第14話 来栖真子は料理する




 ★


 芭蕉園から帰宅すると、真子さんは夕食作りを志願した。私も、少し真子さんの料理に興味があったので任せてみることにした。どんな料理を作ってくれるのか、楽しみだ。

 夕食が出来上がる少し前、定義さだよしが帰宅した。

 定義は、今日はアルバイトは休みだった筈だ。それなのに、朝からずっと姿が見えなかった。練習をサボって何処で何をしていたのか問い詰めてやろうかと思ったのだが、玄関から聞こえる息遣いが、少し変だった。見にゆくと、定義は迷彩服を身につけており、腕や足に怪我をしていた。


「ど、どうしたと?」


 私は焦り、定義を居間のソファーに横たえた。救急箱のオキシドールで、手当てを開始する。頑丈な迷彩服を着ていたせいか、傷は、見た目程には深くなかった。

 手当の合間に、私は定義から、怪我をした経緯いきさつを詳しく聴いた。


 定義さだよしは、趣味で、たまにサバイバルゲームに出かけることがある。今日も、サバイバルゲームをしに、城南じょうなんの山に出かけたらしい。

 定義の話では、熊本には、サバイバルゲームコミュニティーが複数存在するそうだ。趣味を同じくする者は、コミュニティーで連絡を取り合ったり、情報の共有を行ったりしている。どのコミュニティーも百人からの登録者がおり、コミュニティー同士は友好的な関係で、やはり、情報を共有している。

 熊本は、サバイバルゲームが盛んだ。その一方で、室内フィールドは一軒しかない。だから大抵は野外で遊ぶことになるらしい。ただ、それは山の中だったりして、天候の影響を受けやすい。稀に、スズメ蜂や猪などがゲームに乱入することもあり、スリルには事欠かないのだそうだ。

 実は、定義が所属しているコミュニティーを立ち上げたのは、藤原ふじわら泰十郎たいじゅうろうだった。定義は、泰十郎の誘いで、朝からサバイバルゲームをしていたらしい。


 事件は、ゲームの終盤に発生した。


「犬たい。犬」


 定義は悔しげに言う。

 弟によると、ゲームでエアガンを打ち合っていた時、突然、何匹もの犬がゲームフィールドへと乱入してきた。そして犬達は、次々と、プレイヤーに襲い掛かったらしい。

 事件が発生した時、定義さだよしはゲームフィールドの真ん中あたりで泰十郎とエアガンを撃ち合っていた。二人はすぐに騒ぎに気が付いて、他のプレーヤの救出に向かったそうだ。

 犬は、七、八匹もいた。そいつらは匍匐ほふくしていた狙撃手に噛みつき、群がっていた。定義さだよしは棒きれを振りかざし、泰十郎たいじゅうろうは素手で、犬の群れに突撃した。

 二人は、なんとか犬の群れを追い払ったが、犬たちは逃げ足が速く、捕らえる事は出来なかったらしい。定義は、犬を追い散らす時に足と腕を噛まれたのである。

 泰十郎が警察に連絡して事情を話したので、近く山狩りがあるかもしれないとの事だった。


「それって、野犬? でも、城南だよね」


 私は思わず眉をひそめる。

 犬は野生化して数世代経過すると、見た目からして飼い犬とは随分と異なってくる。山犬が、その最たる例だ。山犬は毛が短くなり、痩せて、しなやかで、とても素早い。山犬未満の野犬でも、身体能力や凶暴性が格段に増し、群れを成して人間に襲い掛かるようになる。だが、野犬が居るとされるのは、もっとずっと、人里離れた山奥である。城南じょうなんは、熊本市の南側に位置する。そこはお世辞にも都会とはいえないが、山奥ともいえない。山はあるにはあるが、どれも管理された里山ばかりだ。蛇や猪ぐらいは居ても、野犬が発生する場所とは思えない。


「否。見た感じ、野犬じゃなかった。つい最近まで人に飼われとったような、そんな犬だと思う」


 と、定義は私見を述べる。

 だとしたら……。私は、腕を組んで暫し考え込む。

 頭を過ったのは、最近連続して発生した、二件の野良犬噛みつき事件だった。

 最近、熊本市は犬に関する事件が発生し過ぎている。そもそも、犬は人間に慣れるものだ。それなのに、事件に関わった犬達は、まるで人間を敵視しているかのようだった。私と戦った、あのシベリアンハスキーにしてもそうだ。定義が言ったように、犬達が最近まで人間に飼われていたとするならば、一体、どのような環境で、どのような扱いを受けていたのだろう。


「晩御飯、どうする?」


 真子さんが、頃合いを見て声をかける。


「ああ、気にせんで。食べよう。定義は、泣くまでいびり倒そうと思っとったけど、犬がやってくれて手間が省けたたい」


 私は、少し悪ぶって言う。

 真子さんが作った夕食は、きすの天ぷらに、ご飯とお味噌汁。そして、小さなサラダが添えられていた。


「うおおおお! 美味い! 信じられん。これまで食った姉ちゃんの料理は一体何だったんだあ!」


 定義が、天ぷらを口をして声を上げる。

 私は、包帯が巻かれた弟の足を軽く蹴って黙らせる。そして悶絶する弟をよそに、自分も天ぷらを食べてみた。

 サクリと、小気味良い歯触りがする。淡い衣が香ばしい。ほくほくほろほろと、白身魚の柔らかな風味が口に広がる。天つゆにも一工夫あった。薄く、ゆずの香りと風味とが、さっぱりと、爽やかな後味を残す。

 確かに、真子さんの料理は驚く程美味しかった。私には、これ程の物は作れそうにない。見ると、真子さんは胸を張り「えっへん」と、自慢気な顔をした。


「美味しい……。凄く」


 私は思わず呟く。


「良かったら、料理、教えようかしら?」


 真子さんは得意気に言う。

 私は、その提案と自尊心とを秤にかけ、暫し葛藤する。


「お願いします」


 私は、少しだけシュンとして頭を下げる。私も私なりに、料理が上手なつもりだったのに。


「心得ました。料理の道も厳しいから、覚悟しなさい」


 真子さんは悪戯めいた微笑を浮かべ、ウインクした。





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