第2話 1922年の手紙

 私の所属する植物応用制御研究室には週2回ゼミがあった。火曜日は論文紹介、金曜日は研究発表ゼミで進捗の共有が行われる。教授一人、助教授一人、助手一人、私を含めて十人の学生がおり、論文ゼミ研究ゼミともに約2ヶ月で一巡する計算だ。

 GW明けは、同期である修士2年M2の研究ゼミからだった。しかし、彼が就活で休むため、代わりに私が担当することになっている。私のテーマは植物の生育を促進させる天然物の作用機序の解明だ。前回から約2か月の間に行った研究成果、そして今後の研究目標を話す。

「以上で私、久世くぜの発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」

 30分にわたる研究発表のあと、質疑応答へと移る。最前列に陣取っていた人物が手を挙げた。博士1年D1、谷山先輩だった。4月に他大学から編入してきた人物で、この研究室では唯一のドクターだ。

「正直まあ、久世さんも自分でわかってるだろうから、言うのも野暮だと思うけど。研究目標の見通しが甘いんじゃないかな」

「……そ、それは」

 先輩の指摘はもっともだった。私とて、スライド作成のときに最後まで迷っていた部分だ。図星だからこそ言葉に窮してしまう。

「学部生のときから同じ研究テーマなんだっけ。データも蓄積されてるし、作用機序の経路も見通しが立ってるわけでしょう。代謝経路の解析くらいは記載してもいいと思うけど。博士に行くんなら残り一年でテーマをさらに詰めて、ある程度区切りをつけるべきだよ。やること目白押しなんだから」

「……」

 怒涛の正論ラッシュで、タコ殴り状態である。しかし一つだけ、谷山先輩は勘違いしている箇所がある。正していいものかどうか迷うが――。

「あ、いえ……で、でも私は……」

「ん? なに?」先輩が首を傾げる。

 私が言葉に詰まっていると、助教授が助け舟を出してくれた。

「久世さんはまだ博士行くか決めてないんだよ」

「え?」先輩は目を丸くする。「そうなの? 就活してるように見えなかったけど」

「それは、その……」私は俯いたまま呟く。「まだ、進路を決めてなかったから」

「え……この時期に?」

 顔が熱い。きっと鏡を見れば真っ赤になっているに違いない。先輩が驚くのももっともだ。現に他の同期は去年からずっと就活に勤しんでいる。


 ゼミが終わり発表の片づけをしていると、谷山先輩が近づいてきた。

「まだどっちか決めかねてるんだ?」

「あ、はい。そうなんです」

「公務員志望とか?」

「そういうわけでも、ないんですけど……」

「就職ならさすがにもう動かなきゃ厳しいでしょ。別に意地悪で言ってるわけじゃなくてね。それに、博士課程に進むなら早く決めておくに越したことはないよ。実験計画もあるでしょ」

「そう、ですよね。あはは……」

 先輩の言う通りだ。私たちを取り巻く就活事情は厳しい。この時期に進路を決めかねているのは私くらいだ。

(でも、やる気になれないんだよね……)

 それはきっと、今の研究生活が好きではないからだ。何かヴィジョンがあってこの研究室に入ったわけではない。なんとなく研究して、なんとなく勉強して、なんとなく日々を生きている。だから、進むべき未来がわからない。

(……とはいえ、さすがに進めないとまずいよね)

 私は研究棟を抜け出し、大学の駐車場へ向かう。研究室にはコアタイムがなく、予定がなければ好きに抜けられた。

 軽自動車で国道を走らせること二十分。やって来たのは隣町の古書店だ。就活本を中古で買うという行為に、既にやる気のなさが表れている……。

 店内は、饐えた古書特有の埃臭さが漂っている。目論見通り、実用書コーナーには就活本が置かれていた。適当に2冊ほど見繕ってカウンターへ向かう。

 ふと棚に並ぶ本の背表紙を見れば、ミステリやSFが並んでいた。

(クリスティとかクイーンだ。懐かしい……)

 高校まではそれなりに小説を読んでいた。そのせいもあって進路選択では最後まで文系か理系か悩んだが、結局は数学が得意だったので理系へ進んだ。大学に入ってから小説を読む機会はめっきりなくなっていたけれど……。

(……ん? あの本って)

 周りと比べて一際ぼろい古書が目についた。表紙を見て、驚いてしまう。黒岩涙香『八十萬年後の社會』、ウェルズの『タイムマシン』の翻案小説だ。

(初めて見た! 高校の頃に読みたくて、結局は読めずじまいだったなあ)

 中を捲くってみると、昔の本で改行もないため読みにくい。買おうかどうか迷っていると、床にはらりと何かが落ちた。

「んん? なにこれ?」

 それは絵葉書だった。表にはモノクロの橋の写真が、裏には文が書かれている。万年筆で書かれたのであろう流麗な筆致だった。漢字も平仮名も達筆すぎて、何度か読み返してようやく内容がわかった。


未来へ

届いておりますでしょうか。過去からの唐突なお手紙をお許しくださいませ。

時が流れ、其方の世界はどう変わられましたか。文明はどれほど発達しましたか。街並みはどのように移り変わりましたか。人々の生活はどんなに豊かになりましたか。大きな災厄を乗り越えられておりますか。そちらの世界がどうなっているか、齢14の貧相な頭では想像すら及びません。

もしこの手紙が届いておりましたら、是非お返事を頂ければと思います。

かしこ 日隈恵子


「……なにこれ?」

 顔を顰めてしまう。宛名の未来へ、という書き方がまずよくわからない。裏面左上の切手には1922年5月と消印が押されていた。

(1922年……大正って15年で終わりだよね。とすれば大正13年くらいかな?)

 『八十萬年後の社會』自体は大正2年内校と記されていた。とすれば当時の絵葉書が挟まれたままになっていたのだろうか。ただ、それにしては気になる点がある。

(本に比べて葉書きが綺麗すぎるよね……)

 絵葉書は状態が良く、字もはっきり読み取れる。果たして大正時代に書かれた絵葉書がここまで品質を保てるだろうか。

(となると……ふふっ。手の込んだ悪戯をするなぁ)

 思わず笑みがこぼれていた。この手紙の主の目的が、私にはわかっていた。『タイムマシン』の翻案小説、そして「未来へ」と書かれた宛名――つまりこの日隈恵子なる人物はこう企てたのだ。この本はタイムマシンであり、大正時代と現代を繋げている。時空を超えて手紙のやり取りをすることができる、と。

 時を超えて手紙が繋がる、小説や漫画で同じシチュエーションは見たことがある。文面を信じるならば相手は14歳。そういう悪戯をしたくなる年ごろかもしれない。

(でも、この大きな災厄を乗り越えられておりますか、ってのは何だろう? もしかして関東大震災のこと? 確か震災は1923年だから手紙の前……。こらこら、ちゃんと時代設定を守って送らなきゃダメじゃない……)

 古本屋でこの本を開き、手紙を見つけ、その趣向を理解する。そんな人物に巡り合う確率は一体どれほどだろう。

 折角なのだし、乗ってあげようと思った。私は手帳を破り、メッセージを書いた。

(大正時代っていうと……どんな発達ぶりかな? ええと、始まりは……)


過去を生きる日隈様へ

初めまして。私は2022年を生きる者です。古書店であなたの書いた手紙を偶然にも見つけましたので、お返事します。日隈様の時代から文明は大いに発達しております。街に立つのは天を突くかのような巨大な建築物。劇場で見られるのは現実と見まごう色鮮やかな活動写真。作物は、虫や病気に強いものが工場で大量生産されております。未来はとても良い場所です。ぜひ時が来るのを楽しみに待っていてください。

2022年5月9日 久世春緒


「うう、ひどい字だ……」

 日隈さんの手紙と比べると字が稚拙すぎる。それに勢いだけで書いたから、内容も稚拙だ。特に、未来はとても良い場所です――だなんて。一体どの口が言えるのだろう。自分の将来すらわかっていない人間が。

 私は絵葉書を抜いてメモを本に挟み、それを棚へ戻した。就活本を持ってカウンターへ向かおうとしたところで、足を止める。

「……まさかね」

 一度戻した本を、再び引っ張り出す。仮に、もし仮にだけど、この本が本当にタイムマシンで、私の手紙が時空を飛び越えていたらどうしよう――そしてそこには、過去からの返事が挟まっているのだ。ほんの少しだけ期待して本を開く。

 しかし、そこに私の手紙は残ったままだった。

「……あはは、そうだよね。馬鹿みたい」

 少しでも期待してしまった自分が急に恥ずかしくなる。仮にも理系大学院生が空想と現実をごっちゃにするなんて。そんなんだから進路も決まっていないのだ。

 そう言えば、挟まれていた過去からの手紙(という体だけど)は果たして持ち帰って良いものか。前の所有者の挟み忘れとはいえ、一応はお店の人に断った方がいいだろう。カウンターの中の老店主へ声をかける。テレビを見ていた店主は立ち上がり、けだるそうな足取りでやって来た。

「そっちの本は二冊で900円、葉書は300円ね」

「あ、はい」

 お金はしっかりとるんだ……。今更になって断るのも恥ずかしいので素直に払うことにした。

 店の外へ出れば、五月晴れの空から日差しが降り注いでいた。手にした300円の戦利品を見ると思わず笑みがこぼれる。就活本を買うというまったくテンションの上がらない行動だったが、なかなか楽しめた。

「……さてそれじゃあ、明日から頑張ろうかな!」

 就活本を読み始めるのは明日からでいいだろう。なぜなら今日は「買う」という一つの大きなイベントをこなせたのだから! 

 ……自分でもわかってる。こんなんだから、未だに進路未定なのだ。

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