3.行方不明の王子
国の歴史というものは、どこでも複雑なものである。ティラド平地と「神の骨」と呼ばれる山脈を越えてやってきた、千年帝国の魔法使いたちは、大きな湖のある大地に根を下ろした。「神の眼」と呼ばれた湖には体を持たぬ龍の精霊が住んでおり、その龍が認めた一人の男が王となったとされる。
魔法使いたちは湖の水を、農業や工業に使うことでラカノンと名付けた王国を発展させていき、やがて自分たちを追い出した千年帝国を滅ぼした。
「王子様がいなくなったなら、あの家の男系血統は遂に絶えることになるな」
皿に盛られたチキンライスに、目玉焼きの黄身をスプーンで混ぜこみながらハッカが軽い調子で言った。
「またお前はそういうことを……。アディラトル家だけじゃない。国家の危機でもあるんだぞ」
豆とナッツの混ざった焼き飯に粉チーズを掛けていたラディは、向かいに座る男の言い草に窘めるような口調で返す。
街中にある大衆食堂は、昼を少し過ぎた時間帯でも賑わっており、二人は辛うじて空いていた小さなテーブルに向かい合わせになっていた。
「別に王子がくたばっても王家の血は続くだろ」
「王子が失踪した、というスキャンダル自体が命取りなんだ。隣国との関係が微妙なのは、ハッカも知ってるだろ? 弱みは極力見せるべきじゃない」
「へぇ」
心底興味無さそうな相槌が聞こえた。
「そもそも殿下が失踪する時点で、城にいる連中の責任問題だと思うけど」
「それは言うなよ……。とりあえず探すことで、その問題を棚上げにしてる最中なんだから」
「だと思った。それで殿下はいつからいねぇの?」
漸く本題に入ったことで、ラディは安心する。あまり話の脱線は好きではない。
「五日前からだ」
「城の中にはいなかったのか?」
「あぁ。メイド長や執事頭にも協力してもらって探したが、どこにも」
「メイド長って、あのニコニコしてるおばさんか」
「……子爵夫人になんてことを言うんだ、お前は」
城のメイド長ともなると、それなりの家柄を求められる。執事頭も王家と繋がりのある男爵家の出で、城ではその二人が絶対的な権力を持つと言っても過言ではない。
「でもあのおばさん、なかなか話せるぜ? この前、酒場でシラトラして盛り上がったし」
「子爵夫人に酒の一気飲みをさせるな」
「いや、あっちは飲んでねぇよ。殆ど俺と騎士団長殿の負けだったし」
「お前の交友関係は謎だ……。まぁいい、そのメイド長と執事頭が探して見つからないということは、城の中にはいないのだろうという結論になった」
「まぁ妥当な判断だな」
「かといって国の外に出た形跡はない。何しろ荷物が全く手付かずだったし、殿下はこれまで一人でお出かけになったことは無い」
「なるほど。ってことは考えられるのは、誘拐か?」
「いや、誘拐なら身代金の要求があるはずだし、部屋やどこかに抵抗の痕跡は残るはずだ。殿下は表舞台に立つことを嫌うが、非力な王族という訳でもない」
「おいおい、将来は絵本作家にでもなるつもりかよ。あの殿下なら森に住むシシとだっていい勝負するぜ。騎士団長のお墨付きだ」
チキンライスをスプーンで掬ったハッカは、大きく口を開けてそれを食べた。上品さの欠けらも無いが、豪快なために不快感は与えない。ただ、食べる速度が異様に早く、味わっているようには見えなかった。
「誘拐でもないなら、あとは監禁か」
「同じじゃないか」
「違ぇよ。誘拐なら外部の仕業、監禁なら内部の仕業」
瞬く間に皿を空にしたハッカは、それをテーブルの端に押しのけて、代わりにそこにあった灰皿を引き寄せた。
黒色の紙箱から煙草を一本取り出すと、灰皿に予め添えてあったマッチを使って火をつける。
「王子殿下に今出てきてもらっちゃ困る連中がいるだろ」
「……例えば?」
「試すなよ。試験はガキの頃までで十分だ」
煙がゆるりとラディの方まで流れていく。
「王女殿下を次期国王に擁立したい連中だよ」
「王女殿下にその気は無い」
「本人の意思なんか関係ねぇだろ。王女は妃の娘、王子は愛人の息子。愛人の方は妃よりも父親の身分や出自が上ときてる。王子の方に即位されたら、王妃の方は立つ瀬なしだ」
「王女殿下と王子殿下は仲がいい」
「それで余計に困ってんだろ、取り巻きたちは。折しも、次の節は祝祭だ。外国からの来賓も多く来る。王子殿下に欠席していただくために、どこかに閉じ込めておくってのは良くある手だぜ」
意外と鋭いところを突いてきた、とラディは考えながらスプーンに乗せたライスを口に入れた。豆の食感に塩気のあるチーズが馴染む。
現国王は第一子に王女、第二子に王子がいる。二人の年は同じだが、今ハッカが言った通り母親が異なる。そのため、どちらが次期国王になるのかという話題はことある事に人々の口に上がる。正妃の娘であり、三代前の国王の血を引く王女か、愛人の息子であり、千年帝国と公国の継承者である王子か。
このような場所で言う分にはただの世間話で済むが、城の中ではそうも行かない。ラディは王の杖に配属された時に、不用意に王位継承について話をするなと堅く言い渡されていた。
「俺もそれは考えたけど、まさか口にする訳にはいかないだろ」
「ま、そりゃそうだ」
「もし、これが王女派の誰かの仕業であれば、彼らが所有する建物に監禁されている可能性がある。でも俺にはそこまで踏み込む権限はない」
「じゃあ、そこは探せない?」
「周囲を捜索するのは可能だ。でもそんな建物は俺が知っているだけで十は下らない。片っ端から当たっていくのは賢明ではないな」
「俺もそんな真似したくねぇな。でもそうなると、探す範囲が絞り込めねぇ」
困ったように言うハッカに、ラディは頷くことで同意を示す。
「まぁ、情報屋を頼るしかないかもしれない。まさか、そこら辺の人に「王子見ましたか」なんて聞く訳にもいかないし」
「俺が一番嫌いな方法だな。大体、その情報屋って……」
ハッカが何か言いかけた時だった。少し離れたところで野太い怒声が聞こえた。
「もう一度言ってみろ!」
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