第33話 東城里子は追い詰める






 ぬかるむ獣道を駆け抜けて、倒木や石ころを飛び越える。顔には蜘蛛の巣が張り付くが、それもお構いなしに進む。

 走って走って、私達は獣道を下りきった。私は登山口へと辿り着き、眼前に軽トラックを捕らえる。だが……。


 突然、木陰から、二匹の犬が飛び出した。犬は唸り声を発して、私達に襲いかる。一匹は、真っすぐ私に飛び掛かって来た。 

 私は咄嗟に、竹刀を振り抜いた。

 攻撃は命中。

 竹刀は犬の頭に当たり、乾いた音が響き渡る。同時に、犬が『きゃん』と、鳴く。

 突然の事だったので、躊躇ちゅうちょできなかった。犬は怯んで距離を取り、牙を剥き出して威嚇する。


「行け。姉ちゃん! 犬は、俺がなんとかするけん」


 定義さだよしが飛び出して、犬の注意を引く。すると、私を狙っていた犬は、すぐに定義へと飛びかかる。定義は、真子まこさんを守るように竹刀を振り回し、犬を追い散らし始める。


「何してるの。早く行きなさい!」


 真子さんも叫ぶ。真子さんは、背負っていた網を構えて犬の隙を伺っている。


 私と瞳は、駆け出した。

 私は、すぐに軽トラック目前まで迫った。その距離は十メートル程。その時、二人の男がこちらに気付いた。奴らは慌てて車に乗り込んで、エンジンをかける。

 自動車が、急発進する。だが、遅い!


「待て!」


 私は軽トラックの前に飛び出して、道を塞ぐ。すると犯人は急ブレーキを踏んだ。

 鋭いブレーキ音が響き、軽トラックは横滑りする。その勢いで、後輪が道路脇の側溝に嵌る。

 軽トラックは、完全に動きを止めた。


「降りてきなさい!」

 瞳も、軽トラックに立ち塞がり、大声で言う。


 暫しの沈黙の後、軽トラックのドアが開き、二人の男が下りて来た。

 一人は、背が高くて体格の良い大男。もう一人は、痩せ型で目つきが悪い中年男性だった。二人共、お揃いの繋ぎを着用している。一目で、真っ当な人間では無い事が察せられた。それは見てくれよりも、彼らの放つ独特の雰囲気が、そう感じさせたのだ。


「警察よ。聞きたい事があるから、一緒に来て貰うわ。何を聞かれるかは、もう解ってるわよね」

 瞳が言う。


「はあ、そうですか。わかりました」


 二人の男は妙に慇懃いんぎんで、素直に従うかと思われた。だが……。


「まったく、暑い中走らせないでよね」


 そう言いながら瞳が近づいた時、突然、大男が瞳を両手で突き飛ばした。瞳は飛ばされて、尻餅を衝く。


「痛……!」

 瞳は苦悶の声を上げる。それを尻目に、男達は走り出した。


「待ちなさい!」


 私は慌てて追いかける。男達は、登山口方向へと走って行った。その先には、真子さんと定義がいる。


「待て、ぬしゃ、コラ!」


 定義さだよしが叫ぶ。その右手を犯人へと伸ばすが届かない。反対の腕は、犬に腕を食いつかれて引っ張り回されている。定義は、横を通り過ぎる男二人を見送る事しか出来なかった。


「わああ! 定義君を離せえ!」


 瞳が網を振り上げて、定義に噛みついている犬に飛び掛かり、押さえつけた。お陰で、定義は犬から解放される。


「行きなさい、定義君!」

 瞳が叫ぶ。


 見ると、真子さんはもう一匹の犬に網を被せ、必死に押さえ込んでいる。犬は網越しに暴れ、真子さんの肩に食らいつこうとしている。その首に腕を回し、真子さんは、必死で犬を抱きすくめる。


「さっちゃん、行きなさい!」

 真子さんも、声を張り上げる。


「でも、真子さん……」

「行きなさい。行けえええ!」

 再び、真子さんが叫ぶ。


 私と定義は、真子さんと瞳を残して駆け出した。


「く」

 定義が足を滑らせて、転ぶ。

 私は定義を追い越して、男達の背中を追う。男達は、山道をどんどん進んで行く。随分と、体力のある連中だ。


 やがて、犯人達は中腹の小屋へと辿り着いた。大男の方は、そこでやっと、息を切らして足を止める。大男は、動けなくなって小屋の壁に凭れ掛かった。

 痩せた男は何かを言い残し、大男を置いて先に行ってしまった。


「……ここまでよ」

 私は大男に追いつくと、背負った竹刀を抜き、それを正眼に構えた。


 大男は何も言わず、私を睨みつけた。改めて見ると、随分と背の高い男だ。丸刈りの頭の側面には、雷を思わせる剃り込みが入っている。見るからに、強面って感じだ。

 大男はゆっくりと小屋の扉を開ける。そして、薄暗い部屋の奥へと後ずさって行った。

 少し、嫌な予感がする。

 私は不安を押し殺し、大男を追って小屋に入った。


「……なんのつもり? 一度だけ言うけんね。馬鹿な事やってないで、降参しなさい」

 私は言った。


 大男は、おもむろにファイティングポーズを作り、ステップを踏み始めた。妙に、様になっている。ボクサーなのだろうか?

 どうやら、話し合いは通じそうにない。

 私は竹刀を下段に構え、摺り足で間合いを詰める。

 大男は強い威圧感を放っていた。身長は、百九十センチ程だろうか? 対する私の身長は百六十センチに満たない。一発でも攻撃を貰えば、敗北は必至だ。


 突然、大男が踏み込んだ。


「シッ、シッ!」


 呼吸に合わせ、連続でジャブが襲い掛かる。私は紙一重でかわし、腕に籠手を打ち込もうとした。だが、命中寸前で攻撃は外れた。

 この男、かなり出来る……。

 私達は再び間合いを取る。互いの機先を探り合う形となった。

 怯えた犬達が、部屋の隅で吠え立てる。私と大男は睨み合いながら、部屋の中を半周回る。私は緩やかに構えを変化させ、上段の形を作る。


「やああああ!」


 私は意を決して気合を発する。そして一気に間合いを詰め、大男に打ちかかる!

 面を狙うと見せた抜き胴。得意の連続攻撃を、大男は上半身の動きとステップワークで回避する。その流れで、大男は鋭く踏み込む。

 ドスン。

 胸に右ストレートの重い衝撃がはしる。続いて、頭を狙ったアッパーフックが迫る。

 避けられない……。

 私は、咄嗟に竹刀の柄で受けた。だが、衝撃で弾き飛ばされ、背後の箪笥に叩きつけられた。

 吠えていた犬達が、驚き、黙る。


「ぐ」

 思わず、苦痛の声が漏れる。直後、箪笥たんすが倒れて来る。私は背中に衝撃を受け、次の瞬間には、箪笥の下敷きになっていた。

 じゃり。

 這いつくばる顔の前、大男の足がにじり寄る。箪笥が重い。上手く、呼吸できない。まるで身動きが出来ない。油断などしていないのに……。


「ああ、あれだ。理不尽だと思ってるだろう。自分より腕利きの人間に出会うと思わなかったか?」

 大男は呟くように言う。


 何も言い返せなかった。大男が言う通り、私は自分の腕前を過信していたのだろう。まさか、これ程の使い手と出会うとは思いもしなかった。

 大男は、私の竹刀を拾い上げ、数回、素振りをしてみせた。だが、気に入らなかったらしい。大男は竹刀を部屋の隅に放り投げてしまった。


「やっぱ、止めはこっちだな」


 大男は握り拳を作り、思い切り振り上げる。太い腕が、私めがけて打ち出された。



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