第31話 来栖真子は耳を澄ます





 私達は、城南じょうなんの山を目指して一時間の道程を行く。

 南へと進むにつれ、熊本市街の町並みには緑色が増え、やがて、田園の風景が広がる。緑川みどりかわを越えると、視界はぐっと開けて、空の高さが実感された。六月なのに晴れ渡っており、前方の直線には逃げ水も光っている。

 もう、かなり暑い。車内は冷房が効いているからまだ良いが、山に入ったら、暑さにやられていまうだろう。かといって、長袖を脱ぐ訳にもいかない。犬の牙は、決して侮れない。念の為に、お店に寄って飲み物をたくさん買っておく必要がありそうだ。


「ゆっくり進みなさい。ムカつくけど、大量破壊兵器を投入しておいたから」


 ひとみが意味不明な事を言う。何の事だか問いただそうかと思ったが、やめた。どうせ、ろくな答えは帰ってこないだろう。

 私は一応、瞳の言葉に従って、自動車をゆっくりと走らせた。


 後部座席では、瞳が「にゃあ、にゃあ」と、猫の真似をして定義にじゃれついている。真子さんが言うと可愛いだけなのに、瞳がにゃあにゃあ言うと、軽く虫唾が走る。

 何故だろう?


 ★


 やがて、私達は目的地に辿り着いた。途中、コンビニエンスストアで飲み物と保冷剤を買ったから、暑さ対策もばっちりだ。

 私は山沿いの路肩に自動車を停める。そして自動車を降り、目当ての山を見上げる。


 それは山というよりも、大きな古墳とか、丘のようだった。私が想像していたよりは、ずっと低くて小さな山だ。少々荒れた雰囲気がある。多分、長年放置された里山だと思われる。


「じゃあ、行くけんね」

 私は、皆と頷き合った。


 分け入った山道は、蜘蛛の巣だらけだった。獣道があるにはあるが、所々、ぬかるんで滑りやすい。折れた木の枝や岩もあり、とても歩きにくかった。


 途中、不思議な場所を通過した。テニスコート八つぐらいの範囲を、目の細かい網がぐるりと取り囲んでいる。多分、泰十郎が言っていた、サバイバルゲームフィールドだろう。フィールドの隅には手製のベンチとテーブルがいくつか置かれており、テントも張られている。


「これがそう?」

 私は定義に問う。


「うんうん。サバゲー面白いけん。その内、姉ちゃんもやってみるたい」

「うううん。やめとく。暑そうだし」

「ダイエットにもなるけど? 俺の知り合い、サバゲーやって一日で、体重が四キロ減ったって言いよったよ」


 定義の言葉を聞いて、私はピタリと足を止める。


「やっぱ、なんか楽しそうね」


 私が言った瞬間に、瞳と真子さんが笑い声を上げた。


「あ、そういえば、山の反対側は大雨のせいで崩れとるけん、山頂には上がらんようにしよう」

 定義が、思い出したように言う。


 定義によると、山崩れは相当酷く、範囲もかなり広いらしい。人間はおろか、動物でさえ、到底、侵入できそうにないとの事だ。


「ふうん。じゃあ、探す範囲がだいぶ狭まるね」

 私は定義に同意する。


 私達は、それから数分、黙々と歩き続けた。そうして、ちょっとだけ開けた場所に辿り着く。


「どう?」


 真子さんに問う。すると、真子さんは皆に沈黙を促し、目を閉じて耳を澄ます。

 五秒、一○秒……。

 二○秒程の沈黙を経て、真子さんは目を開けた。


「まだ、ちょっと。気配はあるけどかなり遠いわ。もう少し進みましょう」

 真子さんは淀みなく言う。


 真子さんは、自分の半径一キロぐらいであれば、音で、何が起こっているのか察知する事ができるのだそうだ。でも、それはいくらなんでも耳が良すぎる。そこまでいったら特殊能力ではない。最早、超能力だ。

 とはいえ、私は真子さんを疑う気にはなれなかった。彼女の目には嘘の淀みはなく、その足取りにも、一切の迷いがない。真っ直ぐ、目的地に向かう時のそれだ。なにより、私は真子さんを信じている。


 私達は真子さんに従い、また暫く、斜面を進んだ。


 山の中腹辺りに差し掛かると、小さな木造の小屋があった。小屋は荒れ果てていて、何年も人が入った形跡が無かった。

 私は、小屋の扉に手をかける。扉には鍵がかかっておらず、簡単に開いた。

 かびこけの匂いが鼻を衝く。小屋の中には大昔の農具や大型の箪笥たんすがあるだけで、がらんとしていた。


「犬を捕まえたら、一旦、ここに連れてきて保護しよう」


 私は提案する。仲間達に異存は無かった。

 私達は、小屋を後にして、再び蜘蛛の巣だらけの山道を進み始めた。


「待って」

 突然、真子さんが立ち止まる。


「何?」私は疑問を口にする。

「静かに」


 真子さんに言われ、私達は息を潜める。


「足音がする。近づいて来た。こっちよ」


 真子さんは山道を逸れて、険しい斜面を登り始めた。私には、まるで何も聞こえなかったのだが……。

 私達は真子さんに従い、その背中を追った。長い斜面を上がり、やや開けた場所に辿り着く。すると、真子さんが急にしゃがみ、木陰で息を潜めた。私達も、慌て身を低くする。

 私はしゃがみ歩きで進み、静かに真子さんと肩を並べる。真子さんは、二十メートル程先の木陰を指さした。


 犬がいた。

 私は、驚きを新たにする。本当に犬を探し出してしまうとは。やはり、真子さんの異常聴覚は、本物らしい。

 犬は七匹か、八匹ぐらい確認できた。網で捕まえるには数が多い。どうした物か。

 すっと、真子さんが立ち上がる。


「ダメよ、真子さ……」


 真子さんは私の静止を聞かず、犬達の前に歩み出た。


 一匹の犬が、ピクリと耳を動かして顔を上げる。

 真子さんに気付いたのだ。


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