歩いていてかなり危なっかしい。


「おい、気を付けろよ。お前たちはただでさえ足腰弱いんだから」


「ちょっと、人を老人みたいに言わないでっ······よ?」


 言っている傍からよろけた無明むみょうの右腕を、白笶びゃくやが無言で掴んで支える。


 へへ······と恥ずかしそうに笑って、無明むみょうは頬を掻いた。これでは本当に老人のようだ。やれやれと竜虎りゅうこは肩を竦める。


「でも、本当に見事な竹林ですね。竹林と言えば筍。あとひと月早かったらぎりぎり旬物でしたね······筍料理を作って差し上げたかったなぁ」


 清婉せいえん白群びゃくぐんはく家の人たちのことを思い浮かべているようだ。

 特に雪鈴せつれい雪陽せつようのふたりには思い入れがあったようで、たまに大きなため息を吐き出す姿を目にした。


碧水へきすいに残っても良かったんだよ? これからますます危険になるかもしれないし、清婉せいえんになにかったら大変だもん」


「いえいえ! 私が無明むみょう様のお世話をしないで、一体誰が······ああ、そうですね、いましたね······でもいいんです。私はおふたりのお供をすると決めたんですから!」


 なかば意地になっているようで、拳を握り締めて清婉せいえんは開き直る。

 

 そう、無明むみょうの横にいる立派な白群びゃくぐんの公子様は、碧水へきすいを出立してからというもの、以前にも増して常に傍らにいるのだ。


 なにをするにしても片時も離れず、見守っているという感じだ。もちろん、今みたいになにかあればすぐに手を貸す始末。


 これでは主が怠惰な駄目人間になってしまいそうで、清婉せいえんは本気で心配になる。


「へへ。清婉せいえん好き~」


「ちょっ!? やめてください! ホント、怖いんですって! 隣の人がっ!!」


 腕を絡めてじゃれてくる無明むみょうの表情とは真逆の、恐怖に慄く清婉せいえんの視線の先には、無表情でじっとこちらを見てくる白笶びゃくやがいた。


 あのひとが何を考えているか本当に解らない! と清婉せいえんは頭を抱える。


 しかし、白笶びゃくやの頭の中はただひとつだった。


(今日も、変わりないようだ。無明むみょうが笑っていてくれたら、それでいい)


 賑やかしい声が竹林の中に響き渡る。竜虎りゅうこはこの数日、時間を見つけては稽古をつけてもらっていた。


 師父しふと呼ぶことを断られたので、仕方なく普通に師匠と呼ぶことにした。


 そのことに対して、無明むみょうは特に何も言わなかった。ただひと言、無理しちゃダメだよと言われた。


竜虎りゅうこ、温泉っていうのは、自然に地面から湧き出たお湯なんだって! 色んな効力があるらしいよ! 楽しみだねっ」


「はいはい。良かったな、楽しみが増えて」


 竹林を抜けた先、西南の方角にその村はある。かつて神子みこと怪異を鎮めるために訪れ、逢魔おうまと出会った場所だった。

 まさか今世でこの村を訪れる機会があるとは思いもしなかった。


 白笶びゃくやは近くにいるだろう逢魔おうまが、何を思っているか気になった。


 昨夜、逢魔おうま紅鏡こうきょうから戻り、目にしたままを自分たちに伝えた。


 無明むみょう藍歌らんか夫人のことを心配して気が気でないようだったが、今見ている限りでは大丈夫そうだ。


白笶びゃくやは温泉好き? 姮娥こうがの一族だった時、来たことある?」


 じっと見上げてくる翡翠の瞳に、心が揺らぐ。

 遠い昔の事だが、つい最近の事のように甦る記憶。思い出したら、色々な意味で罪悪感を覚えた。


 もちろん表情には全く出ていないが。


 そのやり取りを見て、逢魔おうまはひとりで声を殺して笑い転げていた。


(さすが神子みこ!)


 離れた所で見守る逢魔おうまは、ひとしきり笑った後、懐かしい気持ちが込み上げてくるのを隠しきれなかった。

 胸元を抑えて、小さく笑みを零す。


(あなたが、俺を見つけてくれた場所に、帰って来たよ?)


 さああっと風が吹き上がって、笹の葉を舞い上がらせる。カサカサとこすれる音が響き渡り、まるで鈴が鳴っているようだった。


 逢魔おうまは再び歩き出した一行を、ゆったりとした足取りで追う。今のところは何もないようだが、都に近づくにつれ、黒い靄のようなモノが濃くなっている気がする。


 しかしこの靄こそが、これから遭遇する怪異の片鱗であることを、この時点ではまだ知る由もなく。

 

 一行は半日かけて、やっと広い竹林を抜けたのだった。


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