蛍の君に

黒潮梶木

1

8月10日、朝から蝉の大合唱で目が覚めた。高校は夏休みの真っ最中で外出をすれば必ず1人は友達に会った。

しかし悲しいことに夏休みの一大イベントである夏祭りに一緒に行けるやつは誰もいなかった。

それもそうだ。僕の住んでいる地域は通っている高校からかなり遠く、こっちの方から通っているやつなんて僕以外いなかった。しかもこっちは森が広がる自然豊かな街のため、夏祭りの規模は都会のものに比べりゃ小さい。遠くからわざわざ遊びに来るほどのイベントではなかった。

「行くのやめるか〜」

しかし行くのをやめると夏休みを棒に振るような気がした。僕はベットに勢いよくダイブした。空中に舞ったほこりが陽の光に照らされて星のように輝いている。

その時、ドタドタと荒々しく階段を登ってくる足音が聞こえてきた。

「お兄ちゃん、夏祭り行く?」

ノックもせず妹が入ってきた。

「いや、わかんない。どうしようか迷ってる。あと、入る時はノックしような。」

妹は悪びれる様子もなく笑い、そして早足で階段を降りていった。

夏祭りが始まるのは午後6時から。現在時刻は午後3時、悩むにはまだ時間がある。僕はベットに潜り込んだ。そして気づけばそのまま眠ってしまっていた。

…目を開けると僕は河原にいた。おかしい。僕はベットで寝ていたはず…。一瞬驚いたがすぐ夢だとわかった。目の前にはどこか見覚えのある川が流れていた。しかし最近の記憶ではない。当たりを見渡したが、なにもない。静かに川の水は流れていた。

「久しぶりだね」

後ろから声が聞こえた。振り向くとそこには僕と背丈は一緒ぐらい、そして黒い着物に黄色い帯を締めた女の子がたっていた。

「君は?」

「…覚えてないか。それもそうだよね。」

少女は落ち込んだように下を向いた。僕はなにか悪い事をした気分になった。すると彼女はゆっくりと僕に近づくと近くでニコッと笑ってそのまま通り過ぎた。

「あなたはここを覚えてる?」

彼女は僕に問いかけた。

「申し訳ない。あまり記憶にないんだ。」

「そう…」

また彼女は下を向いた。しかしすぐ僕を見てニコッと笑った。

「今日、夏祭りに行って。午後6時鳥居の前に集合ね」

彼女は半ば強引に約束をすると、後ろの森へ走っていった。

…ハッとして目を覚ますとベットの上にいた。時計を見ると5時半を指している。僕は着替えを済まし家を出た。

所詮は夢の出来事だ。きっと何も無い。僕は山の上の神社に向かった。そして鳥居の前にたっていた。蝉の合唱が耳を貫いた。

そして午後6時、遠くで夏祭りの始まりを知らせる花火の音が聞こえた。夏祭りが始まった。しかし鳥居の前には思い当たる人は来ない。無駄足だったか…。僕は帰ろうとして階段を降りようとした。

あ…。

思考が止まった。下にあるはずの階段が目の前にある。時間がゆっくりと動いていた。僕は死を覚悟して目を瞑った…。





………川の流れる音が聞こえる。下にはゴロゴロと石が転がっていた。僕は勢いよく立ち上がった。…夢で見た景色。理解が追いつかなかった。

「本当に来てくれたんだね。ありがとう」

後ろを振り返ると、夢で現れた女の子が片手に提灯を持って立っていた。

「君は…夢で…」

「ふふ、正夢かな?」

彼女は笑った。あたりはやけに暗く、夏の6時とは思えなかった。

「ここはどこなんだい?」

僕は彼女に聞いた。彼女はまた笑った。

「ここは初めて私とあなたが出会った場所だよ。」

僕は困惑した。言っていることの意味がよく分からなかったのだ。

「初めて会った…?」

「そう、あなたは絶対分からないけどね。」

僕は何もわからずとにかく当たりを見渡した。すると夢にはなかった祠が川の向こう側にあった。ずっと昔見たことがある。僕は頭を抱えた。思い出せそうだった。

「思い出しそうだね。じゃあ思い出させてあげる。」

彼女はそう言うと、提灯を下に置いた。そして大きく手を叩いた。音は近くの山々まで響いた。

響きが収まるとあたりは静寂に包まれた。

ぽゎ…ぽゎ…ぽゎ…。川辺の草から黄緑色の光がゆっくりと空を舞う。その光は目の前の森、後ろの森、そして川の中から…。あたり一体は光で埋め尽くされた。僕はあまりの美しさに息をすることも忘れた。何千、何万という光が空を埋めつくした。宙に舞う光はまるで星のごとくあたりを照らしていた。

「これは…蛍…」

そう言うと彼女は僕の肩に手を乗せた。

「思い出した?」

彼女の問いかけに僕は答えられなかった。しかし頭の中には過去の記憶がしっかりと蘇っていた。

僕がまだ小学生だった頃、よくこの河原に一人で遊びに来ていた。僕しか知らない秘密の場所。誰にも行き方は教えていなかった。そしてこの川では夏になるといつも綺麗な蛍が見れた。

ある夏の日のこと。僕はいつも通りこの場所へ遊びに来た。そして裸足になりゆっくりと川に入っていった。すると川の中に黒光りするものを見つけた。すくい上げてみると、蛍の幼虫だった。しかしあまり元気がなく、今にも死んでしまいそうだった。僕は可哀想になり、近くの祠に水槽に入れた幼虫と近くから摘んできた花をお供えした。

(神様…この幼虫を元気にしてやってください。そして今度は元気に飛ぶ姿を見せてください。)

僕は夢中になって手を合わせた。何時間たったか分からない。気がつけば夕日が沈んでいた。僕は幼虫をそっと川へ逃がすと手を振って別れを告げた。それ以降、僕はこの場所に来ておらずもう行き方も忘れてしまっていた。

「思い出したでしょ」

彼女は満面の笑みで言った。僕は大きくうなづいた。彼女は固まる僕の目の前に立つと僕をぎゅっと抱きしめた。僕はさらに動けなくなった。

「あの時の約束、今果たすね」

耳元で彼女は囁いた。彼女は僕を離れると川へ走っていった。すると彼女は光を放って小さな蛍となった。そして僕の肩に止まった。僕は何故か目から涙が溢れてきた。彼女、いや、その蛍は宙へ飛び立つとどの蛍よりも光り輝いて高く飛び上がった。そしてついに消えてしまった…。

辺りを見渡すと1匹の蛍もおらず、あったはずの祠も消えていた。僕はハッと我に返った。そして僕はニコッと笑った。

「また会えますか?」

空に尋ねると一番星が一瞬強く輝き、すぐに弱まった。僕は涙が溢れてきた。しかし泣く訳には行かない。僕は帰ろうと振り返った

。涙が落ちないよう、上を向いた。すると1匹の蛍が額に止まった。そしてまたどこかへ飛んでいった。

蛍の一生は夏の短い期間。しかし、だから美しいのだと思えるのだ。彼女も最後は見事に輝き、美しく散った。彼女を涙でおくる訳にはいかない。僕は涙を拭い大きく笑って見せた。そして手を振って別れを告げた。

次、もし会えるのなら違う形で会いたい。

「また夏の日に」

そう告げて歩き始めた。

遠くでひぐらしが鳴いている。木々のざわめきに彼女の囁きを感じた。




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