第289話「演じていても、それは大切な人」
「先輩は優しい人なんですね」
「違うと思うよ」
「どうして?」
「多分純粋に、蒼のことを大切にしたいと思っていたから・・・」
ただの優しさだけで、怒りは抑え込めるものではない。
何か特別な理由がない限り、エネルギー量が多い怒りが勝ってしまう。
俺と蒼が同じ部屋で暮らし始めて、いろんな弊害があった。
性別が違うということで、その弊害は同性よりも明らかに多かったはずだ。
価値観の違い。生活習慣の違い。
自分と他人で違うのは当たり前の話だが、人は違うことに対して、人はストレスを感じてしまう。
それが臨界に達したとき、そのストレスという燃料で怒りが爆発してしまう。
俺が蒼に対して、臨界を超えなかった理由・・・。
それはもう、蒼が特別に大切な人だと感じているから。それ以外にないのだと思う。
もちろん喧嘩だってすると思う。仲が良ければ、何でも言い合えるよしみなら。
でも、俺と蒼の関係は、微妙な距離感だ。
もしかしたら、その微妙な距離感が、うまく作用してくれたのかもしれない。
ただ大切に思っているだけで、好意とは別物のような、そんな距離感。
「先輩は、私のこと好きになってくれたんですか?」
「それは違うような気がする。でも、確実に言えることは、大切な存在であること。ただそれだけ」
「なんか腑に落ちないですね。もうちょっと良い言い方あると思うんですよ」
「なんかごめん。でもさ、蒼だって俺に怒りをぶつけてきたことないよね?」
これまでに蒼と喧嘩をしたことがない。
それはつまり、蒼から俺に対しても、怒りをぶつけてきたことがないということ。
「そう・・・だったかな?」
三永瀬蒼。この人と出会ってから、彼女の色んな性格を見てきた。
どれが本物で、どれが偽物なのか。
それは、未だに分からない。
現状の性格が、本物なのだろうか。
それとも、今も偽物を演じているのだろうか。
「蒼って、ちょっと怖いイメージがあってさ」
「どうして?」
「最初は物静かで大人しそうな感じだった。だけど、グレた蒼があらわになって、それが本当の蒼なんだと思った。でも、今はそうじゃない。一番最初の、物静かな感じでもない」
今の蒼は、最初に出会ったときの性格とは明らかに違う。
言葉にすることは難しい。何と言うか、明るくなったような・・・。
「先輩が言っている、一番最初が私の性格ですよ。むしろ、グルにいるときの私は演じた私です」
「え、じゃあさ、今も演じてるってこと?」
「違いますよ。これも素の私です」
「俺から見ると、出会った頃の蒼とはちょっと違うように見えるんだけど」
「うん・・・多分、先輩がいたからこうなったんだと思います。先輩のおかげで、毎日が楽しいから」
楽しい日々が、人の性格を明るくした。ということだろうか。
蒼からそう言われると、思わず照れてしまう。
そうして微笑む蒼のことを、いつまでも見ていたいって、そう思った。
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