第38話 解決の後で





 その晩、私達は泥だらけで帰宅した。

 全員、くたくただった。

 交代でシャワーを浴びて一息つくと、私達はささやかな祝杯を挙げた。


 定義さだよしは、帰りに病院に寄って検査を受けさせた。だが、肋骨にヒビが入っていた他は大きな怪我もなく、後遺症が出る心配も無いとの事だった。

 ひとみは、上司からこっぴどく叱られ、減給一か月の処分を言い渡されたそうだ。でも、あまり反省している様子はない。


 テレビでは、私達が捕らえた二人組について報道していた。

 あの二人組は、警察が睨んだ通り、犬や猫の不法投棄を請け負う不法業者だった。これまでの犯行についても素直に自供しているそうだ。

 ちなみに、泰十郎が蹴とばした大男は、昔、ボクシングの日本ランカーで、ランキング二位まで上り詰めた実力者だった。私が捕まえた男もまた、剣道三段の腕前だった。インターハイでは個人戦で準決勝まで勝ち進んだ程の手練れだったらしい。


 瞳の話によると、瞳の兄の優海ゆうみ先輩は、テレビで泰十郎たいじゅうろうの話題を目にしてしまった。それで再び、打倒泰十郎に燃えているそうだ。今は空手の猛特訓に明け暮れているらしい。また、蹴り飛ばされて大怪我をしなければ良いのだけど……。



 ★


 翌、日曜日は、山狩りが予定されていた。だが、私達が犬を追いかけまわした話が知れ渡っていたせいか、警察と猟友会は方針を変え、犬を捕獲する事にしたそうだ。彼らも、罠や網を使って十匹近い犬を捕まえたらしい。


 さて、保護した犬達であるが、とりあえずは県と市の動物愛護センターが預かる事となった。泰十郎が、熊本中のサバイバルゲームコミュニティーに呼び掛け、三日の内に、五匹の犬の引き取り手が決まった。地元のテレビ局も協力をしてくれた。そのおかげで、残りの犬達も、あちこちから引き取りたいと話が来ているらしい。


 そんなこんなで犬達は、どんどん引き取り先が決まっている。誰にも引き取られず、一番、処分される恐れがある犬は、市の保健所で保護されている一匹だけになった。

 それは、私と戦い、泰十郎に噛みついたシベリアンハスキーだった。


 ★


 犬捕獲作戦から、丁度、一週間が経過した。その土曜日、私と真子さんは保健所に向かった。シベリアンハスキーを引き取る為である。


「しつこいようだけど、本当に良いんですか? ジャンジャン、噛みついてきますよ」

 保健所の職員が、念を押すように言う。


「良いんです」

 私は押し切って言った。


 私は再び、シベリアンハスキーと対面した。犬は私を見るなり、檻の中で唸り声を上げまくっている。


「真子さんは下がってて」

「でも、危ないわよ」

「これは、どうしても私一人でやらなきゃいかん気がするけん。お願い」

「わかった。じゃあ、本当に気をつけてね」


 私は真子さんと言葉を交わし、意を決して檻の中へと入った。


「大丈夫。大丈夫だよ。怖くないよ。君をいじめたりなんかしないから」


 言いながら、犬へと歩み寄る。

 私はそっと、犬を撫でようと手を伸ばす。その途端に、腕をガブリとやられる。ビニールテープでぐるぐる巻きにしていたから怪我こそしていないが、結構痛い。それでも、私は気合いと根性で、犬を抱きしめた。

 私は、真子さんから教わったやり方で、繰り返し撫で、声をかけ続ける。何時間もずっとそうしていたら、犬は徐々に、心を開いてくれた。

 不意に、ペロリと、頬を舐められる。するとなんだかホッとして、涙が滲んできた。


 私は、引き取ったシベリアンハスキーに、

「ガム」と、名付けた。牙が無いからだ。ガムは、一度心を開くと、とても私に懐いてくれた。



 ★



 犬を引き取った夜の事だ。


「ごめんなさい。急で」

 お米を研ぎながら、真子さんが言う。


 私は思わず、切っていたジャガイモを手から落としてしまった。ジャガイモは床を転がり、庭へと落ちる。そこにすかさずガムが食らいついて、ジャガイモが一つ台無しになる。


 真子さんは、翌日の日曜日に、東京に帰ると言い出したのだ。


「そんな急に……」

 私は言葉を失った。


「そんな悲しそうな顔、しないで」

「でも、真子さん。心配だよ。真子さんはまだ万全って訳じゃないでしょ。それに、寂しがり屋だし」

「うん。ゴメンね。でも、いつかは帰らなきゃならなかったし。いつまでも、さっちゃんに甘えている訳にはいかないでしょ」

「そ、そんな事、気にせんで良いとに」


 真子さんは、少し困ったように微笑みを浮かべる。


「姉ちゃん、行かせてやろう。真子さんを困らせたらいかんよ」


 定義に言われ、私はシュンと肩を落とす。


「本当に、戻っても平気? まだ、ちょっと心配なんだけど」

 私はシュンとして言う。


「ううん。どうだろう。やっぱり、引き籠ったりは、しちゃうと思う。すぐに働けるようになるとも思えない。でも……」

「でも?」

「死ぬのは、当分やめる。さっちゃんは、意外と泣き虫だから」

「うん。それで良いよ。なんでも上手に出来なくて良い。人と上手く喋れなくても。生きてさえいてくれたら、私はそれでいいと」


 くすりと、真子さんが笑った。


「まるで、過保護なお母さんみたいな発言ね。私の方が年上なのよ?」


「見た目は、姉ちゃんの方が年上だけどね」

 定義が口を挟み、笑う。


 私は定義に、計量カップを投げつける。


「でもその前に、最終試験ね。どれぐらい上達したか、見せて貰わなきゃ」

 真子さんはお玉を手に、不敵に微笑んだ。


 ★


 料理の最終試験が始まった。

 私は、肉じゃがとオムライスを作ってみた。出来栄えは、結構良いと思う。肉じゃがは、真子さんの教えに従って、ちゃんと砂糖一、酒二、醤油三の割合で煮込んだ。隠し味には鰹節かつおぶし昆布茶こぶちゃの粉末を使ってみた。オムライスだって、卵の焼き方を工夫したから、ふんわりした食感になっている筈だ。


 私達は食卓を囲み、食事に手を合わせる。すっと箸が伸び、真子さんが肉じゃがを口に運ぶ。可愛らしい口がもぐもぐ動き、箸は、もう一度肉じゃがへと伸びる。

 まだ、真子さんは何も言わない。


「どう? 真子先生」

 私は、我慢できずに感想を求める。


「ううん……さっちゃん、この肉じゃがは……」

 微妙に、真子さんの顔が曇る。


「もしかして、不味かった?」

「なんてね。美味しいよ。とっても」

「もう。真子さん意地悪!」

「あはは。ごめんなさい。でも、これなら合格よ。さっちゃん、きっと良いお嫁さんになれるよ」


 そんな風に、私達は夕食を囲んで笑う。それぞれ、さまざまな気持ちを胸に押し込んで……。




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