第25話 来栖真子は質問する
真子さんがお風呂から上がり、私も交代でお風呂に入った。定義は、自室でオンラインゲームに熱中している。どうやら、泰十郎とインターネット通信で、協力して遊んでいるようだ。
お風呂を出ると、真子さんが私の剣道着にアイロンをかけていた。
「あ、ごめん。気を遣わせちゃって。そん事、自分でするとに」
「ううん。私がやりたいと思った事だから」
そう言って、真子さんはアイロンがけを終える。私は道着を受け取って、ピタリと動きを止める。
「あ、ちょっと待ってて」
私は真子さんに言い、二階からある物を引っ張り出してきた。
「ねえ、真子さん。ちょっとこれ着てみて。私が中学生の時に着てたやつだけど」
私は古い道着を手渡した。真子さんは受け取って、楽しそうに道着に袖を通す。サイズはピッタリだった。真子さんは小柄だから、やはり、小さい道着の方がしっくりくる。
「やっぱり、白の方が良いね。似合っとるよ。その道着、真子さんにあげる。良ければ練習の時に着てほしい」
「わあ。本当に? さっちゃんありがとう」
「なんか、お古でごめんね」
「ううん。凄く嬉しいわよ。なんだか、剣士になった気分」
「真子さんは剣士だよ。この私が教えてるんだけん。きっと、凄く上達すると思う」
言い合って、私達は笑い合う。真子さんは、鏡の前でくるりと回った。
★
その夜中、私は眠れずに、ずっと考え込んでいた。
私も、定義に負けないぐらい熊本が好きだ。剣道も、
でも、少しだけ、淋しい時もある。
私には恋人がいない。真子さん程、誰かを深く愛した事もない。真子さんの悲しみを、本当の意味では理解できないかもしれない。
私が思うに、真子さんはとても勇敢な人だ。彼女はたった一三歳で、大好きな人に想いを伝え、恋を勝ち取った。それだけじゃない。彼女は闘争術も心得ていないのに、一人で大型犬に立ち向かって、かおりちゃんを守り通したのだ。
本当は、気が小さくて、弱くて、誰にも本心を伝えられないのは、私だ。剣術を身につけて、防具や木刀で武装して尚、私は弱い。
「ねえ」
暗闇の中、ふいに真子さんの声がする。真子さんは、お布団に包まって微笑を浮かべていた。
「……なあに」
私は素っ気なく言う。
「さっちゃんは、好きな人はいるの?」
私は答えられなかった。正直、その質問を恐れていた。だから息を殺し、沈黙を返す事しか出来なかった。
「ごめんなさい」
真子は、何かを察して言う。
「ううん。謝らんで。どう、答えたら良いか、解らんかっただけ」
「解らないって?」
「昔、好意的に見ていた人は、いたと思う。でも、それが恋愛感情だったのか、自分でもよく解らんと」
「昔って、どれぐらい?」
真子さんに問われ、私は記憶を紐解く。それは痛くて、かけがえのない記憶だった。
「小学校とか、中学校の時かなあ。
「うん」
「それでね、私にもましろちゃんって親友がいたと。それが物凄く可愛らしい娘で、優しくて、品があって、頭も良くて。真子さんに少し似てたかな。私は、ましろちゃんの事が大好きだったのね」
「うん」
「それで、泰十郎の幼馴染君と、ましろちゃんは仲が良くて。でも、二人共内気だったけん、表立って付き合ったりはしてなかった。けど、見とったら、すぐに両想いだって解って」
「それって、三角関係って事?」
「ううん。ちょっと違うかな。私は、大好きな親友を好きになってくれる人が居て、嬉しかっただけ。親友のましろごと、その人の事を気に入っていたって感じかな。それって恋愛感情なのか、ちょっと、判断に困るでしょう?」
「確かに、複雑な話ね。でも、告白とかはしていないのよね? 友達だったのかしら」
真子さんは言う。
私は暫し、自問する。本当に、それは恋ではなかったのか? 私は、ましろに遠慮して、本心を押し殺していただけではなかったのか?
「どうだろう。勿論、私にだって彼氏がいた事はあるとよ。大学の時に三か月ぐらい付き合って。でも、どうも気が合わなくてすぐに別れちゃったけど。今の職場でも、優しくしてくれる人とか、食事に誘ってくれる人は居ると。でも、なんでかな。一人で竹刀を振ってる時とか、落ち込んでる時とか、思い出すのはいつも、泰十郎の幼馴染君の事だった。好きとは違うと思うんだけど。自分でも、よく分からんと」
私は声色に気をつけながら、慎重に、言葉を並べた。ちなみに、優しくしてくれる人は妻子持ちで五十代の上司だ。たまに食事に誘ってくれる人には、とても綺麗な彼女がいる。しかも、誘われる時はだいたい、私以外の女子も一緒だったりする。
ちょっと、真子さんに見栄を張ってしまった。
真子さんが、くすりと声を漏らす。
「もう。さっちゃんは可愛いわね」
彼女は闇の中、そっと私の頭を撫でてくれた。
「うるさいなあ。
私は、手を払って真子さんに背を向けて、寝たふりを決め込む。そうして、真子さんの寝息が聞こえて来るのを待つ。
明かりが消えていて良かったと思う。私は、泣いていたからだ。
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