第35話 クレイジー野郎はやりたい放題やる






 泰十郎たいじゅうろうは、酷くダルそうな様子で大男と睨み合った。


「ねえ、君、アニメ好き?」


 ふいに、泰十郎は言う。

 大男は、泰十郎の問いかけが意味不明過ぎて困惑の表情を浮かべる。


「何言ってんだ? お前……」

「あ、そう。全然、面白くない」


 二人は言い合って、押し黙る。

 この緊迫した状況で、泰十郎からは一切の力みが感じられない。それでいて姿勢は良く、体幹もしっかりしている。理想的な、武術的脱力だといえる。一方で、体格は、大男の方が二回り程大きい。大男にも、油断の色はない。


「気を付けて! そいつ、とんでもなく強いから……」


 私は叫んだ。だが、泰十郎の目は虚なままだった。

 もう、深い感応状態に入っているのだ。


 小屋の空気はピンと張り詰めている。この私でさえ、少し怖いぐらいだ。小屋の隅の犬達も、黙って様子を見守っている。気当たりは、主に大男から滲み出している。対する泰十郎からは、なんの威圧感も感じられない。


「ワン!」

 不意に、犬が鳴く。


 その瞬間、二人は素早く踏み込んだ。

 ジャブ、ストレート、ボディフック。大男は、三回の連撃を繰り出しす。


「お。おお。おおおっ!」


 何故か楽しそうに、泰十郎は最小限の動きで攻撃をかわす。

 大男は最後に、鋭い右ストレートを放つ。攻撃は唸るように、泰十郎の胸元へと伸びる。

 流れるように緩やかに、泰十郎は右腕を潜る。

 ずん。と、泰十郎が床を踏み、カウンターの蹴りを放つ。それは、とても低い体勢から繰り出される、特殊な後ろ蹴りだった。泰十郎の切り札である。


「ハイセンス!」


 叫びながら放った攻撃が命中。大男の鳩尾から、ドパン! と、不自然な衝撃音が響き渡る。

 大男は派手に蹴り飛ばされ、軌道上にあるはりで後頭部を打って空中で一回転。尚も止まらず宙を舞い、小屋の壁に叩きつけられ、落下した。


 長い静寂が残された。


 たった一撃で、大男は気絶していた。

 私も、犬達も、驚いて固まっている。


「泰十郎、あんた、手加減……」

「したよ? 手加減したから吹っ飛んだんだ」

「え……?」


 私は言葉に詰まる。泰十郎の言う理屈に関しては今ひとつ解らないが……とにかく、クレイジー野郎なりに手心は加えたらしい。


「さて、と」

 泰十郎が言い、大男に歩みよる。


「待ちなさい! 追い打ち禁止。もう、気絶しとるでしょう。立ってもいない相手を殴るのは、武士道に反しとる!」


 私はすかさず叫んだ。今日こそは、馬乗りパンチを阻止しなければ。


 泰十郎は、暫し立ち止まる。

 やがて、彼は何かを思いつき、ポンと手を打つ。次に、這いつくばっている大男を小屋の隅に運び、角に、ほうきを立てかけるようにして立たせた。


「よし」

 泰十郎は、上機嫌でナイファンチの構えを作る。


「待て! 何が『よし』、か!」

 私は再び叫んだ。



 ★



 泰十郎は仕方なく、箪笥をどけて私を救出してくれた。


「大量破壊兵器、ね……」

 私は、泰十郎を眺めて呟いた。


「は? 何が」

「ううん。なんでもない。それよりも……定義さだよし!」


 私は小屋から飛び出して、定義に縋りつく。定義は、地面に大の字で倒れていた。


「馬鹿だけん。なんで逃げんと」

 そう言って、定義を抱き起す。


「痛い痛い痛い。姉ちゃん、アバラ」

「あ、ごめん」

 私は慌てて手を放す。


 すると、泰十郎がおもむろに手を伸ばし、定義の状態を確認してゆく。


「ああ、これは多分、アバラやられとるね。まあ、動けん事は無いだろうけど。後で一応、病院に連れて行った方が良いね」

 泰十郎は言う。


「後で? それで大丈夫なの?」

「ああ。アバラなら、俺も高校の時にやった事があるけど、普通に学校にも行きよったけん。アルバイトも出来ると思うけど。それに目もしっかりしとるけん、もう少ししたら動けるだろう」


 泰十郎の話を聴き、私は少し冷静さを取り戻した。泰十郎は武術歴が長いので、骨折や脱臼にも対処できる。おまけに、職業は整体師だ。その泰十郎が言うのだから、どうやら、命に別状はないらしい。


 ならば、まだ、私にはやるべき事がある。


「……小屋の中の大男をよろしく。縄で縛ってから、その後は定義をお願い」


 私は、竹刀を引っ掴んで立ち上がる。


「は? さっちゃん、どこ行くんだ」

「まだ、もう一人犯人がいるけん」

「だったら俺が……」

「ううん」


 言い合って、私は背中越しに振り向く。


「ごめん。私には、信念がある」


 呟いて、私は駆け出した。



 ★



 私は一人、山頂を目指して走った。

 獣道は、落木や石ころだらけで進みづらい。流石に、身体中疲れてきた。でも、足を止める訳にはいかない。

 もう一人、犯人が残っている。あの男はきっと、まだこの山に居る。

 定義から聞いた話によると、山の裏側は大規模な土砂崩れを起こして崖になっている。だとしたら、さっき山頂へ向かった痩せた男は、迂回路を探す為に戻って来ざるを得ない筈だ。


 山道は、静かだった。黙々と行く私の息遣いだけが耳にまとわりつくようだ。徐々に、先程の闘争の痛みも引いてきた。


 ひらりと、木の葉が落下する。


 私は立ち止まり、獣道の先を見据える。そこにはもう一人の犯人がいた。痩せた男だ。

 やはり、戻って来た。

 ピタリと、痩せ男は足を止める。

 私達は、暫し、静かに睨み合った。


 男は、傍らに目をやると、茂みから手頃な棒きれを探り当てた。そして何度か、素振りを繰り返す。

 立ち姿、足運び、技の切れ。

 剣術の、心得がある……。

 男の素振りを見て確信した。男は棒きれに満足すると、それを手に、私に歩み寄って来た。その足は、ギリギリ剣の間合いの外で止まる。


 私たちは何も言わず、互いに、構えを作った。



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