3.付き合う覚悟
「で、どうする」
ハッカの声で現実に引き戻されたラディは、右手の人差し指と中指でキャベツの左耳を柔らかく挟んだ。肉厚な耳と整った毛の感触が心地よい。そのまま上下に揺らすように動かすと、キャベツは猫とは程遠い、しかし努力すれば「にゃー」と聞こえなくもない声を出した。
「お前は?」
「言っただろ。お前が受けるなら協力してもいい」
「いつからそんな殊勝な人間になったんだ。何か企んでる?」
「相棒に酷い言い草だな。いいか、俺はあのイチゴシロップ殿下のことを信用してない」
「変な名前を付けるな……。信用していない、とは?」
ラディの問いかけに、ハッカは肩を竦める。
「あの殿下、ふざけた格好と周囲の評判と違って頭がキレる。いや、キレるっていうと語弊があるな。あれは自分にとっての最良を探すのに長けている。もしかしたら半分は仲良しの王女殿下の入れ知恵かもしれないけどな」
「両殿下は幼少期より英才教育を受けた方だ。そして公国の継承者たる教育も受けている」
「あぁ、そうだろうな。でもそれが厄介なんだよ」
手持無沙汰に自分の髪を弄りながらハッカは続けた。視線はラディではなく、誰もいない調理スペースに向けられている。照明を落としたために薄暗くなった壁にはレシピのような物が貼られている。しかし文字はこの王国で使われているものではなく、妙に角ばっていた。
「殿下には大きな目的がある。あぁいう人間は、必要になれば必要な駒すら捨てられるタイプだ」
「それだと殿下が非情な人間のようだ」
「そうじゃない。あれは王族として取捨選択が出来る人間だって言ってるんだよ。寧ろ誰よりも情は深いかもな」
ハッカの言っていることが、ラディにはいまいち理解が出来なかった。
手駒を切り捨てる人間に情があるとは思えないし、ストロベリーがそのような類の人間にも思えない。あの時に感じたのは、一種の信頼である。あるいは信頼を見せることにより何かもっと大きなものを得ようとする、清々しいまでの貪欲さ。あれぐらいわかりやすいほうがラディの性格には合っている。
「俺たちが断ったところで、殿下は痛くもかゆくもないだろうぜ。でも一度関わったら、月末に「それでは今日までということで」なんて綺麗には終われない。最後まで付き合うことになる」
「それに付き合う覚悟があるかってことだろう?」
「そういうことだな。俺は別にどっちでもいい」
「どっちでもいいって、食事のメニュー決めるんじゃないんだぞ」
あまりに適当な返しにラディは呆れた顔を作る。
「前から思っていたけど、ハッカは重要なことに対しての決断が雑すぎる」
「雑じゃねぇよ。考えるだけ無駄だから考えないだけ」
「無駄って?」
「ほら、世界はいつか滅びるだろ?」
ケラケラと笑う相棒に、ラディは大仰に溜息をついた。キャベツがそれを聞いて「どうしたの?」と言うように首を傾げる。
「そんなに手軽に滅んで堪るか。そういうところが雑だと言っているんだ」
「そうかぁ?」
その時、少し軋んだ音を立てて出入口の扉が開いた。キャベツの耳がピンと上に立ち、そのままラディの腕の中をすり抜けて床に降りた。太い足で床を軽快に駆けながら、入口から入ってきた誰かの足元に飛び込む。
「おかえり」
ラディが声を掛けると、相手は微妙な顔をしてみせた。皮膚の下の血管が透けるような青白い肌の上に、雨で濡れた髪の束が張り付いている。肩まで届く白い髪は上半分だけを鮮やかな黄緑色に染めている。それを平素からハーフアップにまとめているため、後ろ姿だけ見れば女性と間違われることが多い。
と言うと、男であるようにも聞こえるのだが、実際のところ誰も店主の性別は知らなかった。男にも見えるし、女にも見える。その曖昧さがこの猫カフェが持つ二面性を表しているとも言えた。
「戻ったアル」
訛りのある言葉が応じたものの、それはラディではなく猫たちへと向けられていた。
猫たちは自分たちの飼い主が、何かしらの食べ物をくれることを期待して足元に纏わりついている。そしてその視線は、右腕に抱えられた大きな紙袋へと注がれていた。袋の口からは干し肉を束ねたものが覗いている。
開け放たれたままの扉には「猫あり〼」と書かれた張り紙が見えた。そのすぐ横には「魔法使いお断り」と力強く書かれたものもあるはずだが、店主の黒い服で隠れて見えない。服はこのあたりではまず見かけることが少ない、立襟に裾の長い変わったデザインで、遠くシアの国で好まれるものらしい。
「で、ラディはまだしも、なんでお前まで椅子に座ってるアルカ」
剣呑な声が、今度はハッカへと向けられる。
「そりゃな、そこに椅子があったからだ。お行儀がいいだろ?」
「許可した覚えはない。お前なんかゴミの上にでも座ってロ、地植えミント」
「へぇ、座れるほどにゴミ溜めてんのか。こまめに片付けろよ、
笑うハッカとは逆に、猫に囲まれた店主は苦い顔をする。それを見たラディは慌てて口を挟んだ。
「買い物は済んだのか、パクチョイ」
「……お陰様で」
少しだけ態度を軟化させて、店主は答えた。そして、紙袋を抱えていたのとは逆の手、扉に半分隠れていたそれを前方へと突き出す。何かが扉に乱雑に当たる音と共に、ピンクと白と黒で構成された人間が床に放り出された。
「邪魔な苺が生えてたアル。お前らの連れカ?」
「殿下」
ラディが驚いた顔をした。
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