虫の知らせ

武藤勇城

本編

虫の知らせ

 あれは自分が子供の頃の話です。


 自分の実家と、母方の祖母の家は、とても近くにありました。

 徒歩で1分ほど、間に空き地 (祖母の土地)を挟んで、隣の家です。

 というより、実家は祖父・祖母の土地を譲り受けて家を建てたものですので、実家そのものが母方の家 (土地)ともいえるようなものでした。


 そういう事もあって、自分は幼少期より、よく「おばあちゃんの家」に遊びに行っていました。

 祖父は自分が小学生の頃に他界しており、祖母も小~中学校の頃にはもう、ほぼ寝たきりのような状態でした。

 おばあちゃんっ子だった自分は、祖父の遺影にお線香をあげ、そのあとで祖母の様子を見てから、どこかへ遊びに行くというのが日課のようになっていたと思います。


 母親の兄弟は6人いまして、母はその中で次女です。

 男が3人、女が3人。

 その母兄弟の中で、一番最初に生まれた「男の子」が、自分でした。

 そのあと、長男にも男の子が一人、次男にも男の子が一人生まれましたが、どうやら女系の家系のようで、祖母から見た「男の子の孫」はこの3人だけです。

 女の子は、長女に3人、次女 (うちの母)に一人、三女に2人、長男に一人、次男に一人、三男に一人、計9人いますので、比率で言うと1:3、これはかなり偏っていると言えるでしょう。

 ですから、祖母も自分を大層かわいがってくれたように思います。


 とても近くですので、しょっちゅう祖母の家に顔を出していましたが、その度に数百円ずつ、お小遣いをくれようとするので、困った自分は「そんな事をされたら来にくくなっちゃうよ」などと言ったこともあったように記憶しています。

「いいから。いいから。」と小銭を握らせる祖母に押し切られて、まあ・・・大体いつも貰っちゃうんですけどね。


 祖母は、自分が高校生の頃になると、かなり危ない状態になりました。

 家にいられず、車で十数分ほどの所にある、病院に入りました。

 母や、母兄弟などが、頻繁に病院に行っていたようです。

 自分も一度、その病院にお見舞いに行きましたが、祖母はすっかりやつれてしまっていました。

 その時、祖母が言った言葉は忘れられません。


「もう来なくていいよ。」


 どんな思いで、祖母がその言葉を口にしたのか、自分には分かりません。

 ですが、その時の自分は、それなりにショックを受けました。

 おそらくですが、死期が近いことを悟っていた祖母は、自分にその姿を見られたくないか、または自分の心の負担になりたくないというような思いで、自分のためを思って、そう言ってくれたのではないかと。

 ですが当時の自分は、祖母がなぜそのようなことを言ったのか、理解できませんでした。

 ただ悲しくて、その後はお見舞いに行けませんでした。


 それからほどなくした、ある夏の夜です。

 ちょうど今ぐらいの時期だったでしょうか、その夜はとても暑く、寝苦しかったことを覚えています。

 熱帯夜でしたが、エアコンなどはつけず、窓を開けて (網戸にして)寝ていました。

 普段ならば、それで暑くて眠れない、なんてことはありません。

 寝つきは良い時と悪い時がありますが、眠ってしまえば、割とぐっすり眠れます。

 そのまま朝まで目を覚ます事はありません。


 ですが、その日は違いました。

 夜中、急に、開けた窓から生暖かい風が入ってきました。

 カーテンが大きく、ふわっ、となったのを感じました。

 そして、それを感じた瞬間、自分は妙に目が冴えてしまって、一度体を起こして明かりをつけたように思います。

 いま何時だろうかと、時計を確認した記憶もあります。

 時間はよく覚えていませんが、真夜中を回って、1時だったか2時だったか。

 ベッドに入ってから、それほど時間は経っていませんでした。


 まだ夜中ですから、そのまま明かりを消して、再び眠りにつこうと思いましたが、その日は全く寝付けませんでした。

 ベッドの中で、ぼーっとしたまま、どのぐらいの時間が経ったでしょうか。

 かすかに電話の音が聞こえました。

 居間の方で、母が受話器を取ったようです。

 何を言っていたのかは分かりませんでしたが、「・・・はい、・・・はい。」と、何度か返事をする声が聞こえたような気がします。

 それから、トントンと、部屋のドアが軽くノックされました。

 扉がそっと開けられ、母が部屋の様子を窺うのを、自分はベッドの中から見ていました。

 母は、自分が起きていたことに驚いた様子でした。

 普段であれば、朝、なかなか起きない自分を起こすのに苦労するほどです。

 ですから、軽くノックした程度で、自分が起きているとは思わなかったようです。


 びっくりした表情のまま、母は、

「おばあちゃんが今、病院で・・・」

 というような事を言ったと記憶しています。

「これから行くけど、行く?」と聞かれたので、自分はすぐ、「分かった」と言って、外出するために着替えました。

 そして母と一緒に、祖母のいた病院へ向かいました。


 祖母が危篤状態になったのは、その夜の、零時を回って暫くした頃だったそうです。

 祖母はそのまま病院で息を引き取りました。

 後日、親戚のおばさんたちが集まる中、この夜のことを話しました。


「それはきっと、お婆ちゃんが最後のお別れに来てくれたんだよ。」


 以前、もう来なくていいと言った祖母でしたが、最後の最後に、自分の顔を見に来てくれたのかなあと思うと、なんとも言えない気持ちになります。


 今では祖母の家は取り壊され、自分がその後、引っ越し (一人暮らし)をしたこともあって、お線香をあげにも行けなくなり、また、お墓参りにもあまり行けていません。

 今年のお盆には行けるでしょうか。

 いつか、お墓の前で手を合わせて、あの夜のことを聞いてみたいと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虫の知らせ 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ