第27話 来栖真子は白状する





 ★


 翌、月曜から、私はまた仕事だった。

 市役所は、相変わらず忙しかった。六月だから転出入の件数はやや少ないが、暇なら暇で他部署の応援に回される。もう少し人手が欲しいところだが、愚痴を言っても仕方がない。市のお財布事情はカツカツなのだ。


 お昼休み、私は持参した手作りのお弁当を、一人でこっそり食べた。お弁当について、同僚達から何か誤解され、からかわれるのが嫌だったのだ。ともあれ、お弁当のオムライスと肉野菜炒めはとても美味だった。真子さんが作ったのだから、当然ではある。


 ★


 夜、仕事を終えて自宅に戻ると、真子まこさんが庭で竹刀を振っていた。昨夜、私があげた道着を着込んでいる。その立ち姿は、私が竹刀を振る時よりも様になっている気がした。

 真子さんは、いつになく汗だくで、私が帰った事にも気が付かなかった。

 教えた事に、真剣に取り組んでくれている。その事が、少し嬉しかった。

 私も道着に着替え、真子さんと肩を並べて竹刀を振り始めた。横目で真子さんを見やると、真子さんは小さく頷いて、素振りを継続する。

 私達は、唯、黙々と竹刀を振った。


「く」

 真子さんが、息を切らして膝を折る。

 私は、真子さんに手を差し伸べた。だが、真子さんはよろめきながら立ち上がり、再び竹刀を振り始めた。その華奢な腕が、足が、震えている。それでも歯を食いしばり、真子さんは竹刀を振り続ける。


「あ」


 真子さんは、やがて本当に限界を迎えて、縁側に倒れ込むようにして、力尽きる。私は、何か言おうかと思ったが、真子さんは息を切らし過ぎていて、話になりそうもない。

 そこで、私は冷蔵庫から冷えたお茶を出し、グラスに注いで真子さんの許に運んだ。真子さんは、お茶を受け取ってぐびぐび飲み干す。まだ、息を切らしていた。


「あの……」真子さんは言う。

「うん」私は言う。


 真子さんは、暫し咳込む。


「剣に命を全部乗っけて、何かに、ぶつかるって……こういう事、なのかな」

「うん。そうかもね。どうだった? ぶつかった感想は」


 真子さんは、縁側でごろりと仰向けになり、私を見上げる。


「悪く、ない。です」


 真子さんはからりと笑った。


 ★


 翌、火曜の晩も、真子さんは竹刀を振っていた。この夜は、定義さだよしも縁側から真子さんを指導していた。


「摺り足もしっかり。そう。腕じゃなくて体幹で剣ば振る!」

 定義は得意げに言う。

 なんというか、偉そうな態度が無性に鼻に衝いた。


「見とらんで、あんたも竹刀ば振りなっせ」

 私は、定義の背後から膝カックンを仕掛けてやった。


 私も着替えを済ませ、庭に出て竹刀を振り始める。真子さんも定義も、程よく汗をかき、ほんのりと顔がほてっている。だけど、私達は笑顔だった。出来るなら、私達のこの習慣がいつまでも続いてほしい。そんな気がしていた。


「えい、えい。二〇〇、二○一、二○二……! 真子さん、肩が下がっとるよ!」

「はい」


 三人、肩を並べて二百回以上竹刀を振る。暫くすると、私は、縁側の下に何かが隠してある事に気が付いた。


「ん?」

 素振りを中断してしゃがみ込む。


「あ、それ……」


 真子さんが、ちょっと慌てた様子で言う。

 縁の下から引っ張り出してみると、それは、網だった。網には細工が施されており、二重に補強されている。


「何、これ?」

 私は、真子さんに問う。


「え、その。なんというか……」

 真子さんは口籠った。


 ★


 私は、居間で腰を下ろし、真子さんを問い詰めてみた。


「犬を捕まえる? これで?」

 私は真子さんの話を聞き、唖然として言った。


 真子さんは、山狩りが始まる前に城南じょうなんの山へ行き、犬を捕まえて保護するつもりだったらしい。その為に、真子さんはホームセンターで魚釣り用の大きな網を買い、それを別の網で補強していたのだ。

 だが……。


「いや、これじゃあ、無理よ。いくら何でも……」

 そう言わざるを得なかった。網は、あくまでも魚用だ。サイズは小さくないが、暴れる犬の力に耐えられるとは、とても思えない。


「でも……」


 真子さんは、しゅんとした。しかし、これではっきりと解った。

 真子さんはお姫様だ。年齢こそ私より二つ年上だが、その中身はまだ、世間知らずのあどけない女の子なのだ。多分、長年引き籠っていたり、友人が少なかったせいもあるだろう。


「真子さん……山は広いとよ。滑ったり、険しかったりして危ないし、迷うかもしれん。犬に出会うかどうかも分からんと。出会っても、一匹ずつ出て来るとは限らんとよ。一斉に襲い掛かられたら、どうするつもりだった?」

「それは考えていなかったけど……でも、私は耳が良いの。物凄く、耳が良いのよ。だから、必ず犬を見つける事は出来ると思うの」

「見つけて、真子さんはどうなると?」

「私は剣道も習ったし……だから、一匹でも、二匹でも、助けられるなら助けたくて。だって、さっちゃんも本当は助けたいと思ってるでしょう」

「それは……そうだけど」


 私は言葉に詰まった。

 確かに、真子さんの言う通りだ。私だって、助けられるなら犬を助けたい。でも、真子さんのやり方で上手くいくとは、どうも思えない。困った事に、真子さんは真剣に、出来ると考えている。


「じゃあ、仕方にゃあね」

 定義が言い、腰を上げる。弟は網を手に取ると、それをまじまじと眺めた。


「でも、真子さん。犬の力ば舐めとるよ。これじゃあ、一発で壊れる」

 弟は言う。すると真子さんは項垂れる。


「だけん、網ばもう一枚重ねる必要があるね。それに、枠ももっと補強した方が良い。持ち手も木材で補強して、針金でガッチガチに固めたら、多分、中型犬ぐらいならいけると思うけど」

 言いながら、定義は網の補強を始める。


 真子さんの目に、希望が浮かんだ。


「定義」私は呟いた。


「それに、三人なら、なんとかなるかもしれんたい?」


 定義は、あっけらかんと笑う。全く、真子さんも、定義も……。

 私は、観念して、定義と肩を並べる。


「真子さん、材料はこれだけ?」

 私は、網を手に取って、その強度を確かめる。


「ううん。まだ、沢山買ってあるわ。すぐに持って来る」


 真子さんは、すぐに縁の下から沢山の材料を引っ張り出してきた。

 こうして、私達は三人で肩を並べ、ああでもない、こうでもないと、夜遅くまで工作をした。




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