4.礼儀作法に厳しい男
二人が視線を向けた先で、髭面の男が店員相手に凄んでいるのが見えた。テーブルの上には中途半端に食べられたままのパン。その横に男のものであろう剣が置かれている。
「で、ですから武器は店内では足元に置いていただくのが決まりでして」
「俺の得物を踏めってのか!」
まだ若い店員は困ったような顔をしながら、それでも譲る姿勢は見せない。その態度を見て、男の方はますます怒りを顔に浮かべる。
状況を見るに、どうやら男は店のルールを無視して武器をテーブルに載せており、それを店員に注意されたことで逆上したようだった。
「なんだありゃ」
煙を吐きながらハッカは呆れたように呟く。ラディは紙ナプキンで口元を拭うと、椅子から立ち上がった。
「おい、ラディ」
「店員の方が困ってる」
「放っておけよ。よくあるトラブルだ。逐一構ってたら身が持たない」
「見過ごすのは信条に反する」
「素晴らしいな。ついでに学校の規則書も持ってけよ。向こうもチビるぜ」
ハッカの笑い声を背にする形で、ラディは揉めている男と店員の方へ向かう。口から泡を飛ばさん勢いで店員を怒鳴りつけている男の、筋肉に包まれた肩を後ろから掴んだ。
「いい加減にしろ。周りの迷惑だ」
「あぁ?」
突然の第三者の登場に、髭面の男は間抜けた声を出して振り向いた。歳の頃は三十半ばといったところで、着ているシャツの袖口にはある民間組織の名称が刺繍されている。大きくもなければ小さくもない規模の、つまりはよくある組織だった。
「店のルールに従わない方に非がある」
「てめぇはなんだ、いきなり割り込みやがって!」
男は凄んでみせたが、ラディは涼しい顔でそれを受け流す。ただ怒鳴るだけの相手など恐ろしくも何ともない。ラディの周りにいる口達者で言葉だけでダメージを与えてくる連中に比べれば、この男など可愛いものだった。
「第一、テーブルに武器を置くなんて行儀が悪い。他の人もそのテーブルは使うんだ。すぐに床に下ろせ」
「床になんか置けるか」
「ならば出ていけ。ルールは捻じ曲げたいが、飯は食いたいなんて通るわけがないだろう」
男の額に青筋が浮かぶ。節だった太い手でテーブルを叩いたと思うと、弾みで床に落ちた皿などには構わずに剣を握った。
「格好つけてるんじゃねぇぞ、優男」
「格好つけるとか、そういう問題じゃない。ルールは守るべきだ」
べき、を強調したラディに男はますます顔を赤くする。周囲はそれを気にしながらも自分たちの食事を優先していた。
しかし、それも男が剣の柄に手を掛けるまでだった。ざわめきが店内を走り、武装をしていない一般市民が悲鳴を上げて出入口へ退避する。
「デカい口叩いたこと、後悔させてやるよ」
ありきたりな台詞に、ラディは面倒だと言いたげに息を吐いた。
「デカい口はそちらのほうだろう。剣をテーブルに置いて叱られたからと人を殺傷するのか。そこまで貫けるなら大したものだし立派なものだが、そんな度胸はないだろう?」
ラディは諭すように言葉を紡ぎながら、テーブルの上に載っていた小さな籠へと右手を伸ばし、肉切り用のナイフを取り出した。武器としてはあまりに脆弱なそれを、剣のように相手の鼻先へ突きつける。構えには全く隙がなく、余裕すら窺わせた。
「舐めてんのか、てめぇ」
馬鹿にされたと思ったのか、男が額の青筋を痙攣させる。
「俺は店のルールを破るつもりはない。それに、これでも充分に戦える」
「てめぇ!」
男は剣をラディに振り下ろそうとした。しかし、狭い店内、剣を肩より高く振り上げるには、どうしても肩の可動域が制限される。
そのため、どうしても挙動が遅くなるのをラディは見越していた。ナイフの背を剣の柄に斜めに当てて、そのまま力を入れる。力はそれほど掛けなくても、相手の動きを乱すには事足りる。特に興奮して冷静さを欠いている相手なら尚更。
「うっ!?」
予想通り、本来の動きを阻害された相手が呼吸を乱す。ラディは半歩退いてナイフを逆手に持ち直すと、男の首筋へと当てた。当てているのは背の部分であるが、男からは死角になって見えていない。
「これが剣ならどうなってたか、わからないほど馬鹿ではないだろう?」
返事はないが、男の驚愕と恐怖に染められた目が、肯定を物語る。ラディがナイフを更に喉に押し付けると、男は首がちぎれそうな程強く頷いた。
「賢いようで安心したよ。では、この店のルールも理解出来るよな?」
「わ……悪かった。ちょっと仕事でイラついていて……」
「店には関係ないだろう」
「おい、生白大根」
気怠い声が、酷いあだ名でラディを呼ぶ。そんな呼び方をするのは、ここには一人しかいない。
「何だ」
「てめぇはその能無しに知性でも与えてやるつもりか? 忙しいんだから、さっさと行くぞ」
「ルールを教えていただけだ。そんな言い方は彼にも失礼だろう。前から言っているが、お前の口振りは最悪だ」
「知ってるよ。教えてくれなくて結構」
ハッカは欠伸混じりに返しながら、傍のテーブルからフォークを掴みあげたと思うと、ラディの方へと大きく踏み込んだ。二人の身体がすれ違った一瞬後、何かが爆ぜるような音が聞こえ、続けて大きな衝撃が足へと伝わる。
ラディが振り向くと、そこにはあの無作法な客が口から涎を垂らして座り込んでいた。顎に薄らと赤い点が見える。
「こういう手合いに反省促してもむーだ。お前、後ろから斬られるとこだったぜ」
「気付いていたし、避けられた。というか何をしたんだ」
「顎に電撃魔法って効くんだよ」
伝達物質に金属製のフォークを使い、男をスタンさせたということだろう。ラディは相手らしいといえば相手らしい、しかし暴力的にも程がある手段に天を仰ぐ。
「ハッカ」
「馬鹿、こんなとこで人の名前呼ぶなよ」
「お前だって俺の名前を呼んだだろう」
「俺はいいんだよ」
当然のように言い返されて、ラディは思わず黙り込む。その隙にハッカはフォークを元の位置に戻すと、出口に向かって歩き出した。
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