episode2.魔法使いどもの推察

1.雨の日の猫カフェ

 朝から続く雨は、特に強まることも弱まることもなく雲から水分を絞り出している。細長い窓に叩きつけられる雨をラディは椅子の背もたれに体重を掛けて、首を左に向けた状態で見ていたが、不意に右頬を叩かれて我に返った。

 叩かれたと言っても痛みはない。寧ろ羽箒で撫でられた感触に近い。ラディは自分の膝の上に鎮座してこちらを見上げている白い塊に視線を向ける。豊かな白い毛、やや淡い黒色の縞。先ほどラディを叩いた右前足は行儀よく元に戻っていた。


「悪かったよ。よそ見するなって言うんだろ?」


 ラディはその生き物の頭を撫でた。満足そうに喉を鳴らす様子は、まるで「わかればよろしい」と言っているようでもある。


「相変わらず、よく慣れてるな。その虎」


 右隣の席からハッカの声が聞こえた。並んで座ったカウンター席。高級ではないが上等な木製の天板の上に煙草の箱が置いてあるが、中身に手を付けた様子はない。壁に貼られた「店内禁煙」の張り紙は一応の効力を発揮しているようだった。


「虎じゃない。猫だ」

「どう見ても虎だろ」

「店主が猫だと言っている以上は猫だ」


 自分が話題になっているとは知らない白虎の子供は、猫にしては丸すぎる耳を小さく動かす。大きさは成猫ほどであるが、足の太さや背中の筋肉は明らかに猫とは異なる。


「あぁ、そうだろうよ。此処に虎がいたら大問題だからな」


 ハッカが下らなそうに呟きながら、「此処」を見回した。

 簡素な調理場とカウンター。そしてテーブルが数脚。置かれたメニューには珈琲や紅茶などの至って普通の品名が並んでいて、そこだけ見ればどこにでもある喫茶店と変わらない。異質なのはメニューの下部に書かれた「オプション」である。「青梗菜巻き」「小松菜寄せ」といった、珈琲にはまず合わないであろう葉物野菜の名前。しかもオプションの方がメインメニューより遥かに高い。

 異質なものは他にもあった。壁に打ち付けられた段差違いの棚のようなもの。床に並んだドーム型の籠。一応布で目隠しはされているが、それでも一目で何をするものかは察する砂入りの箱。

 猫のいるカフェ。略して猫カフェ。それが二人の今いる場所だった。但し入口には「本日休業」の札が掛けられていて、二人の他に人影はない。メニューに書かれたオプションは、その名前の猫を撫でる権利であり、店の内装は人間よりも猫の快適で健康的な生活を優先している。


「あの野郎はどこまで買い物に行ったんだよ」

「一人でこの店を切り盛りしているんだ。ゆっくりと買い物をしたいこともあるだろう。なぁ、キャベツ?」


 寛容に答えるラディは、膝に乗る白虎を思う存分甘やかしていた。体は小さいが、それでも虎。牙や爪などは立派に肉食獣のそれである。その鋭さで甘噛みやじゃれつきをしてくるものだから、本人に悪気はなくても客にけがをさせてしまうことも珍しくない。

 それでも人懐こくて愛らしい風貌には固定客も多く、「噛みます」と注意書きされているにも関わらず「珈琲のキャベツ添え」は人気が高い。


「お前、顔の筋肉溶けてるぞ」


 ハッカは呆れたように言って、自分の膝の上に載っている猫を撫でる。こちらは正真正銘の猫で、名前はコマツナ。灰色の体毛に黒い縞模様が入ったサバトラ柄で、いかにもいたずら好きな顔をしている。今も垂れ下がったハッカの三つ編みに軽快な猫パンチを繰り出していたところだった。


「ハッカこそ、コマツナがお気に入りじゃないか」

「肉付きがいい」


 ハッカは自分の髪がサンドバッグと化す前に猫を引き離した。猫は不満そうに鳴いたものの、すぐに興味を失ったらしくカウンターの上に飛び乗る。そしてそのまま、部屋の隅にいる別の猫たちの方へ走って行った。それを一瞥してから、ハッカはラディの方に視線を向ける。


「で、どう思う?」

「殿下の話のことか」

「それ以外何がある。お前と賭け事の話をする趣味はねぇよ」


 ラディは相変わらず一言多いハッカに苛立つでも抗議するでもなく、代わりに虎を抱っこする。


「請け負うのか、断るのか。結局はそこに集約されると思う。殿下の目的がなんであれ」


 二日前に、城の地下にある隠し部屋で交わされた会話を、ラディはまだ細部にわたって思い出すことが出来た。その記憶は、ハッカの嘲笑から始まっていた。

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