第22話 三秋優海は問い質す





 ケンゴ君は、ビクッと驚いて固まってしまった。無理もない。私だって、突然、優海先輩みたいな強面の男に肩を掴まれたら怖い。優海ゆうみ先輩は、無言でケンゴ君の長袖をまくり上げた。


 ケンゴ君の腕には、点々と、いくつもの火傷の痕があった。火傷だけではない。ミミズ腫れや、赤い圧迫痕までもがある。圧迫痕は手の形をしており、その大きさから、大人の男性の手形だと思われた。


「これ……」

 私は呟いた。


 火傷の痕は、まるで、煙草の火を押し付けられて出来たような形をしている。いくつもの火傷の中には、新しい痕もあった。ついさっき、煙草の火を押し当てられて出来たような痕だった。

 私の頭蓋の中に、強烈な怒りがこみ上げる。


「どうして、解ったんですか?」

 優海先輩に問う。


「解るとたいね。俺には」

 優海先輩は、溜息混じりに言う。


 そうか。ケンゴ君の渇いた瞳も、諦めが滲む気配も、絶望故のものだったのか。そして、暑い中、ケンゴ君が長袖を着ているのは虐待の痕を隠す為。

 ケンゴ君にとって、世界も、大人も味方ではない。私達を見て警戒するのも、彼にとっては当然の事だったのか。


「許さん!」

 私は義憤ぎふんを抑えきれず、腰を上げる。


「待て」

 歩き出した私の肩を、優海先輩が掴む。

「どぎゃんする気か?」


「私には信念があります! 邪魔しないで下さいよ。離して」

 私は手を振り払おうとしたが、優海先輩は離さなかった。馬鹿力め。


「落ち着かんか、馬鹿たれが」

 優海先輩は、私のおでこに軽くデコピンを食らわせる。


「どうして止めるんですか?」

「なんや。里子さとこは、こいつの家族ばバラバラにするつもりや?」

「それは……」


 優海先輩に促され、視線を移す。

 私はケンゴ君の不安そうな顔を見て、ちょっとだけ冷静さを取り戻した。


「大体、何かするにしても、こういう場合はまず、児童相談所とかに電話するのが普通だろう」


 優海ゆうみ先輩は、優海先輩の癖に正論をぶちかました。言われてみれば尤もだ。だが、そうなると、それこそケンゴ君の家族を引き裂く事になるのではなかろうか?

 私が言葉を失っていると、優海ゆうみ先輩はしゃがみ込んで、そっとケンゴ君の頭を撫でた。

 

「お前、母ちゃんはどうしとると?」

「……仕事に行ってる」


 ケンゴ君は淋しげに言う。


「父ちゃんは、何の仕事ばしよる?」

「お父さんはおらん。一昨年おととし死んだけん」

「ん。おらん? じゃあ、さっきドアから顔ば出したとは誰や?」

「……お母さんの友達。三か月ぐらい前から家に住んでる」

「友達、ねえ」

 優海先輩は呟くように言った。


 私も、優海先輩も、だんだんと事情が見えてきた。

 多分、ケンゴ君の母親はろくでもない男と付き合っているのだろう。そして、ケンゴ君はその男から虐待を受けている。私は名探偵ではないが、この程度の事は見当が付くのだ。


「そういう事なら、話は別たいね」


 優海先輩の目に、薄く、怒りの気配が漂った。

 すっと、優海先輩がケンゴ君のアパートの扉を指さした。


「お前、あいつの事、好きか?」


 ケンゴ君は答えない。ぐっと拳を握り、下を向いてしまう。

 私も、溜息を吐いてしゃがみ込んだ。そして、優海先輩と肩を並べ、ケンゴ君の瞳を覗き込む。一◯歳の少年の眼には、不安と、困惑が浮かんでいる。


「怖がらなくて良いとよ。私達は味方だけん。正直に言って良いと」


 私は、できるだけ穏やかに諭す。

 だが、ケンゴ君は沈黙を保った。彼は顔を下に向けたまま、ぎゅっと目を閉じる。


「お前、男だろう。勇気ば出せ」


 優海先輩は力強く、でも、優しく言う。


「大事な事だけん、もう一度だけ聞くばい。お前は、本当の事ば答えて良いとぞ」


 優海先輩は、両手でがっしりと、ケンゴ君の肩を掴んだ。


「お前、あいつの事、好きか?」

 再び、優海先輩が問う。


 長い長い、沈黙があった。


 やがて、ケンゴ君の目から、すっと、涙が落ちる。


「……嫌い」

 ケンゴ君は呟いた。


「これは、あいつにやられたったいね。間違いないか?」


 火傷の痕を指し、優海先輩が言う。

 ケンゴ君は、震えながら頷いた。


「よし、解った」

 優海先輩は力強く腰を上げる。


 私の中に、得体の知れない強い気持ちが込み上げる。だが、立ち上がった私の腕を、優海先輩は掴んだ。


「お前はいかん。冷静じゃないけんね」

 優海先輩はそう言って、私を窘める。


「でも……」

「でもじゃにゃあ。里子さとこはケンゴば守ってやれ」


 優美先輩に言われ、私はケンゴ君を見る。私を見上げるケンゴ君の瞳には、不安が滲んでいる。

 この子を一人には出来ない。


「わかりました」


 私は言い、ケンゴ君と手を繋ぐ。

 それから、優海先輩は釣り竿をケンゴ君に託し、アパートのドアをノックした。


「下がっとけ」


 優海先輩に言われ、私とケンゴ君は五メートル程下がった。そうして、電柱の陰から事の成り行きを見守った。

 やがて、ドアが開き、先程の金髪男が隙間から顔を出した。


「あ、すいません。ちょっとだけ、ケンゴ君の事でお話を聞かせて欲しいんですが」


 優海先輩は、気味が悪い程、慇懃いんぎんに言う。

 金髪男は何も答えない。次の瞬間、男は突然、ドアを閉めようとした。が、優海先輩はドアに手をかけて、力づくでそれを開け放つ。


「すいません。お話を聞くだけですから。じゃあ、ちょっとお邪魔しますね」


 優海先輩は、押し入るようにしてドアの奥へと姿を消した。





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