4-15 誓いの夜



 真っ暗になった視界が、ふいに元の薄暗い部屋へと戻って来ると同時に、灰色がかった青い瞳が重なる。


 状態をよく見れば、無明むみょうは床に仰向けに倒れており、白笶びゃくやの右手が頭に敷かれている。

 両の膝と左手を付き、跨るような格好で見下ろしてくる白笶びゃくやの表情は、歪んでいた。


 一瞬でよく憶えていないが、胸元を掴んでいた指を解かれたかと思ったら、そのまま身体を翻した白笶びゃくやに押し倒されたのだ。暗転した視界がぐらりと揺れ、気付けば床の上だった。


 頭に手を添えてくれている優しさとは逆に、その顔はどこか苦しげだった。あのいつもの無表情からは想像できないほど、悲しそうだった。


「······すまない、私は、君に、かつての神子みこに抱いていた想いと同じ想いを抱いている。それは君が同じ顔で、同じ魂だからじゃなくて······君が君だから、」


「······神子みこ白笶びゃくやはどういう関係だったの?」


 とても大切にしていたのだろうということは解る。けれども明確な答えは聞いてはいなかった。


「一生共にいようと誓った、伴侶だった」


 神子みこ華守はなもりであり、親友ともであり、恋人であり、家族であった。大切で、なくてはならない存在。片翼のようなもの。


 そ、と無明むみょう白笶びゃくやの頬に右手を伸ばす。先程の言葉が頭を過る。代わりにしたいわけではなくて、そうではなくて。


「俺は······神子みこの代わりじゃないん、だよね?」


 何度も聞いてしまう自分の弱さが、白笶びゃくやを傷つけている気がして、心臓が痛い。


 玄冥げんめい山の時と同じだ。

 この感情は、痛みは、きっと。

 神子みこの魂が自分に訴えているのかもしれない。


 目の前にいるひとは、とても大切なひとで、離れがたいひとなのだと。


「私は、君と、共にいたい」


 言って、白笶びゃくやは柔らかい笑みを浮かべた。その笑みに、無明むみょうは言葉を失う。そんな風に笑う姿を初めて見たというのに、なんだか懐かしささえ覚えたからだ。


「俺も、······俺も、白笶びゃくやとずっと一緒がいい」


 これからなにが起こるのかもわからない。もしかしたら、かつての神子みこと同じような結末が待っているかもしれない。

 また、悲しませてしまうかも。それでも傍にいたら、きっと、なにかが見えてくる気がした。


 記憶は少しもないけれど、この気持ちは間違いなく、自分のものだ。


 両腕を伸ばして、白笶びゃくやの首にしがみ付く。心臓の痛みはいつの間にか消えていた。


 あたたかくて、心地好い。


(こうしてると、なんだか落ち着く)


 そう、思えたのだ。この心境の変化がなんなのか、解らない。自分の気持ちを受け入れたからだろうか。


(俺は、たぶん、白笶びゃくやのことが······、)


 首にしがみついて半分起こした身体を、腰に左手を添えて白笶びゃくやが支えてくれる。 


 括っていた赤い髪紐に右手の指が絡められ、器用に解かれていく。途端、支えを失った長い髪が、するりと薄闇の中に広がって溶けていった。


 雨音は一層激しく降り注ぐ。それでも部屋の中はどこよりも静寂に満ちている気がした。


「君が、好きだ」


 囁くように耳元で告げられた言葉。


 首に絡めていた腕を思わず解くと、困ったように微笑を浮かべた白笶びゃくやの顔があった。


 つられるように無明むみょうは眼を細めて優しく笑う。こんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのか解らないのに。


 伝えたい。ただ、思いのままに。

 この気持ちは、自分のモノだ。疑う必要はない。


 この想いはホンモノ、だから。


「うん、······俺も、白笶びゃくやが、好き」


 右手が頬を包むように触れてくる。

 その手に、何度も救われた。


白笶びゃくやが笑うと、なんだか安心する······嬉しくなる。君が笑ってくれるなら、俺は、)


 同じように頬に手を伸ばして、そっと遠慮がちに触れると、白笶びゃくやがまた、あの柔らかい笑みを浮かべて、こちらを見つめてきた。


 近づいてくる灰色がかった青い瞳に吸い込まれるかのように、無明むみょうはゆっくりと瞼を閉じた。



****



 しばらく経った後、白笶びゃくやは自分の胸に背中を預けるように寄りかかって来る無明むみょうを、肩に掛け直してあげた厚い布ごと包むように抱きしめる。


 ぼんやりとふたり、開け放たれたままの庭の方を眺めていた。


 遠い昔、神子みこ逢魔おうまと三人で並んで座っていた縁側。あの時から随分と時が経った。


 さすがに建物は何度も新しく改装されているので、あの時と全く同じというわけではない。


 今生の両親が亡くなり、宗主の養子になって数年後、遥か昔に三人での最期の穏やかな時間を過ごしたこの部屋を、自室として与えてもらったのだ。


 神子みこが好きだった花を植えた。

 気休めだった。

 けれども。


(君は、また、同じことを言うんだな、)


 紫陽花が好きだと。


 気付けば、雨音の中に小さな寝息が混ざっていた。愛しいものを守るように、確認するように、白笶びゃくや無明むみょうを抱き上げる。そのまま自分の寝台に寝かせ、自身はその横に腰を下ろした。


 穏やかに眠る無明むみょうの頬に触れ、誓う。


「二度と、君をひとりにさせない。その手を離さない。絶対に、守り抜く」


 その強い意思を言霊にして、白笶びゃくやは目を伏せた。



 あの日、果たせなかった誓いを、今度こそ――――――。


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