第19話 東城里子は動き出す





 ★


 私と真子まこさんは食事を終え、泰十郎たいじゅうろう達と別れた。

 帰り道、私達はホームセンターに立ち寄った。真子さんにせがまれたからだ。

 真子さんは、ホームセンターで、用途の分からない物を沢山購入した。釣りで使う大型の丸網をいくつも買い、頑丈そうなネットも購入。接着剤に、ビニールテープにロープ、針金とハサミにペンチ。頑丈な木の棒を数本……。何をするつもりなのか、さっぱり判らない。そのことを率直に聞いてはみたが、真子さんは「秘密」と言うだけで、答えなかった。

 何か、ちょっと嫌な予感がする。


 ★


 自宅に戻ると、時間は午後二時過ぎだった。私達は軽自動車から荷物を下ろし、その後は紅茶を飲みながら、二人でお喋りをしていた。

 やがて、話題は、私の恋愛話へと移る。


「ねえ。さっちゃんは、本当は好きな人がいるでしょ? 私、わかるのよ」

「やめて、そんなのいないよ」

「へえ。そんなに照れて。もしかして、泰十郎さん? 正直に白状しなさい」

「だから、違うって。真子さんの意地悪」


 なんて、真子さんは楽しそうに私を尋問する。正直、この手の話題は苦手だ。だって、本当のことを話せば、私はきっと泣き出してしまうから。

 暫くして、真子さんは、居間のソファーでうとうとし始めた。

 私は、暫し、真子さんの寝顔を見つめていた。ほのかに汗ばんだ頬は子供のようにキメが細かく、外からの風になびく髪は、水に濡れているようにつやめいている。それはもう、息を呑む程に美しい寝顔だった。

 静寂の中、時計の針がカチカチと鳴る。

 一昨日、この可憐な人は世界から消えてしまうところだった。そう考えた時、私の中に強く込み上げる物があった。もう、じっとしていられない。

 私は、静かに椅子から腰を上げた。


 ★


 私は自転車に乗り、さいとう橋の下へと辿り着いた。そこは、上江津湖かみえづこ加勢川かせがわが交わる場所だった。私と真子が出会った場所でもある。ベンチの周辺は人通りが少なく、空気も幾分か冷めた感じがした。

 私は自転車を降りて、周囲をぐるりと見まわした。この近くに、もしかしたら目当ての物が落ちているかもしれない。

 一◯分程、付近を探し回ってみたが、探し物は見つからなかった。

 探し物とは、一冊の本だった。

 真子さんがなくしたと思しき、外表紙に包まれていない剥き出しの本だ。私は、どうしてもそれを見つけ出したかったのだ。あの美しい人を、なんとか笑顔にしたかった。

 もしかしたら、湖に落ちてしまったのだろうか?

 私は湖の岸辺に目を凝らしてみた。湖岸には、草がもうもうと生い茂っている。仮に、そこに本が引っかかっていたとしても、簡単には見つけられそうもない。捜索は難航した。注意深く湖岸を探し回ってみたが、やはり、本は見つけられなかった。

 少しだけ、嫌な想像が過る。

 湖の湧き水は加勢川に注ぐ。加勢川は南へと流れ、下流には下江津湖がある。もし、真子さんの本が湖に落ちたのだとしたら、川に流されて下江津湖まで運ばれた可能性がある。

 念の為、下江津湖まで行ってみるか。


 私は自転車のハンドルを握った。

 加勢川沿いに下流へと進み、林道へと入る。道中、私は川岸や林道に目を配りながら進んだ。しかし、現時点では目当ての本は見つかっていない。

 上江津湖と下江津湖を繋ぐ川沿いの林道は、静かで、木漏れ日が射す心地良い場所だ。いつも風が吹いていて、住宅地よりも幾分か涼しい。真子さんを案内してやりたい場所の一つである。

 月の花はどこだろう。

 私は内心焦っていた。明日から、また仕事だ。今日中に本を見つけられなければ、もう探し出すことは出来ないだろう。一方、腕時計の針は午後の四時、日が暮れたらやはり、本を見つけるのは無理だ。一人で探し出せると思ったのは思い上がりだったかもしれない。

 ある程度進むと、林道は道路と交わった。林道から見て左に伸びる道路沿いには、熊本市動植物園の裏口がある。林道から右を見ると、加勢川に架かる画図えず橋がある。

 私は道路を横切って、下江津湖側の林道へと進む。そこで暫し、立ち止まる。

 何か、見落としているような気がした。だが、それが何なのか、自分でも見当が付かない。なんだかモヤモヤする。

 考え込んでいると、突然、誰かが私の服の裾を引っ張った。

 振り向くと、そこには見覚えのある女の子が居た。


「お姉ちゃん」


 女の子が笑顔で言う。


「ええと。ああ、この前の」


 私は言った。

 その女の子は、以前、真子さんが野良犬から救った女の子だった。


「今日はこっちで遊んでるの?」

「うん。ケンゴ君と、ナナちゃんと、遊んでるの」


 女の子は言った。だが、ケンゴ君とナナちゃんとやらの姿はない。


「そう。お菓子いる?」


 私はポーチから飴玉を取り出し、女の子にあげた。


「ありがとう」


 女の子は嬉しそうに飴玉を受け取って、林道を、下江津湖方面へと駆けていった。軽やかな後ろ姿を見て、温かな気持ちが込み上げる。

 真子さん。貴女の勇気には、ちゃんと意味があったよ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る