第11話 東城里子は指導する!





 ★


 夜中、私はふと目が覚めた。時計の針は、深夜の二時半を指していた。真子さんが眠っていることを確認すると、一人、息を殺して一階へと降りた。

 そっと戸棚を開ける。そこには真子さんの荷物がしまってあった。

 私は、真子さんの鞄を開いて中身を確認した。旅行鞄の中にも、手提げ鞄の中にも、あるべき物がなかった。

 あったのは『月の花』の、外表紙だけだ。


「……やっぱり」


 私は一人、呟いた。

 私の中で、点と点とが繋がり、一本の線へと変わる。

 確か、真子さんと最初に出会ったのは、さいとう橋の下だった。上江津湖かみえづこの隅っこに当たる。真子さんは、そこで犬と戦い、必死で鞄を振り回していた。

 それからも、真子さんを見かけるのはいつも同じ場所だった。彼女は、そこに居ることについて『特に理由はない』と、言っていた。

 だが、理由はあったのだ。

 多分、真子さんは野良犬と戦った時に、大切な恋人の形見を無くしてしまったのだろう。形見とは一冊の本だ。幸い、外表紙は私が拾った。でも『月の花』の、本体は見つからなかった。

 真子さんは、あの場所でずっと、一冊の本を探していたのだ。

 私は、まじまじと、月の花の外表紙を見つめる。私見だが、それは自費出版で作った物だと思われた。表記されている出版社の名前は聞き覚えのない物だったし、バーコードも、普通より大きい気がする。

 ひっくり返して表を見ると、手書きの絵を写真に撮り、それを印刷したような表紙となっている。表紙の絵は、お世辞にも上手とはいえなかった。少し寂しい色調の夜空に、三日月が浮かんでいる。けど、それは何故か、無性に私の胸に刺さった。私は寂しい三日月に、孤独や、郷愁きょうしょうに似た何かを感じた。

 そして、タイトルには『月の花』とある。作者のペンネームは印刷されておらず、ボールペンで「作、津藤つとう正陰まさかげ」と、書き込まれている。

 おそらく、津藤つとう正陰まさかげというのは、津藤つとうはがねのペンネームなのだろう。ボールペンで書き込んである理由は謎だ。

 じわじわと、私の中に悔しさが込み上げる。真子さんは、誰にも相談せず、たった一人で月の花を探し続けていたのだ。それはどんなに孤独で、不安な時間だったろう。あの日、最初に言葉を交わした時、大切な本を落としたのなら、そう言って欲しかった。

 私は、外表紙を真子さんの鞄に戻して、そっと戸棚を閉じた。


 ★


 翌朝、私は八時に目を覚ました。


「起きて! 走り込みに行くけんね」


 と、眠っている真子さんを叩き起こす。

 私は、真子さんを急かして着替えさせた。事情を呑み込めていない真子さんは、寝ぼけて困惑していたが、私に従って、黙ってジャージに身を包む。そんな真子さんを連れ、私は走り出した。

 私達は、江津湖へと向かった。

 江津湖の中の島へと辿り着くと、二人で、小島をぐるぐる走り回った。

 やがて、私達は朝の準備運動を終えて、帰宅した。


「お腹すいたよう」


 しょぼくれて言う真子さんは、憎らしいぐらいに可愛らしかった。

 私は真子さんに、遅めの朝食を作った。

 ご飯に、お味噌汁に、納豆。ありふれた朝食を済ませると、今度は、真子さんを自動車に乗せて市立体育館に向かった。


 ★


「じゃあ、始めるけんね」


 と、武道場で、真子さんに竹刀を手渡した。真子さんは竹刀を受け取りはしたが、まだ、事情を呑み込めていない様子だ。彼女はただ、怪訝な顔をしていた。


「始めるって、剣道? どうして?」


 真子さんが呟く。


「良いけん、竹刀ば構える!」


 私は軽く真子さんを叱る。


「は、はい」


 真子さんは条件反射気味に言い、竹刀を手に、私と肩を並べる。

 私は指導を開始した。

 まず、真子さんに、剣道をやるに当たっての礼法を教える。続いて素振りを二百回。次に摺り足を教え、おおざっぱなルールを教える。最後に、受けと回避のやり方を教え込むと、時間は正午を少し過ぎていた。

 だが、私は昼食前に、真子さんと地稽古をすることにした。


「え? どうして。いきなり試合なんて……私、素人なのよ?」


 真子さんは、おどおど言う。

 私は聞く耳を持たなかった。無言で、真子さんに防具を付けさせる。


「試合じゃなくて地稽古。良いけん、かかって来る!」


 私は、一方的に一礼、蹲踞そんきょして竹刀を構える。真子さんは、へっぴり腰で竹刀を正眼に構える。


「なってない。構は教えたでしょ」


 と、私は竹刀を上段に、真子さんに襲い掛かった。




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