城南から江津湖までは、かなりの距離がある。山から江津湖まで、犬が歩いて来たとは考えにくい。もし、そうであるならば、道中でも人を襲った筈だ。だけど、そんな事件は発生していない。
→おっと、いきなりのミステリーですか。私としては、誰かが犬を移動させたと考えました。
彼らは結局のところ『ブッダもキリストも間違っている。自分の方が正しい。自分は神よりも偉い。自分を信じろ!』。そう言っている訳だ。そう考えると、なんだか危ない人に思えてくる。
→なるほど。確かに。
「つまり、武術における脱力は、スポーツのそれとは意味が少し違うとよね。その動作をするにあたって必要以上の力を使ったり、緊張をしない。って事だけん」
→うーむ。私としては、こういうことは、『自然体』だと思っていました。
「このように、弾くんだ。受け流すんじゃない。攻撃の軌道を変えるという意味では受け流しと同じ結果だが、攻撃への対処に要する時間が受け流すより短い。そのコンマ一、二秒を攻撃や踏み込みに使える」
→なるほど。
作者からの返信
ふっふっふ。
ちょっとミステリーっぽい展開になって来ましたね。
とはいえ、これはそこまで込み入った謎ではありません。いずれ解ける謎だと思います★
あと、スポーツにおけるリラックスは、主に弛緩からの緊張を意味しています。弛緩は完全な脱力状態です。武術におけるリラックスは、日常生活のリラックスに近いです。
とはいえ、マニアックな話はこの辺りで終わり、徐々にストーリーが動き出します★
武の道は深いですね。何千年も研鑽されて継承されています。
「からくりサーカス」と言う漫画を思い出します。二百年無敗であったオートマータに主人公の一人が言う台詞を思い出します。
「たかだか二百年の不敗がどうした。人間はその十倍も研鑽している」と言った感じの台詞でした。
作者からの返信
子冬さんいらっしゃい★
子冬さんもからくりサーカス読んでたんですねーw
僕も読んでました。主人公の師匠が素手で強キャラを圧倒した時は、ちょっと鼻血が出そうでしたw
実際、洋の東西を問わず、武の歴史は長いですね。古代エジプトの壁画には、ボクシングをする戦士の壁画があるそうです。
日本でも、800年前には太刀の形が完成していたので、それよりもずっと前から武術があった事になります。
現代人が知らない凄い達人がたくさんいたのだと思われます★
交差法と交叉法の違いがよく解らずに昔調べ、交差法は剣道とか剣術などの後の先みたいなもので相手の攻撃意図読み、攻撃を防ぎながらこちらの攻撃を当てて一撃を見舞う為の歩法で、交叉法は相手の攻撃を、後退せず、ギリギリで躱して前進する躱す為の歩法だと解釈していたのですが、違うのかな?
流派とか変わると同じ文字使いながら全然違うことがあるからな~
因みに調べたのは中国拳法の歩法ですね~
作者からの返信
生虎さんこんばんは!
確かに国や流派が違うと、同じ呼称の技でも、全然違うものになりますね。空手でも、流派が違うと同じ技でも用法が違ったりしますし。交叉法のみならず、流派によって認識が変わるかもしれません。
ちなみに、今回空手方面で採用している知識については、とある流派の師範の話を参考にしています。その流派での交叉法についての指導内容は、今回記した通りです。
まあ、武術における回避や防御は常に攻撃とセットなので、攻撃までの歩法や心法までもを含めて交叉法としている流派があってもおかしくはないと思います。で、攻撃の為の歩法や心法を重く着眼していれば、人によってはそっちの認識が強くなる、みたいな?
なので根本的なとこのについては、よく話してみたらだいたい同じような感じにはなると思います☆