僕が魔法使いだった夏

ほひほひ人形

僕が魔法使いだった夏

――魔法。普通なら、それを手にした僕はもう少し別のことをするべきだったのだろう。世界を救ってみたりとか、悪に染まってみたりとか。

けれど僕は、そんなものを手にしたところで何をすべきかわからなかった。

 

八月二日。


――何をすべきかわからない。


僕、『桜木孝之』のたかが十四年間の人生、そこにずっと居座り続けたこの心情を説明するなら、その言葉がきっと一番正しかった。


勉強は、できなくもない。

スポーツも、できなくもない。

誰かと仲良くすることも、嫌いじゃない。

大人になるのも、嫌じゃない。


大人が言う面倒な意見も、ちょっと我慢すれば受け入れられなくもない。けれど、何かをしたいと思ったことがない。そんな僕が何よりうらやましいと思うのは、いつもアニメの中の同世代たちだった。


――主人公は、迷わない。

女の子を助けたり、世界を救ってみたり、窮地に陥ってみたりもするけれど、やっぱり逆転してみたり。


ご都合主義とか言いたいんじゃない。

僕が何よりうらやましいのは、主人公の『意志』だ。

時代のせいかどうかは知らないけれど、僕の人生は、特に何かをがんばることなくやってこられた。


テレビの知識とタイミングを合わせる空気の察知力さえあれば大体の人と仲良くやっていけるし、勉強だって基本的には要点を押さえればそこそこテストでいい点が取れる。言うことを素直に聞けば大抵の大人には取り入れられる。僕は、そう言うことに気付くのが、気づいてしまうのが、人より何年か早かったようだ。


要領がいい、と言われたことが何回もある。

けれど、僕に言わせれば何か一つのことに一生懸命になれるやつが一番要領がいい。


――結局のところ欲求不満。


したいこともやりたいことも見つからない、友達に流されながら大人に逆らわない僕は、今日、化物に襲われた。夜の街で、蝙蝠と馬を合わせたような化物に、襲われた。


――僕の常識を根底から破壊する、超常現象。


もちろん僕は必死で逃げたけど、住宅街の袋小路で逃げ場なし。そんな状況に現れた、一匹の獣。


「大丈夫かい!?」


ウサギが立ったような大きさの、けれどウサギじゃない何か。少なくとも、図鑑には載っていない。そいつは僕に触れると、僕を住宅街の入口まで吹っ飛ばした。

物理的な何かじゃない、瞬間移動としか言えないような現象。けれど、その代償なのか、僕の隣にいたウサギは血まみれだった。


「よかった……無事かい?」

「いや、そっちこそ!」


叫ぶなんて、いつ振りだろう。目の前の光景に現実感なんてとっくにない。けれど、僕がこのウサギっぽい何かに助けられたことだけは理解していた。


「僕は平気さ……じゃあね」


そして、去っていこうとするウサギ。


「じゃあねって……」

「君を巻き込むわけにはいかないよ、本来なら君の記憶を消すところだけど、その力が今の僕にないんだ」

「…………」


この時僕がもう少し、例えばアニメみたいだったら、きっと僕はこのウサギに協力を頼まれたんだろう。けれど現実は全然ファンタジーじゃなくて、そいつは僕にこう言った。


「もう大丈夫……さあ、日常に戻ってくれよ」

「……え?」

「君だって、大切な何かがあるだろう? それを僕が壊すわけには、いかないよ」


僕はその時思い知った。

何かにつけて要領よく、常にその場を切り抜けることしかしてこなかった僕は――

――この世界で、何一つ手に入れていなかったということを。


「待って!」


それを認められなかった僕が、半ば強引にその生き物を家に連れて帰ったのは、せめてもの反逆だったのかもしれない。


 八月三日。


動物の名前はシロと言った。

どうやら異世界の生物で、この世界でいうところの警察に近い仕事をやっているらしい。


その目的は、技術の秘匿。


多重世界への移動手段を手に入れはしたものの、『リズ』と呼ばれる彼らの世界ではその悪用が後を絶たず、ほかの世界に彼らの技術を持ちこむ輩が絶えないらしい。

進みすぎた技術は魔法と同義だと誰かが言った。

進んだ技術を遅れた世界に犯罪者が持ち込んで――あとは、子供でも分かる。未開の土地を侵略する軍隊のように、無敵を誇る犯罪者。その世界の技術でそいつの行為を阻止できるはずもなく、結果として犯罪者は世界を奪う。シロは、それを阻止する役割らしい。

ちなみに今のシロの姿は、シロの本来の姿ではなかった。なんでも、時空が違うから本来の姿を維持できないのだとか。本来の姿、と言うのが気になったけど、


「僕の本来の姿? 君たちの世界の言葉だと、あまりいい表現にならないと思うよ」


そこまで言われると、何となく知らない方がいいような気がした。

ちなみに、この町に潜む『魔法使い』は、生物を変化させる魔法の使い手だということだった。

もとは刑罰の一種として開発されたその技術は、こっちから見れば生物を弄繰り回す超常の魔法。早く捕まえないと大変なんだよ、とシロは言う。


昨夜は、シロはあと一歩のところでその犯人から反撃を食らってしまったらしい。おかげでまともな『技術』(以下魔法)も使えない状態になってしまったようだ。

けれど、それでも僕を助けてくれた。


僕が昨夜、協力するよと言った後も、何度も断ってくれたシロは、確かに警察の人っぽい。僕みたいな一般人を、かたくなに巻き込もうとはしなかった。それでも現実的に今のシロが犯人を逮捕するのは無理だったようで、最終的には『君が、そこまで言ってくれるなら……』と、僕が協力することを認めてくれた。


『でも、君を危険にさらすわけにはいかないからね。これを使うといいよ』


そう言って、シロは一つの『魔法』を僕にくれた。この『魔法』と言う呼び方もシロは不思議がったけど、僕らの世界から見たらシロの世界の技術は魔法でしかない。


「で、そいつはどこにいるかわかるの?」


そう、僕がシロに尋ねた瞬間、僕の部屋の窓ガラスがぶっ飛んだ。


『き、け、けけ……』


現れたのは、トカゲと人間と蝙蝠のキメラ。その爪が僕に突き刺さる前に、僕の魔法が発動。キメラの体に穴が開く。死んだキメラはチリになって、消えた。

初めて使った僕の『魔法』。

全身の血管に沿って力が流れる感覚が、少し気持ちいい。


「……これで、よかったの?」


何も持たない僕にお似合いの、シロが守り抜いたたった魔法みたいな技術。技術の皮を被った魔法。


「うん! この調子で頑張ってくれると助かるよ! でも、この人は本体じゃない。きっと今の生物を僕にけしかけた奴がいるはずなんだ!」


きっと僕は、よくできた協力者なんだろう。

シロの言葉を切って、僕は窓枠に足をかけた。


「どこ行くんだい?」


背後から、シロが尋ねる。


「犯人のところ。もしかしたら近くにいるかもしれないでしょ?」


正直、こういうことを言えばシロは喜ぶと思っていた。誰かを喜ばせるには、そいつが喜ぶことを無償でやってあげればいい。そう思っていた。


「その意気込みはうれしいけど、もう遅いよ。眠いと思考力、判断力が落ちるんじゃないかな。むしろ、敵の攻撃が失敗した今こそ、ゆっくりと寝ておくべきだよ」


けれどむしろ、僕を心配してくれるシロ。しかもその意見は理にかなっていて、頷くしかなかった。


「……なるほどね。じゃ、お休み」


ベッドにもぐりこんで、僕は思う。

そういえば、誰かに何かを反対されたのなんていつ以来だったっけな、と。


「……ねえ、シロ」

「なんだい? 窓なら直しておくよ。それくらいなら」

「そうじゃないよ。その……迷惑じゃ、なかった?」

「何がだい?」

「その……僕の協力が……」

「何言ってるんだよ。正直、大助かりなのは否定できないよ。でも、いつでも止めてくれていいからね?」

「……うん」


無責任でもいいよ、と言ってくれるシロ。

その小さな外見とは裏腹に、『優しい大人』っていうのはこういうことを言うのかな、と思ったりもした。


八月四日。


朝起きて、朝食を食べる。さすがに夏休みなだけあって、こんなに朝寝坊したのは久しぶりだった。僕が部屋に戻ると、ベッドの上の布団の山がもそもそと動いて中からシロが出てくる。


「うぅー……早いね、もう食事を済ませたのかい?」

「遅いくらいだよ。今日の分の宿題だけ済ませちゃうから、ちょっと待ってて」

「ちょっとってどれくらい?」

「二時間くらいかな。塾の方の宿題もあるから」


そう言うと、きょとんとした顔でシロが言う。


「どうやら君は平均的なこの国の中学二年生より真面目みたいだね」

「でも、朝のうちに宿題済ませた方が後で楽だから……ところで、シロの世界に宿題ってあるの?」

「僕の世界じゃ、勉強と言う行為は耐久力を養うための行為だね。テキスト化された情報を脳にインプットする技術があるよ」

「すごいね……でも、脳に直接、って怖くない?」

「そうだね。実際、僕らの世界でもその技術を悪用した犯罪が絶えない。でも、だからこそ僕らがいるのさ」

「ふうん……」


うらやましいような、それでいて少し怖いようなシロのいる世界。僕ら人類も、いつかそういう風になるのかもしれないと思うと、目の前にある簡単な宿題も不思議な記号の羅列に見えてくる気がした。


八月五日。


今日はピアノの稽古の日だった。

先生に言われたとおり、前回の曲はマスターしてある。


「すごいわね孝之くん……さすが、桜木家のお子さ……ご子息ね」

「ありがとうございます、では、今日もお願いします」


その時だった。

きぃ、と扉が開いて、シロが現れる。


「あら、風かしら? 勝手にドアが開くなんて」


言いつつ、扉を閉める先生。それより早く部屋に入ったシロは、先生の足元にちょこんと座って僕を見る。


「そのまま続けてくれて構わないよ。部屋にいなかったからこっちに来たんだ」


ちなみにシロの言葉は念話(テレパシーみたいなもの)なので空気を震わさない。原理としては、話し相手の脳内でのみ『音』として感知できる振動を出しているらしい。これももとは通信技術の一つで、本来は警察や軍事関係者だけが使えたんだけど今では以下略。


「じゃあ今日はこの曲。この間はバッハだったけど、そろそろプロコフィエフに移りましょう。あなたならすぐできると思うけど、じゃあまず、手本を……」


そう言って、先生が椅子に座った時だった。ノックが二回して、僕と先生、そしてシロの視線が扉に向く。


「あらごめんなさい、お邪魔かしら?」


現れたのは、母さんだった。

先生に軽く会釈して、僕に視線。言外に、さっきの僕の演奏について語りたそうだ。


「母さん、さっきの演奏はどうでしたか?」

「申し分ないわ。欲を言うならもう少し遊びがあってもいいかもね。どれだけ上手でもオリジナリティがなければ機械と同じよ?」

「はい、気を付けます」


評価としては九十点ってところ。自分の意見を挟めるところが逆に点を挙げる。矛盾? と言うのかどうかは知らないけどどうでもいい。

僕としては、母さんが喜んでくれるならどうだっていい。例え、それが僕の手によるものじゃなかろうとも。


「……ふぅん」


かくして始まる僕の練習。

先生はいつものように、僕に熱心に教えて下さる。そしてそれを僕は、必死で模倣する。


「終わったら来てね。キミの部屋で待ってるよ」


そしてそれを見ながら、シロが無表情に言った。


「……それで、昨夜の犯人は見つかったの?」


ピアノを終えて、一時間。昼ご飯を食べ終わった僕は、シロと自分の部屋にいた。母さんはお茶会とかで出かけたので、この家には僕一人だ。


「ちゅるる……犯人、というならそれはこの世界の人間ですらないと思うけどね、もぐもぐ。結論としては、目下捜索中、だよ。なんだかごめんね、協力してもらったのにこんなことでさ」


僕の昼ごはんだったミートスパゲティをすすりながらシロは言う。今更気づいたけど、シロは口を閉じたままでも喋れるようだ。


「それはいいけど……ねえ、一つ聞いていい?」

「なんだい?」

「その……向こうも『魔法』を使うんだよね?」

「うん、まあ、君たちにとっては『魔法』なんだから、おおむね間違ってないよ」

「それってさ、本当に、シロの世界の犯人が使ってるの?」

「? どういうことだい?」

「……ネットの記事なんだけど、ここ見て」


僕は立ち上げておいたパソコンのページをシロに見せる。そこには、テレビとかでは見せられないグロ画像。


「街中に捨てられた、大量の動物の死体? ……うわあ、酷いねこれ、バラバラじゃないか」


今朝からこの町を騒がしている、動物のバラバラ殺人。ビルの屋上から小学校の校庭まで、あちこちにばらまかれた動物の死体は、どれも地球上の動物とはかけ離れたオブジェになっていた。

たとえば、頭が馬で胴体が犬、とかなら序の口。ネットで探すと、ひよこの頭がサルの眼球の代わりになっていたりした。スパゲッティが逆流しそうになってそれ以上の検索は止めたけど、おそらくもっとひどいものもあるのだろう。

「まだ発表されてないけどさ、これって……人間も混ざってるんじゃないかな、と思って」

「……どうしてだい?」

「昨夜の化物が、二足歩行だったから……」

「ああ、なるほど。つまり君は、昨日のキメラとこの死体の関係に気付いたんだね?」


死体を動かしてキメラになるなら、そのキメラは死体になった何かのはずだ。逆算すれば、昨日のアレはすでに殺された何かと誰か、ってことになる。


「……わからないのは、昨日のはチリになったのに、こっちはそのまま残ってるってことなんだけど」

「ああ、それは……あれが成功例で、こっちが失敗例ってことさ。あの技術を免許も持たない初心者が使うと、死体だけが残ってこうなるんだけど……にしても、これは常軌を逸してるよ。作るための破壊じゃなくて、元から破壊されたものを作ろうとしているような……ごめん、僕も気持ち悪くなっちゃった」

「あ、うん、ごめん」


ページを閉じて、シロに向き直る。


「……で、『犯人』が僕の世界の人間じゃないって論拠はなんなんだい?」

「うん……結局さ、そっちの世界の犯人っていうのは、こっちの世界じゃ太刀打ちできない技術でこっちの世界を破壊したいんでしょ?」

「うん、まあそうなるね」

「でも、こんなことしてたら百年かかってもそんなの無理でしょ?」

「ふーむ……なるほどね……確かに、この世界は君たち人間が支配している。なのに、それ以外の生き物を利用しても、大した戦力にはならないだろうね」

「でしょう? だから僕、思ったんだよ」


一度言葉を切って、僕はシロに告げた。


「こっちに来た犯人って、もう既に死んじゃったんじゃない?」


八月六日。


――結論から言って、僕の予想は当たっていた。

 

「迂闊だったよ。僕の世界から来た犯人の、死体が見つかった。処理しておいたからこの世界に影響はないけど、君の言うとおりだったみたいだね。おそらく、君と同じように僕らの技術を持った人間が、この町にいる」

「そっか……」


考えてみれば、昨日のうちに僕へ襲撃がなかった時点で気づくべきだったのかもしれない。


「で、これからどうなるの?」

「もちろん見つけ出すよ。そして……気の毒だけど、全部忘れてもらうことになるだろうね」

「?」


シロの表情に、僕は少し違和感を感じた。

今、『気の毒だけど』って確かに言ったけど、それはどういう意味なんだろう。


「気の毒?」


それは、僕にとって当然の疑問だったと思う。悪いことをした奴は処罰されて当然なのに、警察官みたいなことをしているシロが犯人に同情するなんて、思ってなかった。だから、シロにそのことを尋ねると、


「……そっか。まだ言ってなかったね。僕らの技術の原動力……君はまだ、知らないんだった」


その表情に、少し不安になる。


「もしかして、取り返しのつかない何かだったり?」

「いや、そうじゃないはずだ。君の場合、ね」

「どういうこと?」

「僕らの技術はね、その生命体の『感情』が原動力なのさ。正確に言うと、感情が導く因果かな」

「……えっと、分かりやすくお願い」

「例えば『勇気』っていう感情を原動力とするだろう? すると、その技術を使えば使うほどその生命体は気弱になるのさ。するとその生命体が『勇気で切り開く未来』も同時に消える。その消えた未来からエネルギーが生まれる、っていうしくみなのさ」

「ふーん……なら、僕の場合は?」

「『不安』だよ。思春期だから、一番多い感情かと思ったんだけど……まずかったかな?」

「いや……別に」


魔法を使って不安がなくなるとか便利すぎる。ただ、感情を消す、と言うのもなかなか怖い。これからはやたらとつかうのは止めることにした。


「そう。でもあまり君に影響が出るようだったらすぐに代えるよ。で、まあ本題として、僕が同情した理由なんだけど……おそらく、犯人……いや、犯人を殺したもの、か。便宜上、『ターゲット』とするけど……それはおそらく、君と歳の変わらない子供だと思う」


悲しげに、シロは言った。その表情と声には、確信が見て取れる。


「……そういうのも、わかるの?」

「一応ね。原動力にした感情は、各個人固有の波の跡を対象に残すから。そこには、君たちの世界でいう指紋なんか比じゃない情報が残る」

「ふーん……で、その感情っていうのは?」


そこでシロは、一瞬僕に告げるのを迷うような表情をする。おおかた、僕に気を使っているのだろう。


「いいよ。言って?」


シロの考えるようなことはわかる。もしこれで僕がためらうようなら、自分一人でどうにかすればいいとかそんな感じ。こうしてシロを見てると、世間一般のアニメで危機として主人公を使役する妖精さんもなかなか外道なのかもしれないと思えてきた。


「恨みと、躊躇だったよ」

「……ってことは、使えば使うほど恨みが晴れて、ためらうこともなくなるってこと?」

「そう。君みたいに一瞬だけ使うならともかく、こんな記事になるくらい使っていたらもう持たない。どんな善良な生命体でも、とっくに悪に染まってる」


その言葉が、どうにも引っかかった。


「悪に染まる……ね」

「どうかしたのかい?」

「ん……言ってなかったけどさ、僕、その言葉が世界で一番嫌いなんだ」

「どうして?」


不思議そうな顔をするシロ。ここまでの付き合いで、シロがどんな性格なのかは大体わかる。


「だって……悪に染まる、って、『本当はみんないい人だけど、悪、っていうのがその人を悪くした』って意味でしょ? そういうの、無責任だと思うんだ」

人が悪いやつになるかどうか、じゃなく、その人が悪いかどうか、だと僕は信じている。

思えば、僕はどうして反論しているんだろう。こんなの、いつもの僕らしくない。ただ望まれたピアノを弾くように、誰かの求める旋律を弾けばいいだけなのに。


「そう……君がそういうなら、それがこの世界の価値観なんだろうね。悪かった」

「謝らないで。でも……分かってくれてありがとう」


シロは、本当にいい人なのだと思う。

だけどなぜか、僕はシロと一緒にいたくない。そんな気持ちに、僕は今日、初めてなった。


八月八日。


八月八日って何かの祝日だっけ、と毎年思うけど、実はとくに何の祝日でもない。

命日だ。

死んだのは、僕の兄。ピアノが上手で、あちこちで賞を取っていた、らしい。会ったことないから知らない。

なにせ、死んだのは僕の生まれる一年前だ。

遺影でしか見たことない僕の兄は、超人以外の何物でもない。今でも家には、生前の兄さんの記録を集めた部屋がある。ピアノコンクールの映像、それについての評価、好きだった曲、などなどが詰まった、母さんが毎日掃除する、ホコリひとつない死者の記録が詰まった部屋。

僕の生まれる前に歯車が止まったその部屋には、兄さんの勉強机とかも置いてある。そこにある教材を見るに、かなり頭のいい人でもあったようだ。

親族の中でも期待の星だった兄さんは、命日ともなると親戚一同集まって、墓参りをするくらいの影響力を今でも持っている。そしてそのあとはお決まりの食事会だ。


「……というわけで、今日は一日忙しいから」

「そっか、なら仕方ないね……ところで、君たちの文化に興味があるんだ。邪魔はしないからさ、一緒に行ってもいいかな?」

「捜査は?」

「ハカマイリ、っていう行為を見たら続けるさ。ハカっていうのがこの町にあるんだろう?」


シロは、まだ知らない文化を知れて楽しそうだ。まあ、墓を見て何が面白いのかはわからないけど、考えてみればピラミッドも古墳も墓だった。

そんな風に、理解を示したのが間違いだった。


「ふうん、センコウっていうのはこれのことか。てっきり僕は光に関係する物質かと思ってたよ。それにしても石ばかりだけど、装飾品は火を用いるものが多いんだね。いや、正確に言うと煙かな? ところで、何で魂は天に上ると考えられているのに死体は地下なんだい? それなら、死体も空に打ち上げた方が理にかなっていると思うんだけどな。あと、どうして水をかけるんだい? 掃除の一種なのかな、ねえねえ、黙っててないでよかったら教えてくれないか?」


異文化に触れたシロは、とてもうるさかった。あちこちをくるくる走り回り、しまいには余所の墓の卒塔婆まで蹴り倒していた。それだけならまだしも、それを自分で直したから余計悪かった。

僕以外に見えないシロがそんなことをしたら、一度倒れた卒塔婆が勝手に立ち上がったようにしか見えない。

祟られてしまえと何かに念じたのは生まれて初めてだった。


「孝之君、いま、卒塔婆が……」

「え? おじさん、どうかしたんですか?」

「いや……すまない。疲れてるみたいで……」

「孝之ちゃん、今、ひとりでにヤカンが動いたようだったんだけど……」

「風ですよおばさん」


終始そんな感じ。

そのあと僕が食事会に行くまで、気の休まる暇がなかった。


「孝之。今日は落ち着きがありませんでしたね。いけませんよ、そんなことでは」

「すいませんでしたお母様」


訂正。一日中、落ち着かなかった。


八月九日


我が家の恒例行事も終わって、普通の夏休みが帰ってくる、そんな日の昼下がり。


「やっと足取りがつかめたよ孝之! 今夜にでも、捕まえられると思う!」


窓からそんな風にやってきたのは、昨日僕に折檻されたシロだった。『ごめんなさいもうしません』と誓わせるまでには原稿用紙十枚くらいにわたる色々なことがあったけど、割愛する。いつか人類が進歩してシロの世界と交流を持つときに、きっと弊害になるから。

しかしそれはともかくとして、大事なのはターゲットの方だ。


「そう……じゃ、いよいよなんだね」


そう言って、僕は目の前の問題用紙に目を向ける。


「あれ、案外普通なんだね」

「これでも緊張してるよ。普通なふりをしてるだけ……でも、結局、僕はあまり働かなかったね」

「何言ってるんだよ。正直、君がいなかったらこんなに早く彼女の足取りはつかめなかったよ」

「……彼女? ターゲットって、女性なの?」

「うん、君と同じ十四歳の女子だったよ。……もう少し、聞くかい?」


その眼からはターゲットを見つけた興奮が消えて、同情するような色が見えた。


「いい。でも、名前だけ教えて?」


きっと不幸でかわいそうな、その子。でも僕は、その子に殺されるかもしれないのだ。だから、知るのは名前くらいでいい。そう思っていた。


「名前は、宮田 香奈。隣町の子だったよ」

「え?」

その名前が知り合いじゃなければ、もう少し違った反応をできたかもしれない。


八月十日


「ねえ……邪魔しないでよ、私は、この力でみんなみんなぶっ壊すんだからぁ!」


日付は変わって午前一時。僕の家から自転車で二十分の住宅街に、彼女はいた。

床に広がるのは、死体。

月明かりがやたら明るい廃工場。そこに集まった人間が、みんな肉片になっていた。

死体はみんな男ばかりで、彼女は女。転がる死体からは、臭い匂い。そして、工場の隅、ケージの中には動物がいっぱい。もしかすると虫もいるかもしれない。


「ほら……見て、すっごく汚いでしょう? こうして、こうすると! みんなこんな風になっちゃうんだ!」


指揮棒を振る指揮者、と言うにはあまりにもみっともない動きで、彼女は人間と動物を混ぜ合わせた。


「はい、かんせー! あはははははははは!」


作られたのは、人間を十個、そこにハムスターとエリマキトカゲとチワワとダックスフントを加えたゴーレム。

狂っていた。

あまりにもわかりやすく彼女は狂っていて、それでいて、僕のことを忘れていた。


「ねえ、宮田さん、僕のことを覚えてる?」

「ええ~? 誰アンタ。 私にはね、知り合いなんていないの! お父さんもお母さんも学校のみんなも塾のみんなもみんなみんなぐちゃぐちゃにしたの! ねえ、あなたの近くにソレがいるってことは、アンタもワタシも一緒でしょ? なら、一緒にこんな世界ぶっ壊そうよ! わかるでしょ? このチカラって、すっごく気持ちいいんだよ?」

「…………」


彼女とは小学校が一緒だった。けど、彼女は一度も体育の授業に参加したことがなかった。そして、いつも長袖の上着を着ていた。

やつれ、笑う顔には生気がない。

そして半袖の彼女の腕には、無数の痣があった。

それだけでもう十分だろう。僕と彼女が分かれて二年。どういう経緯で彼女がこうなったかなんて、どうでもいい話だ。きっと、どこかで聞いたような話が浮いてくるだけ。一山いくらの安い不幸でも、人はそこから逃げるすべを知らな――いや、違う。


世界には、不幸なんて一山いくらで溢れるほど行き交っているのだ。


そう思うと、僕のこの立ち位置もなかなか貴重。まるで道徳の授業みたいに、不幸と言う弾丸に被弾しなかった僕が自分の立ち位置をありがたがる。

不毛な話だ。他人の不幸を見て安心するだけの、最低な人間。大人はどうだか知らないけれど、僕ら子供はそういうのにまだ慣れていない。

慣れられる、訳がない。


「孝之……大丈夫かい?」


シロが、小さな体を勇猛に奮わせて立つ。けれど、戦うのは僕だ。むしろ、彼女とは戦いたい。そんな気持ちになるなんて、思ってもみなかった。


「大丈夫、僕に任せて」


言った途端、地面を割って現れるゴーレム。と言っても、大きさは神話程じゃない。せいぜい、プロレスラーとかそれくらい。問題なのはその内容で、おそらく人間が二つくらい合成されてできていた。

濃密な腐臭。

ゾンビのような、異形の化物が僕に腕を振るう。

そして魔法を発動させた。同時、化物の腕が炸裂して、その腕が四方に飛び散る。続く蹴り。そしてまた、足が炸裂してゴーレムが倒れる。


「な、なんで……」


この時初めて彼女がうろたえた。

たしかに、このゴーレムなら普通の人間は太刀打ちできない。けれど、僕の魔法はそういう次元にない。


僕の魔法は、反射。


力点の力を力点に返す、それだけの、魔法だった。

もとは護身用に開発された技術らしい。そして、シロの世界では全国民がこの技術を用いることで平和になった。


「ガアアアアア!」


犬の頭をしたゴリラが殴りかかってくる。猫の頭をしたカラスが噛みついてくる。二足歩行する何かが殴りかかってくる。そしてそれらを、僕はすべて反射した。


「何で……なんでよお……じゃま、しないでよ……」


その言葉に、僕は笑いそうになる。

邪魔?

僕は何もしていない。ただそっちからかかってきただけだろう、と言おうとして、気づいた。

涙をこぼす彼女の、震える体。

痣のしみついたようなその体は、


「ひうっ!」


僕が近づいただけで、おびえて後ずさるような、そんな弱い子のものだった。だというのに、この世界は彼女をどんなふうに扱ったのだろう。


「来ないで……お願い、いじめ、ない、で、もう、やめ、て……お願い、なんでも、するからぁ……」

「……っ」


吐き気がするようなあからさまな不幸。けれど、僕はそれを怨めない。だから、


「え……」


僕は彼女を抱きしめた。震える体を押さえつけるように、強く。


「離して……離してよぉ!」


顔を、背中を、殴られる。噛みつかれる。引っかかれる。けれどあまりに儚いその力が、僕を傷つけることはない。魔法なんてなくても、この程度なら耐えられる。

そしていつしか彼女の抵抗がなくなったところで、背後にいるシロに言った。


「シロ……これでいい?」

「……ああ、最高の出来だよ、孝之」


一条の光が瞬いて、僕と彼女を貫いた。それと同時、粒子みたいに僕と彼女の体から魔法が抜ける。

そこから先の記憶は無くて、気づいたら僕は家のベッドで寝ていた。


八月十二日


夢かと思ったけど、そうじゃなかったらしい。

あの後廃工場には通報を受けた警察官が駆けつけて、そこにいた彼女を発見した。衰弱していたことと、体中の痣、そして散らばっていた動物と人間の死体やらなんやらという状況のおかげで、彼女もまた、被害者の一人として扱われることとなった。

このあたりを騒がせた連続動物殺し改め未曽有の殺人鬼は、彼女が発見された夜を境に表れていない。


「本当にありがとう。それじゃ、僕はもう帰らないといけないんだ」

「……てっきり、二度と会えないと思ってたよ」

「そこまで薄情じゃないさ。もう一仕事、残ってるしね」

「仕事?」

「うん、でも、きっとすぐ終わるよ」


河川敷、図書館へ行く、と誤魔化して出てきた僕は、今、シロと二人きりだ。少年野球のチームが試合をしていて、快音が夏の空の下に聞こえる。

いい日だった。


「孝之」


シロの、声。もうすぐ二度と聞けなくなるかと思うと、少し寂しい。


「一つ……質問していいかな」

「何? 何でも聞いてよ」


シロの声は、真面目だった。その雰囲気にちょっと違和感はあったけど、僕はそれを無視した。


「君は女性なのに、どうして自分のことを『僕』っていうんだい?」


そして無視したことを、強烈に後悔した。

迂闊だった。シロの視線の先には、男女混合の草野球チーム。一昔前ならいざ知らず、今では女子でも野球位する。でも、その一人称は『わたし』であって、決して『僕』じゃない。


「……癖なんだよね、昔から」

「嘘だよ。それに、君のその『孝之』って名前。僕はそれが普通だと思ってたけど、その名前は男性用だ」

「……知らないの? この国には、ヒロミって名前の男の人だっているんだよ」

「だとしても、それがっていうのは……いささか常軌を逸してないかい?」

 辛そうに、シロは言う。

「……わかってるくせに」

 耐え切れずに、僕が折れた。

「…………すまない。触れるべきじゃなかったのかもしれないけど、もしかして、君のお母さんは……」

「ああそうだよ! 私を、お兄ちゃんの代用品としか見てないよ! 行ってる学校だって塾だってピアノだって、生活リズムだって友達の作りかただって癖だって口調だって全部全部お兄ちゃんのものだよ!」


叫んで、ここが河川敷だったのを思い出す。偶然なのかどうか、近くに人はいなかったけど、たとえ誰かいたとしても僕は叫んでいた。

そこへ、足音。和服を着た僕のお母さんが、日傘をさして立っていた。


「孝之。やっぱりここにいたのね? あなた、嘘をつくときっていつも目を左に逸らすんだもの。でもあなたのそういう素直なところ、お母さんはいいと思うな」

「お前が、お母さんとかいうぎゃふっ!」

「あら、どうしたの? 虫でもいた?」

「うん、気にしないで? ……あ、ごめん、ちょっと待っててくれる?」

「いいけど、どうしたの?」


そして僕は、踏む、踏む、踏む。


「靴の裏に何か……ついててさ。うん、取れた」


僕にしか見えないシロの血で、靴底が真っ赤になる。けれど、それはきっと僕にしか見えないから大丈夫だ。

少し気持ち悪いけど、僕が我慢すればいいだけの話だ。


「お母さん、重いでしょ? 荷物持つよ」

「あら、いいの? やっぱり男の子って力持ちね」

「はは、そんなことないよ……」


そして僕は、シロに背を向けて歩き出した。たぶん死んではいないだろうけど、生きててほしいとも思わない。

一度だけ僕が後ろを振り返ると、そこにはもう何もいなかった。安心した僕が前を向くと、何故か母さんが足を止めて、傘を落とす。


「――え?」


そこにいたのは、鏡だった。


「孝……之?」

「そうだよ、母さん」


兄を名乗る誰かは、僕と姿が一緒だった。

僕と同じ学校の制服で、髪の長さも、物腰も全くいっしょ。なのに、声だけが違う。

直感で分かった。これは、シロの世界の魔法で作った偽物だと。


「え……嘘、何で? あなたは、ここに……ううん、ごめんなさい孝之。あなたは、こんな子じゃなかったわね」

「そうだよ、母さん。何言ってるんだい。そいつは妹のたかゆ」


本気だった。

僕は、気づけば落ちてた大きな石でそいつを思い切りぶん殴って、そして同時、誰かに頭を殴られた。

しまったこいつも僕と同じ魔法を、と思った瞬間、僕の体はそのまま土手を転がり落ちて、うつぶせになる。意識は、まだあった。


「僕だよ、孝之」


そして、目の前にウサギみたいな小動物。


「シロ……! お前、なんで……!」

「それはこっちの台詞だよ。どうして邪魔するんだい? 僕は、君の母親の本当の姿を見せただけなのにさ」

「本当の……姿?」

「そう、上を見てごらんよ。母と息子の感動の再会さ」

「え……」


そこにあったのは、地獄のように美しい光景だった。


母さんが、涙を流して喜んでいる。そしてその前には遺影でしか見たことないお兄さんがいて、母さんの手を引く。そして車道に導かれた母さんの頭上に、丸太。


「あ……」


けたたましいブレーキ音とともに、人間がつぶれる効果音。『勝手に』飛び出した母さんは、急ハンドルでよけようとしたトラックの荷台からこぼれた丸太に潰された。


「死刑執行、完了。これより帰還します」


シロがそう呟いて、僕を見た。その眼はあまりにも冷たくて、同時に何か、別のものを見ている。


「一つ言っておくよ、孝之」


もうわけがわからない。僕は、私は僕はもうこれからどうすればいい? 母さんを失えばもう何も残らない僕は、いったいこれからどうすればいい?


「君はね、彼女と同じ地獄にいたんだ。けど大丈夫、彼女みたいに狂気に屈しなかった君なら、これからいくらでもやり直せるよ。なんだったら、君の今までの記憶も消してあげようか? それくらいなら容易いけど」

「え……」

「うん、きっとその方がいいね。あの女は、取り返しのつかないことをしたんだ」


そう言って、光が僕の頭を覆っていく。


「おねがい……やめて……シロ、ごめん、謝るから……だから……」

「奪わないで、って? 何言ってるんだ、君は、最初から全て奪われていただろ?」

「お……ね……」


――僕が魔法使いだった夏。


その終わりはあまりに早く、そして、何も残っていなかった。僕は、魔法みたいな技術を手にしたところで何をすべきかわからない。つまりは僕はその程度で、


「……すまない、何より先に、僕は君を救うべきだった」


――結局は、それだけの話だ。

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僕が魔法使いだった夏 ほひほひ人形 @syouyuwars

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