1-5 竜虎と璃琳



 こつん。

 ————こつん。

 ————こつん。


 真夜中に小さく響くその音はいつもの合図で、無明むみょうはぱちっと仮面の奥の瞼を開くと、身体を起こし、近くにあった衣を纏い、寝床を後にする。


 こそこそと庭に出て、不規則に騒がしく鳴いている蛙の声を聴きながら池の前を通り過ぎると、低い塀の天辺から顔を覗かせた顔馴染みを発見し、大きく手を振った。


 月明かりが暗い夜の闇を照らす中、しーっと人差し指を立てて慌てるその少年は、同い年だが生まれた月がふた月だけ早い三番目の公子、竜虎りゅうこである。


 見るからに几帳面そうな彼は、無明むみょうとは対照的で、頭の上できっちりと髪をまとめ、銀色の飾りで解けないようにとめている。


 長めの前髪は丁度真ん中で分けられており、形の良い額と、整った顔立ちがよりその秀麗さを際立たせている。


 金虎きんこの一族の特徴である紫苑色の眼は、切れ長で凛々しいが優しさも垣間見える。


 低い塀をひょいと片手を付いて乗り越え、地面に着地した無明むみょうは、あれ?と首を傾げて珍しいものでも見るように腰を屈めた。


璃琳りりんお嬢様、こんな夜更けにお散歩ですか?」


 竜虎りゅうことよく似た、けれどもそれよりも大きな瞳の少女に対し、わざとらしく敬語を使い、丁寧にお辞儀をして様子を窺う。


 綺麗に整えられた黒髪は肩の辺りまであり、そのひと房を括って飾られた、薄紫の花が付いた髪飾りがとても良く似合っている。


 少女は右手に灯を、左手は兄である竜虎りゅうこの衣の袖を遠慮なく強く掴み、きっと睨むように無明むみょうを見上げた。


 彼女はふたりの三つ年下の十二歳。竜虎りゅうこと同じ母、つまり姜燈きょうひ夫人の子で、無明むみょうの義妹でもある。


「なにがお散歩ですか? よっ! そんなの見ればわかるでっ······もぐっ」


璃琳りりん、声が大きいっ」


「ふたりとも大きいよ~あはは」


 けらけらと笑って無明むみょうはふたりに教えてやるが、ふたりは同時にこちらを睨んで牽制してくる。


 金虎きんこの一族が纏う、袖と裾に朱と金の糸で複雑な紋様が描かれた白い衣を羽織っている竜虎りゅうこと、薄桃色の外出用の動きやすい上衣下裳を纏った璃琳りりん


 無明むみょうはといえば、袖や裾の紋様は竜虎のそれと同じだが、黒い衣を纏っている。一族の直系や親族が纏う白に対して、黒の衣は従者の纏う色だった。


「私はふたりの監視役よ。明日は奉納祭だし、なにかあったら大変でしょ?」


 今度は声を潜めて得意げに見上げてくる。それはこっちの台詞だ、と竜虎りゅうこは肩を竦めた。


 いつものように外にこっそり出ようとした所を、運悪く見つかってしまったのだ。璃琳りりんは兄たちがやっていることを知っており、時折気分次第でついてくることがあった。


 兄が怪我でもしたらとか、れ者と一緒で心配だから、というのが本音だが、本人たちの前では絶対言わないと決めている。


「で? 今夜はどうする? 北東の外れに現れる徘徊する殭屍きょうし? 渓谷の吊り橋を通せんぼする亡霊?」


 竜虎りゅうこ無明むみょうの肩に手を置いて、もう片方の手で懐から二つの文を取り出す。璃琳りりんが持つ灯に照らされ、三人の顔はほのかに橙色に染まる。


 姜燈きょうひ夫人がこの光景を見たら、悲鳴を上げて気絶するか、無明むみょうの足を切り落とそうとするだろう。夫人の所業はふたりとも知っているが、無明むみょうがこういう性格なので、考えても無駄という結論である。


 ただ、無明むみょうがいなければ、真夜中の妖者ようじゃ退治を考えることもなかったというのは事実。


 三人には兄があとふたりいる。ひとりは母違いの一番上の兄である虎珀こはく。もうひとりは、姜燈きょうひ夫人の最初の息子である虎宇こうであるが、竜虎りゅうこ璃琳りりんはこの虎宇こうが死ぬほど嫌いであった。


 すぐに怒り手を上げるし、自分より下の者に対しての態度が最悪だ。

 それを黙認するどころか、当たり前であるかのように肯定する母にも、その時ばかりは腹が立った。


 虎宇こうの性格とは真逆の虎珀こはくのことは好きで、実の兄よりも慕っており、彼の住む邸に入り浸ることもあった。


 無明むみょうに対しては、幼い頃は母に言われるまま、酷い扱いをするのが当然だと思っていたが、ある日それは間違いだと気付いた。


 なぜならこのれ者と呼ばれ続けている無明むみょうは、皆が口々に言うようなれ者ではなかったからだ。


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