3-9 雪鈴って・・・


 夕刻になり邸の部屋に戻ると、土で汚れた衣や痣と擦り傷だらけの竜虎りゅうこを見るなり、清婉せいえんが悲鳴を上げた。


「疲れた········死ぬ······」


 ぐったりとそのまま床に寝そべり、転がる。ぬるま湯の入った桶と布巾を手に、清婉せいえんは傍らに座って、汚れた頬をとりあえずそっと拭う。


「大丈夫ですか? 初日からすごい有様ですね、」


「いや、ホント······雪鈴せつれいってあんなひとだったんだな。白笶びゃくや公子の方が優しいとさえ思ったぞ」


「え? そうなんですか? これ、雪鈴せつれい殿にやられたんです?」


 清婉せいえんもそれには驚いて、やはり只者ではなかったんですね、と感心する。


 そしてあの衝撃的な場面を思い出す。あれは昨日の料理の下準備の時だった。生の南瓜を片手包丁で、眉ひとつ動かさずに一刀両断していたのだ。

 

 しかもそれを見ても自分以外誰も驚いていなかったことから、これが彼の日常風景なのだと知る。


「あの方が剣を振っている姿を想像ができません。どちらかというと雪陽せつよう殿の方がしっかりした身体付きですし、」


「そうなんだよ。そこが不思議でならない。あのひと、終止笑顔で内弟子たちを叩きのめしていたんだぞ。しかも誰よりも腕力あるし、」


 ある意味、彼の真実を垣間見た気がする。あの性格なので、内弟子には当然慕われていて、あの歳で弟子たち二十人を纏めているもの納得だ。


「なんだか、楽しそうでなによりですね」


 膨れた顔をしていても楽しそうに話す竜虎りゅうこを見ていると、ふたりが手合わせをしている姿を見てみたいとも思ったが、やめておく。


 自分は自分のやるべきことをし、それ以上は望まないに越したことはない。


「少し休んだら、身体も拭いてください。着替えはここに置いておきますね」


 言って、清婉せいえんは部屋を後にし、夕餉の手伝いをするため厨房へと足を向ける。


(食事で少しでも元気になってもらえるよう、私も頑張らないと!)


 夕陽に染まった渡り廊下を軽い足取りで歩く。厨房につけば昨日と変わらない顔ぶれがすでに揃っていて、奥で雪鈴せつれい雪陽せつようが仲良く並んでこちらに手を振った。


竜虎りゅうこ殿は大丈夫でした? 調子にのって少し遊びすぎてしまったもので」


 あははと首を傾げて困ったように訊ねる雪鈴せつれいに、周りにいた内弟子たちは皆揃って顔を背け、苦笑いを浮かべる。


「········あれ、遊んでたんだ」

「········滅茶苦茶楽しそうだったもんな、」

「あの笑顔が······俺は怖いよ」


 清婉せいえんはそんなことは露知らずに、ふたりの許へと駆け寄る。


「とても楽しそうでしたよ(だいぶボロボロでしたけど······)」


「ふふ。それは良かったです、」


 じゃあ始めましょうか、と号令をかけて、夕餉の準備に取り掛かる。無明むみょうも今頃白冰はくひょうの所で座学を受けているはずだが、正直、どうなっているかはあまり想像したくなかった。


 気を取り直して、食材を吟味し、献立を決める。この時間はとてもやりがいがあり、清婉せいえんはよしと頷き包丁を手に取った。



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