第28話 東城里子は決意する






 ★


 翌、水曜の晩も、真子まこさんと定義さだよしは工作をしていた。


「ただいまあ」

 玄関に入るなり、

「出来た!」

 定義の声が聞こえる。


 居間に入ると、定義は得意気に網を掲げていた。仕上がった大網は見るからに大きくて頑丈そうだ。もしかしたら、大型犬も捕らえられるかもしれない。直接、手に取って力を入れてみても、ビクともしない。とても良い出来栄えだと思える。


 真子さんも、別の網を完成させつつある。私も、着替えて工作に加わった。

 軽くて、素早く振り回せて、且つ、丈夫で犬に怪我をさせない。目指したのは、そんな道具だった。

 物作りもまた、楽くて豊かなものだ。


「出来た!」


 私も網を完成させる。我ながら、良い出来だと思える。

 そうして、私達は、全部で五つの大網を完成させた。たくさん作ったから、一つや二つ壊れてもなんとかなるだろう。

 あと、必要な物はロープとか、ドッグフードぐらいだろうか? だが、真子さんは既に、それらの道具も用意していた。


「ふふ。土曜日が楽しみね」


 真子さんが、楽しそうに網を構える。なんというか、いかにも天真爛漫てんしんらんまんで、可愛らしい姿である。


 日曜日には、猟友会が山狩りを予定している。私達は、その前日に山へ行き、一匹でも多く犬を捕まえて保護する。そういう計画だ。

 名付けて「犬捕獲作戦」。上手く行くかどうかは分からないけど、やるからには全力でやるつもりだ。


 ★


 作業を終えて夕食の支度をしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。


「来たわよ。さ、定義君は?」


 訪ねて来たのはひとみだった。

 ちょっと、目が血走っている。何日も定義に会っていなかったから、辛抱たまらんのだろう。


「瞳。遅くにどうしたと?」

「あんたが犬の事教えろって言うけん、来てやったとでしょう!」

 瞳は、我慢しきれずそう言って、家に上がり込む。


「定義くうん!」


 飛びつくようにして、瞳は定義の腕に絡み付いた。


 ★


 私達は、夕食がてら、瞳から大雑把な事情を聴いた。


 警察は、防犯カメラに写っていた写真から、すぐに軽トラックの持ち主に辿り着いたらしい。だが、持ち主はなんと、横浜警察署に所属する警察官だった。その警察官の話によると、軽トラックは二ヶ月程前、何者かに盗まれたのだそうだ。盗まれてすぐ盗難届を出し、アリバイもあるらしい。つまり、その警察官は、連続噛みつき事件とは無関係だという事になる。

 となると、横浜で軽トラックを盗んだ何者かが熊本までやって来て、城南じょうなんの山に犬を捨てた不法業者である。と、考えるべきだろう。

 そこで、熊本県警がやる事は一つだ。盗まれた軽トラックが再び熊本に姿を現した時、盗んだ犯人ごとトラックを検挙する事。


 だが、ここで警察には頭の痛い謎が立ち塞がった。


 謎とは、江津湖で起きた二件の噛みつき事件の事だ。

 まず、犬を不法投棄する連中は、盗んだ軽トラックで城南じょうなんの山に向かい、犬を大量投棄したと考えられる。

 ただ、その場合、江津湖に犬が現れた理由が解らない。城南の山と、江津湖にはかなりの距離があるからだ。犬が城南から江津湖まで歩いたとは、考えにくい。


 そこで考えられるのは、犯人が複数存在する可能性だ。

 例えば、防犯カメラに写った軽トラックは、山に犬を捨てるグループ。そして、江津湖には、そのグループとは違う別動隊が犬を捨てたとする。これならば、一応は、江津湖で起きた噛みつき事件の説明は成り立つ。

 しかし、この推理が正しい場合、警察は軽トラックを検挙しにくくなる。城南に現れた連中を逮捕したら、別動隊は逃げ去り、捕まえる事が出来なくなるのだ。検挙するのは容易いだろうが、捕まえるべきか、泳がすべきか……。


「もうね、八方塞がりなのよ」


 瞳は語り終わり、愚痴を漏らす。一方で、私も答えを持ち合わせていない。


「ねえ、里子。あんた頭の良い知り合いでもおらんと?」

 瞳は言う。


 私は少し困ってしまった。

 答えを出してくれそうな知人は、居るには居る。だが、その人に連絡をする事が、少し躊躇ためらわれたのだ。私は以前、その人に酷い事を言ってしまった。それだけではない。私は、私の心と向き合う事を恐れていたのだ。


 ふと、目を移した縁側には、真子さんの竹刀が置かれていた。竹刀のつかには、薄く血の跡が滲んでいる。真子さんの血だ。真子さんは、弱いくせに馬鹿みたいに勇敢で一生懸命だ。豆が潰れても、竹刀を振り続けたのだ。


「結局、臆病なのは私……」

 私は呟くと、一人、席を外して外に出た。


 ★


 私は、近所をとぼとぼ歩き、さいとう橋の真ん中で足を止めた。

 手には、携帯端末。そこに表示された名前を見て、小さく溜息を吐く。


 桑本くわもとはる。画面には、その名前が表示されている。この後に及んで、私は電話をかけ渋っている。


 なんとなく、視線が湖岸を捉える。そこは、真子さんが大型犬と戦い、毎日竹刀を振り続けた場所だ。真子さんが必死で月の花を探し回り、命を絶とうとした場所でもある。

 私は真子さんを叱りつけ、生きる事を強要した。そんな私が、どうして、怖気付いて良い理由があるだろう。

 

 私は意を決して、電話をかけた。

 一回、二回……。

 三回目のコールで、彼は電話に出た。


「……東城とうじょうさん。五月に、墓参りをして以来かな」


 電話口の声は、穏やかに言った。




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