3-15 水妖の正体


 夜も深まった頃、市井しせいの灯りは疎らだが、外を出歩く者はいない。この辺りは常に灯りを絶やさないようにと、習慣付けられているのだ。


 闇に潜む者たちは灯を嫌うので、少しでも遠ざけるためであった。


 昼間の賑やかさとは一変、静寂の中響くのは二つの足音のみ。風の音さえしない静まった空間は、不自然に思えた。ふたりの足音が同時に止まる。


「······これは、領域結界? 白笶びゃくやが張った、わけじゃなさそうだね、」


 領域結界は、それを張った主が解かない限り出られない空間である。現実と全く同じ風景が視界に広がっているが、その一部分を切り取られたように、存在しているはずのものが、実は存在していないのだ。


 なので、ある一定の距離以上は、透明な壁にでも突き当たったように進めなくなる。現に、無明むみょうたちは目の前に道が続いているのにも関わらず、それ以上進むことができなくなっていた。


竜虎りゅうこがいればすぐに解除できるんだろうけど、」


 金虎きんこの直系の能力は万能だ。どんな術式も陣も、領域結界でさえも無条件で無効化できる。だが運の悪いことに、無明むみょうにはその能力はなく、竜虎りゅうこも傍にいない。


 領域結界を展開された時、ふたり以外いなかったし、見ていた者もいない。つまりは、取り込まれたふたりに気付く者は誰もいないだろう。


水妖すいようはただの囮だったのかもしれない」


 白笶びゃくやは落ち着いた口調で呟く。術士たちを瀕死の状態にし、手に負えないと思わせれば、次に出てくるのは間違いなく白群びゃくぐんの公子だと解った上で。


「領域結界は上級以上の妖者か、もしくは妖鬼。水に関わるなら、水鬼みずおに? とか」


 その時だった。ふたりの右側を流れる運河の中心に渦が生まれ、それはどんどん広がっていき、運河の水が竜巻にでも巻かれたように激しく渦巻いたまま、深い闇の空に噴出された。


「あれは······水龍!?」


 その水は形を変え、鋭い赤い眼をした巨大な龍の姿に変化しただけでなく、大きな口を開け、聞いたことのないような甲高い声を上げた。


 思わず耳を塞いで、無明むみょうは苦痛で眼を細める。その奇声のせいか、周りの音が遠くに聞こえるような錯覚を覚える。


 白笶びゃくやはいつの間にか両手に双剣を握っており、頭上高くからこちらを見下ろしてくる水龍を見上げていた。


 疎らな灯たちに照らされたその水龍は、透明な水の姿ではなく、闇の空よりもさらに漆黒に染まっている。


 まるで邪龍のように禍々しい陰の気を帯びていた。漆黒の龍は水で形成されているので、その躰は常に水流が循環している。


 まるで目の前に、大きな滝でも流れ落ちているかのような水の音がするのは、そのせいだろう。


「幸い、領域結界のおかげで周りに被害は及ばないだろう。こちらも本気でいく」


 この結界を張った主は、親切なのか残酷なのかまったく読めない。


 無明むみょうも腰帯に差していた横笛を手に取ると、自分を守るかのように自然に前に出た、白笶びゃくやの後ろに大人しく控えることにした。


 当初の計画が台無しだ。まさか、こんな大物が出てくるとは誰が予想したか!


「君は辺りを警戒しておいて欲しい」


「うん、任せて」


 白笶びゃくやは常に冷静で、おかげで無明むみょうもこの状況に動揺することはなった。


 ふたりなら、絶対に大丈夫。そんな風に思えるくらい、前に立つ白笶びゃくやの背中は大きく頼もしかった。


 漆黒の水龍はそんなふたりを視界に入れて獲物と認識すると、再び耳を劈くような咆哮を上げた。


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