萌芽 〜大学生〜

 ――そして、大学生になると、「すれ違い」は更に加速した。

 英璃は美術系の大学に進んだらしかった。当時の僕はそれを母さんから聞いただけで、あまり詳しいことはよく知らなかった。……ただ、高校の時のように、駅で会うこともなくなった。

 僕はというと、情報学部へと進学した。高校の間に、歌以外に興味のあるものを探して、一番興味があったのはPCパソコンだったからである。就職はIT関係を目指そうと勉強に打ち込んだ。

 そして、なぜか、れいも僕と同じ大学に進学していた。ただ、学部だけ別で、澪が選んだのは経済学部だった。……もはや腐れ縁である。そんな澪はちゃっかり勉強をしながら、また大学でもメンバーを募りバンド活動を再び始めた。

 当然、僕もボーカルとして活動に参加することになった。大学生ともなると気楽なもので、練習に参加しなくても、ライブにさえ出ていれば、何も言われることはなかった。

 やっぱり澪が教えていたんだろうか、ライブの場に、また英璃が来てくれるようになった。だけど、以前まえのようにはわらってはくれていなかった。

 時に、僕は英璃に向けて、歌ってみたりもした。……けれど、英璃は複雑な表情かおを浮かべるだけで、やっぱりわらってはくれなかった。

 ――やがて、英璃はライブにも来てくれなくなった。

 だけど、僕は歌うのを止めなかった。いつか、英璃は戻ってくるかもしれない。ひたすら英璃を想い、歌い続けた。

 そんなある時、僕はまた、夜遅くに英璃が泣きながら帰宅するのを見掛けてしまったのだ。声を掛ける隙もなかったので、僕はどうしようかと迷った。――ライブにも来てくれていないので、高校のあの時のように、英璃に笑顔を取り戻すことができないと思ったからだ。

 そこで、僕は自分の部屋に入ると、英璃のことを想いながら、思い切り大声であの「うた」を歌い始めた。近所迷惑だと叱られても、止めなかった。――むしろ、英璃に聴こえるくらいが良い。そして、母さんに一発殴られ、中断されるまで僕は歌い続けたのである。


 ――どうか、この「うた」がキミに届いていますように。そして、キミの涙を止めてくれていますように。キミがわらってくれるなら、僕は何度でもキミのために、この「うた」をうたうから。


 そして、その次の日。

 朝、偶然英璃と会わないかと期待して家を出たが、そんなに上手くいくはずもなく、僕はガッカリしながら大学に向かった。そして、授業を終えると、澪と一緒にライブへ向かった。

 ライブの場でも、思い切り歌いながら、僕は英璃を探した。――もしかしたら、昨日の「うた」を聴いて、来てくれているかもしれないと思ったからだ。……だけど、その日も英梨の姿はなかった。

 そして夜が更け、僕は落胆しながら帰路についた。ため息をついて、玄関に向かおうとしたその時、英璃が走って来るのが目に入った。

 慌てて、僕は英璃を追い掛け、その手を強く握って彼女を引き止めた。はっとして僕を見る英璃の顔は涙に濡れていた。

「英璃!」

 とっさに彼女の名前を呼ぶが、掛ける言葉が見つからない。……ただ一つ、強く思い浮かぶのは、僕なら英璃を泣かしたりはしないのに――という強い「おもい」だった。

 そこでようやく、僕は自分自身の「おもい」に気が付いた。

「――英璃、キミが好きだ」

 気が付くと、自覚してあふれそうになったその「おもい」を僕は口にしていた。だけど、言葉にしてしまったからには、引き下がる訳にもいかなかった。

「……遅い。 いっくん、遅いよ」

 そう言って、英璃は泣き笑いのような、複雑な表情かおを浮かべた。そして、そのまま僕にすがりついた。

「いっくんは今気付いたのかもしれないけど、私はずっと前から好きだったんだから! だけど、いっくんは私に『彼氏』ができても何にも言ってくれなくて! 私、ずっと悩んでたんだから――いっくんは私のことなんとも思ってないのかなって!」

 ……英璃を泣かしていたのは僕の方だったのか。そう思うと衝撃が大きかったが、ただひたすら「ごめん」と謝ることしかできなかった。

「英璃、本当にごめん。 いつの頃からか、そばにいてくれることが『当たり前・・・・』になって甘えていたのかもしれない。 ……泣かすつもりはなかったんだ」

 そう話しながら、同時に僕は反省していた。……本当に、英璃の存在が「当たり前・・・・」になっていたのかもしれない。――登下校のふたりの時間や、いつも英璃がライブに来てくれることが「当たり前・・・・」だと思い込んでいたから、今の今まで自分自身のおもいに気付けなかったのかもしれない。

「もう、いい。 あの『うた』――あれがいっくんの気持ちだって、私もう分かってるから。 だから、謝るくらいなら、あの『うた』うたって」

 首を横に何度も振りながら、英璃はそんな意外な要求を口にした。

 それで気が済むのならと、僕は、彼女に対する僕の「おもい」全てをのせて、あの「うた」を全身全霊のチカラでうたい上げたのだった。


 僕の「うた」を聴いた英璃は満足そうにわらいながら、ナミダ――嬉し涙を流していた。

「私、その『うた』が一番好き。 ……ねぇ、そのうた、いっくんがつくったんでしょ? 名前はあるの?」

 英璃の咲うその顔に僕はほっとしながら、首を横に振ると微笑んでみせた。

「名前は……ないんだ。 だけど、この『うた』は英璃――キミのためにつくった、キミだけの『うた』だから、キミが望むなら何か名前を付けておくよ」

「うん、お願い。 ねぇ、いっくん、これからは私のそばにいて『うた』をうたってね」

 僕は大きくうなずいてみせると、小さくもう一度「うた」をうたい始めた。それを聴いた英璃が小さくわらうと、僕に合わせて「うた」を少しずつ一緒に口ずさみ始めた。

 ――そうして、僕たちふたりはしばらく「うた」をうたい続け、お互いにわらい合っていたのだった。


 それが、大学生の時の思い出。――ちょっとした「すれ違い」を経て、僕たちふたりはようやく結ばれたのである。


 

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