第349話「努力という価値」


「不安です・・・」



岩船先生の自宅にお邪魔している村上友彦は、座卓を挟んで向かい側に座る岩船佳奈美に不安をぶちまける。


最近はご無沙汰していたが、年も明けて1月。


入試も間近に迫ってきたということで、久しぶりに岩船先生に会いに行ったわけだ。



「そりゃ、合格するまでは不安なものだろ」


「それはそうなんですが・・・これで本来のパフォーマンスを発揮できなかったら・・・って思うと」


「そのために余裕を作るんだろ?」


「余裕・・・ですか。そんなもの作る余裕なんてありませんよ」


「自分の力量なんて、自分で計れるものではないんだよ」



そう言う岩船先生の言葉は、もっともな意見。


受験勉強を本格的にやり出して、もう半年以上。


半年前の自分に比べたら、格段に成長しているのは実感できる。


だけど同時に、まだ目指す明坂大の合格ラインには立てていないとも思う。


今自分が、どれだけの能力があるのか。


どれだけの力を発揮できるのか。


それは、やってみないと分からない。


つまり、どんなに勉強しても、不安が拭いきれるわけではない。



「俺にできることは、万全を期すことなんですかね」


「間違ってはいないな」


「やっぱそうですよね」


「そう心配することはないさ」


「多分、今までの努力を無駄にしたくないって感情が大きくなって、それが不安になってたんだと思います」


「そうか。でもな村上。努力と結果っていうのは、別物だってことを理解しとけ」


「報われない努力はないって言葉、あるじゃないですか」


「大抵は報われないものだ。社会なんてそんなものだぞ」


「そ、そうなんですか」


「とはいえ、努力が無意味ってわけではない。ただ、努力と結果はイコールじゃない」


「そんなもんですかね」


「何の努力をしなくても、成功する人は成功する。村上が受験する大学なんて、私がやればノー勉でも合格することができると思う」


「それは、岩船先生が教師であり、そこに至るまでの努力があったから・・・」


「私が村上ぐらいのとき、1日に2時間ぐらいしか勉強してなかったぞ。それも、受験勉強を始めたのだって10月とか11月とか」


「そ、そうだったんですか?」



3か月か4か月ぐらいしか受験勉強をしていないということ。


それも、1日2時間程度。


どう考えても、人並み以下の勉強量。



「それで、旧帝大に合格している」


「え、岩船先生旧帝大出身なんですか!?」



そこに驚きだ。



「あくまで合格しただけだ。入学したとは言っていない」


「なら、どこの大学行ってたんですか?」


「私の出身校はどうでもいい。でもな、同じ大学でも、並々ならぬ努力をして入った奴もいれば、私みたいに何の努力もせずに入った奴もいる」


「だから、努力と結果は別物ってことですか?」


「そうだな。まぁ考え方としては、努力に価値を置かないことだ」


「な、なるほど・・・?」


「今まで頑張ってきたんだから、絶対合格するぞ! っていうのが、努力に価値を置くことだ」



ありがちな意気込みだが、それがダメというのだろうか。


合格という結果を目標に、今まで努力をしてきた。


その努力を無駄にしたくないというのは、生まれて当然の感情だと思う。


岩船先生の言うことは、時に理解不能だ。


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