第24話 月の花をしまい込む
さて、私は、瞳とケンゴ君に別れを告げ、自転車で家路を急いだ。もう、とっくに日は暮れている。少しお腹も空いてきた。
★
自宅に戻ると、
「お帰り」
庭で定義が言う。定義は汗だくで、剣道着姿だった。ずっと素振りをしていたらしい。
私は、楽な格好に着替えてお風呂を沸かした。
お風呂の支度が終わると、今度は、真子さんの指導を受けながら夕食を作り始める。今夜教わったのは、和風ハンバーグの作り方だった。真子さんの指導はとても分かりやすくて、何度も感心させられた。手をかけるところはしっかりかけて、抜くところはしっかりと抜く。どうやら、私はこれまで、かなり無駄な手間をかけていたらしい。
「定義、ごはんだよ」
夕食が出来上がり、定義を呼ぶ。
弟は、まだ庭で竹刀を振っていた。私は少し驚いた。少なくとも二千回を超える素振りをした筈だ。けど、定義は、私の声に気付かず、一心不乱に素振りを続けている。
どうも、声をかけられる雰囲気ではない。
「どうしたの?」
真子さんが心配そうに言う。
「ううん。ちょっと、放っておこう」
私は居間で、真子さんと夕飯を食べ始めた。
暫くすると、
「決めたあ!」
言いながら、
「俺、こっちで就職するけん」
定義は、床にうつ伏せに寝転がって言った。
ピタリと、私は箸を止める。
「そう。考えて決めたとだろうけど、本当にそれで良いとね?」
私はできるだけ柔らかく、定義に問う。
暫しの沈黙がある。
「熊本が、好きだけんね」
定義は、くしゃっと笑った。
それが、諦めなのか、決意なのかは分からない。でも、大切な弟が悩んで決めた事だ。それならば、私は黙って応援してやりたい。
きっと、瞳もさぞ喜ぶだろう。ふふ。
定義は、この夜も料理にご満悦だった。私は、半分は私が作ったのだと自慢したのだが、定義は全く信じなかった。
私だって、少しは料理の腕が上がってるのに! 頭に来たので、私は定義のハンバーグを半分奪って食べてやった。
★
食事を終えて、真子さんはお風呂場に向かった。彼女が入浴している間、私は、こっそりと例の本を開いた。
パラパラと、月の花の
それは、まるで絵本みたいだった。とても短い短編だから、本にするにあたって、挿絵をたくさん入れたのだろう。挿絵は、どれも手書きの水彩画を印刷した物だと思われた。
絵を描いたのは、多分、
内容は、推理小説だった。
主人公は中学生で、ヒロインと共に、学校で起こった難事件に立ち向かう。二人は特技を活かし、謎を解いて解決する。そんなありふれた話だった。
主人公のモデルは、
物語に登場するヒロインの描き方には、切なくなる程の愛が見て取れた。それは、小説というよりも、津藤鋼という少年が、弓月桃子という少女に向けて書いた恋文のようだと思えた。
そして、この本が書かれて間もなく弓月桃子は他界した。当然、津藤鋼の中で弓月桃子は神格化され、永遠に心の中に住み続ける事になる。真子さんは、そんな津藤を心底愛していた。
私は、そっと本を閉じる。
何故、真子さんは必死になってこの本を探していたのだろう?
普通に考えたら、好きな男の子が昔、交際していた女の子に向けて書いた小説を読むのは、とても辛い事だ。もし、本の内容が真子さんを傷付け、その結果、真子さんが湖に身を投げたのだとしたら……。私はこの本を真子さんに返すべきではない。
一方で、真子さんは弓月桃子をすら、親愛の情を持って見ているのだという。
私には、その感覚は想像できないし、あんまり理解が出来ない。それでも尚、真子さんにとってこの小説が大切であるとするならば、それは一体、どれ程の愛なのだろう? 私の想像を超える、とてつもない愛なのではなかろうか?
なにより、月の花という本は、真子さんが熊本にいる理由だと思われる。彼女はこの本を探す為に、何日も熊本に留まっているのだろう。
返すべきか、隠すべきか。
答えは出なかった。恋愛に明るくない私には、荷が勝ちすぎる問題だ。
私はひとまず、机の引き出しに、月の花をしまっておく事にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます