2-15 鬼蜘蛛


「三人とも、こちらへ」


 白冰はくひょうが手招きして無明むみょうたちを呼ぶ。三人は連なって呼ばれた方へと駆ける。


「なにか解りましたか?」


 竜虎りゅうこは集まっている白群びゃくぐん一行に訊ねる。碧水へきすいの地で起こった怪異のため、率先してなにかするということはないが、事態は把握しておくべきと考える。


 この数百年、村ひとつが丸ごと怪異に呑み込まれるなど聞いたことがなかった。


「この村の怪異は、おそらく私たちが去ってから二、三日後に起こった可能性が高い。正確に言えば、君たちが晦冥崗かいめいこうで遭遇した怪異と同じ頃に起こったと思われる。なにか繋がりがあるのかもね」


「その根拠は? なんでそんなことが解るの?」


 無明むみょうは不思議に思って白冰はくひょうに訊ねる。


「この村全体を覆うように、陣が敷かれていた痕跡があった。それに、村人たちの亡骸を調べたが、精気を少しずつ抜かれて殺されたようだ。何日もかけてね。あとは村人たちの他に白群びゃくぐんの術士たちの亡骸もあった。異変を知って訪れ、逆にやられたのだろう。亡骸の状態が新しかった」


「鬼蜘蛛は狩場と巣が別々で、狩場で精気を吸って、巣で肉体を喰らう。今は巣に帰っているのだろう。夜になる前に一度ここを離れた方がいい」


 白冰はくひょうと宗主はお互い頷いて確認する。幸いまだ夕刻。あと半刻はんときは余裕がある。準備もなく妖獣とやり合うのは分が悪い。


「どうしたんだい? なにか気になることでも?」


「······白冰はくひょう様たちにも聞こえないの?」


 無明むみょうは怪訝そうに眉を顰める。さっきよりずっと煩い音が耳の奥で鳴っている。右耳を手で塞いでみるが、それは鳴り止まなかった。


「大丈夫か? お前にだけ聞こえてるなんて、何か特別な音なのかも?」


 不協和音のような、違和感しかないその音は、無明むみょうには苦痛でしかなかった。音程はなく、一定の音が長く鳴ったり短く鳴ったりするのだが、それがとてつもなく不快な音なのだ。


「もしかして········これって、」


 それに気付いた時、突然大きな黒い影が地面に映った。危ない!と竜虎りゅうこ無明むみょうの腕と清婉せいえんの襟首を掴んで後ろに飛び、上から降ってきた影から間一髪で逃れる。


 それぞれその影を囲むように他の者たちも同じく後ろに飛んで、それ・・から逃れる。


 細長い脚が左右四本ずつあり、腹部が大きく膨れ、胸部が固い殻で覆われたそれ・・は、まさに巨大な蜘蛛であった。一本の脚だけでも大人二人分くらいの長さがあり、両方合わせれば道幅を塞いでしまうほどだ。


「これが、鬼蜘蛛········?」


 紫色の大きな眼と、漆黒の躰。口からは何かの液体が流れており、牙のようにも見える上顎と触肢が鬼のように見えた。


 初めて目にする妖獣に、竜虎りゅうこは無意識に後ずさりしたい気持ちになるが、動いてはいけないという本能に従い、なんとか堪える。


 視線だけ無明むみょうに送るが、肝心の無明むみょうはどこか調子が悪そうだった。


(とういうか、こういう時にいつも傍にいるはずの白笶びゃくや公子が、なんであんな遠くに? そういえば、湖を離れた後から口も利いていないみたいだったし。なにかあったのか?)


 白笶びゃくやは自分たちと正反対の所におり、視線を移すと眼が合った。たぶん、無明むみょうを気にしているのだろう。


清婉せいえん、頼むから大声を出すなよ? 一番に狙われるからな」


「は、はいっなにも見ません、聞きませんっ」


 ふたりを盾にして、その身を隠し、腰を屈めて眼をぐっと閉じる。はあと嘆息し、竜虎りゅうこは改めて鬼蜘蛛に視線を戻す。


 あちらも獲物を選別しているのか、紫色の眼の真ん中にある黒い部分が、左右上下にギョロギョロと忙しく動いていた。


「なあ、本当に平気か? 顔色が悪い」


「······うん、平気。音が止んだみたい」


 腕を掴んだまま、離せずにいた。大体こういう場合に真っ先に狙われるのは、無明むみょうなのだ。しかも今は調子が悪そうだし、位置も悪い。三人がいるのは、ちょうど鬼蜘蛛の顔の左側だった。


「なあ、白笶びゃくや公子となにかあったのか?」


「俺を甘やかさないでって言った」


 無明むみょうはぷくっと頬を膨らませて、もごもごと口ごもりながら言った。


 うわぁ······と竜虎りゅうこは心の中で呆れた声を上げる。確かにあれは甘やかしすぎだったと思うが、善意でやっていることだけは解る。


 その前になにか言ったか言われたか、他にも理由はありそうだった。


竜虎りゅうこ清婉せいえんをお願い」


「は? お、おいっ!」


 無明むみょう竜虎りゅうこの腕を振り切って、無謀にも鬼蜘蛛の正面に飛び出て行ってしまったのだ。


 

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