2.公務と民間

 化学と魔法のどちらが先に存在したのか。それは学者たちにとっては長年のテーマである。

 例えば火が存在する場所で、化学者はそれを薬液の反応に用いるが、魔法使いは火焔魔法の媒体にする。

 かつては「化学は存在するものを利用して別のものを作り出すが、魔法使いは無から物体を作り出す」と言われたことがあったが、これは神話の世界からまだ抜け切れていなかった古臭い学術書に載っていることで、現代では否定されている。どんな魔法使いとて、無から何かを作り出すことは出来ない。

 近年では、化学と魔法は同じ土壌から生まれた別の学問として扱われている。土からレンガを作り出すことも、野菜を作り出すことも出来るように、化学も魔法も自然を研究する過程で生まれたものであると。

 勿論これにも異を唱える者はいる。魔法を使うには魔力がないと成立しない。化学とはそこが徹底的に異なると。魔力は限られた人間に与えられた神の慈悲か、それとも化学における動力に過ぎないのか。それに対する答えは未だ誰も出せていない。

 ラディがそんなことを考えながら、城の裏門を目指して歩いていると、後ろから煙草の匂いが漂ってきた。その匂いだけで誰が近付いてきたのかわかったラディは、先ほどバルコニーで吐いたものより大きなため息を口から出した。


「喫煙所以外で吸うなと言わなかったか」

「言ったな」


 あっさりとした肯定。ラディが足を止めれば、すぐに足音が追い付いて横に並ぶ。煙草の煙が目に染みるほどの距離だった。

 ラディよりも長身で、長く伸ばした髪を一本の三つ編みにしているのがよく目立つ。編み目の大きさは不揃いで、ところどころからまとまり切らなかった毛先が跳ねている。本人の性格が色濃く出た髪型だった。鮮やかなミントグリーンとそれを覆うアッシュブラウンという変わった髪色をしているが、三つ編みのせいでどこがどの色かわからない。髪の隙間から覗く左耳には、安物のフープピアスが一つだけ装着されていて、下手をすればその輪にまで髪が絡みそうに見えた。


「休み取れた?」

「あぁ、お前のアドバイスのおかげで」


 少々の嫌味を込めてラディは返したが、軽い笑い声が戻ってきただけだった。それと一緒に相手が背負った弓と矢筒が揺れる。

 弓は男の身の丈程もある大きな代物だった。弓柄には美しい布を巻き、全体が黒く塗られているものの、ラディが腰から下げた両刃剣と比べると質素な見た目をしていた。ただ、ラディの剣は幼少期より師事した高名な騎士から与えられたもので、同等の品を振るう者は滅多に見ない。


「命は惜しいもんなぁ、誰でも」

「もっと穏便に済ませたかったのに」

「何一人でいい子ちゃんしてるんだよ。文句言うならやらなきゃよかっただろうが」


 粗野な物言いに対してラディは眉を寄せる。別に自分のことを善人だと思ったことはないが、こうして揶揄われると言い返したくなる。しかし、無事に有休を取れたのが相手のおかげだと考えると、「いい子ちゃん」呼ばわりも甘んじて受け入れる気にはなった。

 そもそも、優等生としての道を歩み続けてきたラディは明確な議題のない口論は不得手である。魔法や学問においては優秀な頭を駆使したところで、口から先に生まれてきたような相手に勝てるとも思っていない。


「しっかし、エリート様でも休暇申請って下りないもんなんだな。うちみたいな民間組織だけの話かと思ってたけど」


 裏門には門兵が控えていたが、堂々と煙草を吸いながら出てくる男を見ても何も言わなかった。あまりに躊躇がなさすぎて、それが違法行為であるという認知まで至らないのかもしれない。

 ラディは門兵に軽く挨拶をして門から外に出た。城から街までは長い階段を下る必要がある。昔、要塞として機能していたころの名残で、兵士たちは毎朝この階段を駆け上る訓練をしている。そのため石で作られた階段はところどころがすり減ってしまっていた。


「そういや、休みとって何すんの?」


 投げかけられた質問にラディは「あぁ」と短い相槌を挟んで答えた。


「観劇だよ。『リー・ドクトルの実験人形』がシトロ劇場で公演されるんだ。一緒に行く?」

「冗談。休みの日に劇だの絵だの見に行く奴の気が知れねぇよ。俺は休みの日は酒飲んで寝ることにしてる」

「ハッカは休みじゃなくても同じことしてるじゃないか」


 呆れ混じりに指摘すれば、ハッカ・デューは大きく口を開けて笑った。細めた目の中の瞳はあまり笑っているように見えないが、それは主に灰色の虹彩のせいだった。


「わかってねぇなぁ。明日が仕事の日に飲むビヤージュと、休みの日に飲むビヤージュは全然違う。一番格別なのは仕事中に飲むやつだけどな」

「わからなくていいよ、そんなこと。大体、いくら民間とはいえ職務中に酒なんか飲んだら処罰されるんじゃないのか」

「されるな」


 喫煙を咎めた時と同じ調子で、ハッカは答えた。ラディはこれ以上話を続けるのを諦めて、階段を下りることに神経を向ける。

 ハッカはラディと異なり、民間組織「カルナバル」で働く魔法使いだった。知り合ったのは、随分と前のようでもあるし、最近のようでもある。正直なところ、正確な日付まではラディも覚えていない。今のように喫煙区域を全く無視した咥え煙草で現れたことだけは記憶している。

 王の名の下で国のために働く魔法使いと、民間組織の元で一構成員として働く魔法使い。普通ならば相容れない存在とされるのだが、二人は幾度となく一緒に任務を片付けてきた。大抵はラディが「民間協力者」としてハッカを指名するのだが、それを物好きだと言う同僚もいる。


「あ、そーだ。ラディちゃん、ラディちゃん」

「その呼び方はやめろ。俺の方が年上だぞ」

「二十三と二十四なんて誤差みてぇなもんだろ。ネズミだったら死活問題だけど」


 ハッカは煙草の煙を風下に向かって吐き出しながら、ラディの前へと回り込む。平行二重と短く吊り上がった眉は印象的である一方で、表情をわかりにくくしていた。


「聞きたいことがあるんだけど」

「何だよ」

「最近、王子様見かけないけど行方不明になってねぇ?」


 ラディの顔が一瞬で青ざめた。目の前にいる男の口を慌てて自分の両手で塞ぎ、左右を何度も見回す。誰もいないことを確認してから、ハッカを睨みつけつつ手を離した。煙草臭くなってしまった手を自分から遠ざけるようにしながら口を開く。


「どこでその話を?」

「喫煙室。お偉いさんが話してた」

「盗み聞きか」

「俺はその場にいただけだよ。あいつら、出入りの民間業者なんて人間だと思ってねーもん。話なんて全部筒抜け」


 愉快そうに笑いながら、ハッカは煙草の煙を吸う。


「でも最初から最後まで聞いてたわけじゃないから、確証が欲しくてさ。でもお前の反応からして本当みたいだな」

「俺を利用したのか」

「人聞き悪いねぇ。引っかかる方が悪いんだよ」


 全く悪いと思っていない様子で、ハッカは返した。


「王子殿下はいつ頃いなくなったんだ?」

「ハッカ」


 ラディは一歩詰め寄ると、ハッカの胸元に指を突きつけた。


「この件については他言無用だ。言いふらしたりするなよ」

「俺はしねぇけど、俺の口が勝手に話す分には責任取れねぇな」

「自分の口くらい自分で管理しておけ」


 ハッカは笑いながら片手をひらひらと動かす。真面目な顔をしているラディが面白いとでも言わんばかりだった。

 このまま野放しにすれば、間違いなくそのあたりで酒を飲んだ勢いか、あるいは煙草を吸ったついでに言いふらされる。何しろハッカという人間は、思いやりや配慮というものと無縁に生きている。出会った頃はそれで随分と苦労した。真面目な指摘や苦言をしたところで、ハッカは何一つ聞き入れてはくれず、寧ろ何故かラディが言いくるめられることすらあった。

 学力や魔法の知識、議論については自信があるラディだったが、口喧嘩ではハッカには勝てる気がしない。口喧嘩で済めばいいところで、下手すると蹴りや拳が飛んでくる。


「……仕方ない。協力してもらう」

「あぁ?」

「今、「王の杖」全員に対して殿下の捜索が命じられているんだ。お前も手を貸せ」

「俺はお前と違って、殿下と面識ねぇよ」

「顔は知っているだろう」

「知ってるけど、何で俺があの噂に名高い少女趣味の変人探さないといけねぇんだよ」

「王族に対して失礼だぞ。せめて変人殿下と言え」

「お前さ、失礼って意味知ってるか?」


 ハッカは呆れたように言ったが、ふと思い直したように口角を吊り上げた。


「それ、殿下見つけたら報酬出るのか?」

「あぁ、勿論。一応、捜索にも費用は出る」

「ならいいぜ」


 手伝ってやる、と恩着せがましい口調で言うハッカに、ラディは眉を寄せた。


「またツケを貯めてるのか」

「貯金が趣味でね」

「今度はいくらだ?」

「貯金箱を叩き割ったらわかるんだが。あの親父の頭は硬そうだ」

「あー、もういい。手伝ってくれるんだな?」


 ラディはともかく言質だけ取るために聞き直す。ハッカは「おう」と短く肯定を返した。

 素行や思考は置いておくとして、仕事においてはハッカの腕は確かである。仕事をしてくれるのであれば、ラディとしても煩くするつもりはない。


「ここじゃ目立つ。お昼でも食べながら話そう」

「いいアイデアだな。お前が払ってくれるんだろ」

「自分で払え。なんでそうやって、金遣いが荒いんだ」

「聞いて驚けよ。それがわかったら、俺も苦労してない」


 ラディはため息をつく代わりに、階段を足早に降り始める。後ろから悠長な足取りで追ってくるハッカが、どうせ目当ての店に着く頃には隣にいるであろうことを知っているためだった。

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