第16話 武術家どもは修練する





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 私と真子さんは一度家に戻り、朝ごはんを食べた。朝食は、真子さんが作ってくれた。彼女がこしらえた出汁巻き卵は、やはり絶品だった。もしも私が男だったら、是非嫁にしたいところではある。

 私は、食事をしながらぼんやりテレビを見ていた。するとニュース番組で、昨日、城南の山で発生した野良犬の襲撃事件について報道していた。

 ニュースでは、泰十郎たいじゅうろう定義さだよしの名前は伏せられていたが、二人は、犬を追い払って大事を防いだ英雄のように語られていた。

 番組では、警察の見解も語られた。

 警察は、度重なる野良犬噛みつき事件に、県外から犬を捨てに来る不法業者の関与を疑っているようだ。

 関東や関西では、多頭飼育崩壊を起こしてしまった人や、犬を増やし過ぎてしまったブリーダーが秘密裏に、不法業者に犬の処分を依頼する事例があるらしい。犬が投棄される場所は、おおむね東北や熊本のような、田舎と目されている地域だ。そして、動物たちの多くは山に捨てられるのだという。

 警察の見解は、筋が通っているように思われた。不法業者が城南の山に犬を捨てたのだとしたら、これまでの疑問も解消される。ただし、腑に落ちない事もあった。

 江津湖で起こった二件の噛みつき事件だ。

 城南から江津湖までは、かなりの距離がある。不法業者が城南の山に犬を捨てたとしても、山から江津湖まで、犬が歩いて来たとは考えにくい。もし、そうであるならば、道中でも人を襲った筈だ。だけど、そんな事件は発生していない。


「うううん……なんか変だ」


 私は一人、考えを巡らせる。

 しかし、納得のいく答えは出せなかった。名探偵のように頭の切れる友人でもいれば、答えを教えてくれるのだろうか。

 ふと、私の脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。でも、私は首を振り、男の顔を記憶から追いやった。私には、その人に頼る資格がないからだ。


 ★


 私と真子さんは準備を済ませると、自動車で江津湖へと向かった。

 江津湖では、既に、泰十郎が弟子達に空手の指導を行っていた。以前、聞いた話によると、泰十郎の内弟子は、不思議な能力を持っているらしい。名は、若井わかい君という。若井わかい君は霊感に優れ、人のオーラを見ることが出来るのだという。私も見てもらった事がある。若井君によると、私のオーラは銀色で、泰十郎は金色なのだそうだ。

 私は未だに半信半疑なのだが、霊能力とか超能力を否定するつもりはない。神仏や天使や悪魔、それに幽霊……それら不思議な物がいたとしても、別に困らないからだ。実際、人類は何千年も問題なく暮らしてきた。そもそも、お釈迦様もキリストも、霊や魂の存在を肯定している。にもかかわらず、目くじらを立てて不思議な物を否定し、糾弾するする人がたまにいるが、そういった人々については理解に苦しむ時がある。彼らは結局のところ『ブッダもキリストも間違っている。自分の方が正しい。自分は神よりも偉い。自分を信じろ!』。と言っている訳だ。

 そう考えると、なんだか危ない人に思えてくる。主義主張を持つのは個人の自由だが、それを他人に押し付け始めると、途端に滑稽になってしまう。

 私と真子さんは、泰十郎達から少し離れた場所で素振りを始めた。今日は地稽古をするつもりはないので、二人共ただの剣道着姿である。真子さんは、今日も、とても熱心に竹刀を振っていた。


 素振りを終えると、私は真子さんに武術の講義を開始した。教えたのは、脱力の重要性と、その方法である。

 こういった要素は流派門派を問わず重要だ。耳聡みみざとい泰十郎は、私の話が聞こえるなり、弟子を連れて来た。そして自分の弟子達にも、私の講義を聞かせた。


「つまり、武術における脱力は、スポーツのそれとは意味が少し違うとよね。その動作をするにあたって必要以上の力を使ったり、緊張をしない。って事だけん」


 耳を傾ける人数が多いせいか、私はいつもより、少し饒舌になってしまった。

 私が講義を終えると、泰十郎はお返しに、対、武器術に関する講義を始めた。その哲学の根本は、やはり、私の考えと共通する点が多かった。武器を相手取った時の心構えや足運び、構えや、身のかわし方。武器を相手取る為に、どれ程の鍛錬が必要になるのかについても。泰十郎の話は、とても解りやすくて参考になった。

 私と真子さんは、丁度、竹刀を持っていたので、泰十郎達と合同で、素手対武器術の練習をする事になった。

 私は、入り身や兆しについて教え、泰十郎は、足運びと交叉法こうさほうについて教える。

 ちなみに、交叉法は空手の技法である。剣術には、そういった言葉は存在しない。ただし、剣士も大半は交叉法に分類される技法を使う。交叉法とは、相手の攻撃に別角度から瞬間的な衝撃を与え、その軌道を変えて難を避ける技術だ。


「このように、弾くんだ。受け流すんじゃない。攻撃の軌道を変えるという意味では受け流しと同じ結果だが、攻撃への対処に要する時間が受け流すより短い。そのコンマ一、二秒を攻撃や踏み込みに使える」


 泰十郎は、私の突きを中段外受けでガツリと弾き、実演してみせる。彼の弟子も、真子さんも、真剣に講義に聞き入っている。

 とても面白い。

 泰十郎は、他の技法も教えてくれた。攻撃を当てる瞬間に、筋骨チンクチをかける。という技法だ。筋骨とは、瞬間的に筋肉を締めることによって関節を固定し、骨から発する力を逃がさないようにする技術だ。これは剣術にはない概念である。

 ただし、開眼した剣士の多くは、これに分類される力の用法を体得しているのではないかと思う。記憶を紐解くと、私の祖父もまた、相手の竹刀を叩き落したりする時に、筋骨に似た力の使い方をしていた。つまり、剣士は筋骨チンクチを技法としてではなく、コツとして理解しているのである。そういった考え方に基づくと、やはり、武の根本は武門流派を問わず、本質的に同じなのだろう。

 空手、剣道、入り乱れての練習はとても充実しており、楽しかった。対、武器術の発想は、剣に頼らない剣術の参考にもなる。私は夢中で筋骨の使い方を練習した。この合同練習で得る物は大きかった。

 程よく汗を掻いたあたりで、私は、休憩を提案した。




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