第34話 姉と弟





 やられる……。

 覚悟したその時だ。


「ぬしゃ、男んくせに女ば!」


 定義さだよしが、怒り狂いながら小屋に飛び込んできた。

 ドカリと、強烈な体当たりが、大男を襲う。大男は両腕で身を固め、体当たりを防御した。が、衝撃で数歩、後ずさる。


「姉ちゃん!」

「定義。気をつけて。そいつ、強いけん」


 私と定義は言葉を交わす。定義は、私の状況を目にすると、怒りを漲らせた。


「うおおっ! ぬしゃ、コラ! うちの姉ちゃんに何しよるかぁっ!」


 怒声を発し、定義が仕掛ける。

 突進からの籠手、面、胴、からの突き。素早い連続攻撃を、大男へと繰り出す。

 大男は、最初の籠手と面を恐るべき体捌きで回避する。そして胴はがっちりとガードを固め、上半身全体で受ける。バチっと、派手な音がしたが、まるで効いている感じがしない。そこへ、決め技の突きが迫る。完全に決まるかと思われた瞬間に、ぐっと、大男の身体が沈み込む。

 突きを潜られた。

 交差するようにして、ドシ。と、鈍い音がする。


「ぐああ!」


 定義が、苦痛の声を上げる。カウンターのボディブロウを貰ったのだ。大男は更に踏み込む! 追い打ちに、大ぶりのパンチが三回、定義の頭部に叩き込まれる。どれも、見るからに強烈な攻撃だった。

 定義は、防御しきれず竹刀を叩き落され、床に崩れ落ちた。

 

「さ、定義!」

 私は悲鳴混じりに叫ぶ。


 定義の突きをかわすなんて。まるで、突きを読まれていたかのような動きだった。あの大男、対、剣術の経験があるとしか思えない。それに、いくら何でも腕が立ち過ぎる。何者だ? それにやはり、定義は剣に頼り過ぎている。剣を持つおごりが仇になった。あれ程、言ってきた事なのに……。


「まだ、ばい」

 定義は、よろよろ立ち上がる。


 弟は、再び竹刀を引っ掴み、上段の構えを作る。それは、定義の得意の形だった。


 途端に、二人とも動かなくなった。張り詰めた息遣いが、小屋に充満する。双方、一撃で決めるつもりなのだ。

 嫌な沈黙が支配している。気迫が、頬に突き刺さるようだ。

 刹那、定義が、半歩前進する。

 タイミングを合わせ、大男が定義に距離を詰める。

 大男は、カウンターのボディフックを振り抜く。が、それは外れた。今度は定義が機をずらし、攻撃を誘ったのだ。

 好機!

 それを逃さず、定義は渾身の面を振り下ろした。だが……。

 バチリ! と、乾いた音がした。

 竹刀は小屋のはりに当たり、跳ね返ってしまった。構えが高すぎたのだ。

 大男は、定義の隙を見逃さなかった。

 ジャブ、フック、アッパーカット。攻撃は全て、定義の顔面を捕らえた。

 肉を打つ、嫌な音が響き渡る。


 ドサリと音がして、定義は、再び倒れ伏した。もう、とても戦える状態ではない。それなのに、大男は戦闘態勢を解かない。


「やめなさい!」

 私は叫んだ。すると大男が踵を返し、今度は、私に狙いを定めた。


「うるせえな」

 大男が吐き捨てる。そいつは私を見下ろして、唾を吐き捨てた。

「お前等、自分が正しいとか思ってるだろう? な。高そうな道着や竹刀を買える奴等がよ」

 言いながら、大男は太い腕を伸ばし、私の髪の毛を掴む。私には、男が言っている事が、よく解らなかった。


「なにをポカンとした顔をしてるんだよ。ああ? お前等が正しいなら、なんで俺達はまともな仕事にありつけねえ。どうせ、ろくに選挙にも行ってねえんだろ。お前等は、何も問題を見ねえ。本当は、正しい事なんてどうでも良いからだ。だから、見るべき事を見ず、やるべき事もやらねえ。望み通りの世界だろ。だったら、被害者面してんじゃねえぞ。覚悟の上の無関心だろうが」


 大男の目に、強烈な怒りが浮かぶ。私は、大男の言葉を聞いて、やっと、彼が何を言おうとしているのかを、理解した。


 対世界という言葉を聞いた事がある。この大男にとって、世界は悪だ。そして、世界に住まう私達は敵なのだ。彼の人生は、それ程までに孤独で、誰一人、味方になってくれる人がいなかったのだろう。

 そう。

 ケンゴ君が、世界の何もかもを憎みかけていたように。あの少年も、いつ、対世界に陥ってもおかしくはなかった。

 だとしたら、私は……。


なんば、自分の都合の良かごつ言いよるか!」

 定義の手が伸び、大男の足首を掴む。


「姉ちゃん、こんな奴の言う事、間に受けたらいかんばい」

 定義が言う。大男は、いら立ちを込めて振り払う。


 ドカ、と、定義は顔面を蹴りつけられて、床を転がった。


「効かん、ばい」

 だが、定義は拳を握る。そして再び立ち上がる。とても戦える状態ではないのに。

 弟は見るからにフラフラで、立っているのもやっとだった。


「お前が、全部間違っとるとは、言わん……。でも、本当にそう思うなら、どうして戦わん! 仮に世の中悪くしとる奴が居るなら、諸悪の根源ば探し出して、ちゃんと叩きのめせば済む話だろうが。こんな所で何しよるか。お前は逃げて、流されて言い訳しよるだけばい。真子さんは、戦っとるぞ。どんなに不幸でも、誰のせいにもしとらん!」

 言った定義の口からは、血が滴っている。

「かかって来いよ、糞野郎」

 重ねて、定義は言う。


 思わず、私の目に涙が滲む。


「馬鹿、逃げなさい! もう良いけん。早く逃げろ!」

 私は泣きながら叫んだ。


 悔しい。箪笥の下敷きになっただけで動けないなんて。私にもっと力があれば。もっと剣術が上手だったら……。


「うおおお!」

 よろめきながら、定義が踏み込む! なんと、今度は素手で、大男に殴りかかった。無謀に過ぎる。


 大男は大きなためを作り、渾身こんしんのカウンターストレートを叩き込む。

 攻撃は綺麗に命中。定義は大きく殴り飛ばされて、小屋の外へと姿を消した。


「クソガキが……」

 大男は定義を追い、ゆっくりとドアの向こうへと姿を消した。


「やめて。もうやめて! お願いだけん」

 私は悲鳴を上げる。


 どうしよう。定義が死んじゃう。

 絶望が胸を満たした時に、それは起こった。


 ドカリと、音がした。

 次の瞬間、大男が、まるで突き飛ばされるような形で小屋の中に転がり込んで来た。


 何が起こった?


 見上げると、小屋の入り口に、見知った男が姿を現した。藤原ふじわら泰十郎たいじゅうろうだった。


泰十郎たいじゅうろう……」

「定義君、頑張ったね」


 言いながら、泰十郎は小屋へと踏み込んで来る。

 完全なる真顔だった。

 私は、その表情を何度か見た事がある。泰十郎が、本気で怒った時にだけ見せる顔だ。


 ゆらりと、大男が立ち上がる。


「舐めやがって……」

 大男の目に、更なる鋭さが宿る。そいつはゆるりと拳を上げ、ファイティングポーズを作った。



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