1-15 痴れ者、動揺する


「お前、なんで先に起きたのに俺を起こさない! ········っと、白笶びゃくや公子!? 」


 部屋から大声でやってきたかと思えば、予想もしていなかった人物の姿を見つけ、背筋を伸ばし慌てて腕を囲ってゆうし、下げた頭で隠した顔は、一気に血の気が引いていた。


 白笶びゃくやも同じくこちらに向けて挨拶を交わす。


 表情では何も読めないが、万が一いつもの調子で無明むみょうれ者を演じていたら、確実に失礼なこと以外していないだろう。


 ずかずかと大股でこちらにやってきた竜虎りゅうこの様子から、彼がかなり慌てているのが解る。


 面白そうに笑って、無明むみょうは手を振った。


「なにをそんなに慌てて。金虎きんこの公子がみっともないぞ」


「どの口がっ······まさかお前、なにかしてないだろうな?」


 最初の突っ込みこそ勢いがあったが、そばに寄って来て肩を組み、公子に背を向けたその後は、顔を近づけてこそこそと小声で訊ねてくる。


 返答の代わりにへへっと楽しそうに笑った後、くるりと器用にその腕を抜けて、ふたりの間に立った無明むみょうが、竜虎りゅうこに向けて任せろ、と言わんばかりに片目をぱちりと瞑って合図をした。


(おい、ちょっと待て。なにかしろ・・・・・という意味じゃないぞ!)


 咄嗟に手を伸ばして制止しようとしたが、それは見事にかわされてしまう。


 案の定、弾みながら白笶びゃくやの方へ駆け寄ると、彼が後ろに回していた左の腕に自分の腕を絡めていた。


「命の恩人さんに、お礼をしなきゃね! なにがいい? 公子様っ」


 ぐいぐいと引かれても微動だにしない公子に、気にせずに笑いかけて、犬のようにまとわりつく。


 馬鹿なことはやめろ、と竜虎りゅうこが引きはがそうと逆に無明むみょうを引っ張る。


 このやりとりにさえ公子は怒りも呆れもせず、ただ一点を見つめて、ひと呼吸し、ぽつりと呟いた。


「········では、一緒に碧水へきすいへ」


 その言葉にふたりは同時に動きを止め、え?と瞬きをした。どういう意味だろう、と。そのままの意味だとしたら、唐突すぎる。


「え、ええっと、遊びに来てってこと、かな? すごく嬉しいけど、でも俺は、宗主の許可がないと紅鏡こうきょうから離れられないんだ」


 まさかの返答に思考が停止して固まっていたが、調子を取り戻して、無明むみょうは答える。


 けして遊びに来てという意味ではないだろうが、解らないふりをして訊ね、もっともな理由を挙げてやんわりと断りを入れる。


 竜虎りゅうこはいまだに固まったままだ。


「では、ここにいる間、都を案内して欲しい」


 表情が変わらないので冗談なのか本気なのか解らない。ただ、譲歩はしてくれたようなので、無明むみょうは人知れず安堵する。


「いいよ! 公子様はここにはいつまでいるの?」


「······明後日には発つ」


「わかった。じゃあ明日、迎えに来るねっ」


 こくり、とゆっくり頷き、白笶びゃくやはこちらを見下ろしてくる。視線がまったく外れないので、逆に無明むみょうもまっすぐに見つめ返してみた。灰色がかった青い瞳は、波紋のない水面のように感情が読めない。


(不思議なひとだな····俺にあんなこと言うなんて)


 ああいう行動をとれば、変なやつと思われるか、嫌がられるのが普通だが、この青年はまったく気にした様子もなく、真面目に考えて答えてくれた。


「本当に、ありがとう。来てくれたのが、公子様でよかった。じゃあ、そろそろ俺たちは戻るね」


 竜虎りゅうこの肩に手を置いて、ぽんぽんと叩く。


「ほら、ぼけっとしてないで、早く璃琳りりんを連れて来てよ」


「わ、わかってるっ」


 部屋の方へ駆けて行った竜虎りゅうこを見送り、もう一度白笶びゃくやに視線を向ける。


 そうしている間に、いつの間にか顔を出した朝陽の眩しさに、瞼を細める。長い夜が明け、いつもの朝が来る。


 すぐに璃琳りりんを背負って出てきた竜虎りゅうこが姿を現したので、彼の真意は解らないままだった。



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