第8話 月の花
少年の名前は、
少年に手を引かれている間、真子さんは夢心地だった。妄想の中の美少年が、本当に、自分を助け出してくれたのだ。そんな気がしていた。
そして、真子さんは警察に保護された。
犯人は、その後も捕まらなかったそうだ。それはもう、どうでも良かった。真子さんは、
出会ったその日から、真子さんと
たった一三歳の少女は、全身全霊で、一人の少年に愛を捧げた。真子さんは、鋼を構成する何もかもを愛していた。
かつて、鋼が恋をした人ですらも。
名前は
桃子は一学期の中頃に、鋼の中学校へと転校してきたらしい。鋼と
桃子の趣味はゲームだった。ビデオゲームにカードゲーム、オセロや、将棋も得意だった。鋼と桃子は、度々お小遣いを賭けてゲームに興じた。負けるのは、いつも鋼の方だった。
鋼は、文章を書く事が得意だった。夢は、推理作家になる事だ。桃子は、そんな鋼をいつも応援してくれた。執筆に行き詰っている時は元気づけて、意見を聞かせてくれた。
それは、とても繊細で純粋な恋だった。
鋼は、初めて書き上げた短編小説を、桃子に読ませる約束をしたらしい。桃子は桃子で、目を輝かせて津藤の短編小説を受け取った。その時、その短編にはまだ、タイトルがなかったそうだ。桃子は、作品を読み終わったら、短編のタイトルを名付けてくれると、津藤に約束してくれた。
だが、
桃子の死因について、鋼は何も語らなかった。しかし、その事件はテレビや新聞、その他のメディアで取り上げられ、様々に報道されている。真子さんも目にしたことがあった。
その事件は後に、〝首都連続少女誘拐殺人事件〟と呼ばれることになる。
真子さんがそのニュースを目にした時、世間も、警察も、それが連続殺人事件であることには気付いていなかった。恋人を殺された鋼の心情を思う時、真子さんは、胸を引き裂かれるような気がした。同時に、少し怖くもあった。
鋼の心の中には、
弓月桃子という少女を受け入れ、桃子ごと鋼を愛す。
真子さんが出した結論だった。
津藤鋼は、桃子の死後、古流剣術と柔術を習い始めたらしい。
鋼の努力は痛々しい程の物だった。
真子さんは、津藤が影で一人稽古に打ち込んでいることを知っていた。こっそり、津藤が通う道場に、見学に行ったこともある。
津藤は、竹刀や木刀で打ち据えられても音を上げず、兄弟子達に立ち向かっていった。どんなにきつい鍛錬でも進んで取り組み、他人の何倍もの
研ぎ澄まされてゆく鋼の在り方は、真子さんの胸に深く突き刺さった。鋼を構成する要素に、弓月桃子という少女の存在があるのならば、それすらも愛したいと、心から感じていた。
真子さんは、鋼が望むであろう事はなんでもやった。まず、鋼に気に入られたくて、服の趣味を変えた。美味しい料理を作れるように沢山練習したし、お小遣いを貯めて鋼の誕生日プレゼントを買った事もある。難しい本を読むようにもなった。
鋼が学校で虐めを受けていると知った時には、包丁を鞄に潜ませて、不良達に殴り込みをかけようとした事もある。流石に、その時は鋼から叱られた。包丁を持ち出すのはやり過ぎだ、と。鋼は、怒り狂う真子さんを必死で宥めたらしい。
幸い、津藤鋼は良心的な男の子だったので、真子さんをとても大切にした。真子さんが無理をし過ぎる時は叱ってもくれた。真子さんの父親が病気で他界した時も、鋼はずっと寄り添い、真子さんを気遣ってくれた。
二人は、心から互いを思い合う、良い恋人同士だった。
🌙
二人の関係がおかしくなったのは、出会ってから数か月が経った、冬のことだった。
その冬、鋼を虐めていた不良グループの、
松村は、鋼を虐めていたグループのリーダー格だった。いつも鋼に暴力や、酷い嫌がらせを繰り返していたし、人前で恥をかかせることもしばしばあった。
誰かがその仕返しの為に、松村の妹を殺したのだとしたら。
もしかしたら、鋼は真子さんが犯人だと疑ったのかもしれない。真子さんは、以前、松村に復讐しようと家を飛び出したことがある。鋼を守ろうとしての事だ。だが、包丁を持ち出すのは、やはり少しやり過ぎだ。
鋼の、真子さんに対する態度は、そこはかとなくよそよそしくなった。それでも鋼と真子さんは恋人関係を続けた。真子さんの、鋼に対する愛は少しも揺るがなかったし、高校に進学する時も、津藤鋼の志望校を選び、入学した。
高校時代、津藤鋼と真子さんとは、誰もが羨むような理想的な恋人同士だった。
しかし、二人の間には、恋人としてあるべき何かが欠落していた。
やがて大学受験が近づくにつれ、二人が連絡を取り合う頻度は少しずつ減っていった。会う回数も減り、あまりデートもしなくなった。
二人が最後に会ったのは、津藤鋼が大学に受かった日のことだった。
その日、二人は新宿のレストランで食事をし、軽くデートをして、別れた。
「じゃあ、また、連絡するから」
別れ際に鋼は言った。だが、二度と彼からの連絡はなかった。
真子さんは、離れて行く鋼の心を繋ぎ止めることが出来なかった。そして、真子さんの手元には一冊の小説が残った。それは津藤鋼が一三歳の時に書き上げた処女作で、所謂、推理小説だった。
本のタイトルは『月の花』と、いう。
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