第20話 東城里子は思い出す






 女の子を見送った私は、近くの自動販売機で缶コーヒーを買い、川沿いのベンチに腰を下ろした。

 静かに、胸に引っかかっている事について考える。私は何かを見落としている。だとしたら、それはなんだろう?


 ハッと、私は息を呑む。

 もしかしたら……。

 あの女の子はシベリアンハスキーに襲われて、真子さんに助けられた。つまり、真子さんが本を無くした時に、現場にいた訳だ。

 だとしたら!

 私は咄嗟に腰を上げる。

 だが、再び、溜息を吐いてベンチに腰を下ろした。

 否、あり得ない。

 私も、あの時あの場所に居た。だが、女の子は本を持っていなかった。確か、女の子は犬が怖くて失禁してしまった。だから私は自宅に連れて行き、女の子にシャワーを勧めて着替えも与えた。その時、女の子は本を持っていなかった。勿論、本を隠す場所もない。

 つまり、さっきの女の子は、月の花を拾っていない。

 やはり駄目だ。私には、名探偵役は務まらない。だが、もう少しで何かに気付きそうなのだ。凄くモヤモヤする。


 林道には、近隣の人々が行き交っていた。私は、それ眺めながら、ぼんやりとコーヒーを啜る。


里子さとこ


 ふと、誰かが私を呼んだ。だが、私は呼ばれた事に気が付かなかった。


「里子」

 再び声がして、やっと声に目を向ける。


「ゆ、優海ゆうみ先輩!」

 私は咄嗟とっさに立ち上がり、かしこまった。


「無視したな」


 男は、林道からベンチへと歩み寄って来た。

 その男の名は、三秋みあき優海ゆうみという。三秋みあきひとみの兄で、私にとっては高等学校時代の先輩に当たる。私とは家が近いので、高校卒業後もコンビニエンスストア等でちょくちょく顔を合わせている。だが、私は、ちょっとだけ優海ゆうみ先輩の事が苦手だったりする。

 怖いからだ。


「なんしよると」

 優海先輩は言う。


「あ、え、その、探し物を」

 私は目を逸らしたまま答える。


「探し物?」


 優海ゆうみ先輩は、無神経にも距離を詰め、私の隣に腰を下ろした。見ると、彼は運動着姿で釣り竿を手にしている。多分、江津湖で暇つぶしをしていたのだろう。


「なんや。なんば探しよると」


 私は、優海先輩に促されて、渋々、事情を説明した。


「ふうん。本ね」


 優海先輩は、話を聞いて腕を組む。


「その、下江津湖でそれらしき物、見ませんでしたか?」

「ううん、見とらんばい」

「そうですか。それじゃあ」


 私はベンチから腰を上げ、そそくさと逃げ出そうとする。が、優海先輩は私の腕を引っ張り、ベンチに引き戻す。


「待て」

「な、何ですか?」

「探すの手伝ってやろうか? どうせ暇だけん」

「……いえ、悪いです」

「なんや。気に入らんと?」


 グサリと、優海先輩の視線が突き刺さる。


「……じゃあ、お願いします」

 私は観念して言った。


「じゃあ、もう一度、最初から話してみろ」


 優海先輩から促され、私は再び、あの日の出来事を話した。

 まず、真子まこさんが犬と戦い、女の子を守った事。その際、必死に鞄を振り回していた事。次に、私と定義さだよしが犬を引っ叩き、退散させた事。最後に、泰十郎たいじゅうろうが犬を仕留めた事。

 優海先輩は泰十郎の名を聞くと、眉間に皺を寄せて舌打ちをした。


「糞、狂犬が……なんや。里子さとこは、狂犬の知り合いか?」

「はい。小学校と中学校が同じでしたから。それよりも……」

「ああ、本ね」

「とりあえず、話せるのはこれで全部です。何か、解りましたか?」


 私は一応、意見を求めてみる。


「そうたいね。その、東京から来た美人が犬と戦った時、鞄を振り回しよった。多分、その時に本ば落としたんだろう」

「はい」

「で、その時に、さいとう橋の下には他に誰も居らんかった?」

「え? はい。多分」

「そうか。じゃあ、女の子も一人で遊びよったとたいね」


 優海先輩の言葉を聴き、私は、ピタリと呼吸を止める。

 

「どうした?」


 優海先輩が問う。私は、思わず立ち上がる。


「そういえば……」


 そういえば、真子さんが女の子を助けた時、女の子は『』と、言っていた。もしかしたら、女の子の友達ならば、何か知っているかも知れない……!


 私は急いで自転車のハンドルを握る。


「待て」

 優海先輩は、私の自転車を押さえた。


 ★


 私は、優海ゆうみ先輩が運転する自転車に二人乗りで、下江津湖へと辿り着いた。


 下江津湖しもえづこは、上江津湖かみえづこよりも少し大きい。湖岸からの眺めも、上江津湖より迫力のある景色となる。そこには上江津湖と同じく、二つの小島があるのだが、橋は架かっておらず、島に渡る事は出来ない。下江津湖に接する広木公園も上江津湖公園より広い。当然、行き交う人の数も多い。


 私は、下江津湖公園を見渡してみた。だが、女の子の姿は無かった。下江津湖公園は複雑な形をしているから、私が居る地点からは全てを把握する事は出来ないのだ。

 そこで、私と優海先輩は再び自転車に乗り、公園沿いを走り出した。


「あ。先輩、止めてください」


 私は、優海ゆうみ先輩の肩をぽんぽん叩く。


 女の子は、キリンが見える小道に居た。

 キリンが見える小道というのは、そのままの意味である。

 熊本市動植物園は、下江津湖に寄り添うように作られている。なので、下江津湖沿いのとある小道からは、キリンを見る事が出来るのだ。キリン小屋の隣では象が飼われており、運が良ければごく稀に、壁から身を乗り出した像がキリン小屋を覗き込む姿を見る事もある。

 この日も、象は背伸びをして壁から顔を出し、キリンに鼻を伸ばしていた。


「ねえ。ちょっと」

 私は、先程の女の子に声をかけた。


「え?」


 女の子は、振り返った途端に怯えた顔をして、半歩下がった。多分、優海先輩の事が怖かったのだろう。私はそれを察すると、優海先輩の背中を押して女の子から遠ざけた。


「ちょっとだけ、離れてて貰えますか?」

「は? なんでや」

「女同士の話があるんですよね。ガサツな人は、少し離れててください!」


 私は、優海先輩に強めに言って、女の子の元へと戻る。


「どうしたの?」

 女の子が言う。


「ちょっと、聞きたい事があって」

 私はやっと、質問を投げかけた。




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