開花 〜中学生〜

 中学校に上がると、英璃と関わる機会はますます少なくなった。同じクラスにはなったものの、英璃は相変わらず人気者だったし、僕は教室の片隅で静かに過ごしていた。

 それでも、登下校のふたりの時間は続いていた。ただ、以前まえと違って、少し離れた中学校になり自転車通学に変わったため、英璃は道中たまにしか話をしなくなった。

 だけど、やっぱり僕たちは、ふたり並んで自転車で走るだけで満足していた。――何より、ふたりで過ごす時間が大切だったのだ。

 中学生になって、新しく友達ができたりして……少しずつ「日常」が変わっていても、自然と毎日欠かさず、ふたりで一緒に登下校を続けていた。


 ――僕たちは、そんな少し変わった幼なじみの関係を、徐々に温めていたのである。


    ♪


 そんなある日のことだった。

「イク、聞いたか? 今度、音楽の時間に、皆の前で歌うテストがあるんだってよ」

 僕が大人しく本を読んで休憩時間を過ごしていると、同じクラスの友達である峰岸みねぎし れいがそんな話を持ち出して来た。


 澪は中学校から付き合い始めた友達で、彼もどちらかといえば、僕とは無縁の人物だった。澪は軽音楽部でギターを担当していて、その腕前で多くの人達を魅了していた。おまけに、彼はいわゆるイケメンというヤツで、かなりモテててもいた。

 そんな澪が、どういう気まぐれなのか、地味な僕に話し掛けて来たことから、僕達の奇妙な関係が始まった。いつも澪がちょっかいをひたすら出しているだけなのだが、僕はそれを、特に嫌がることもなく、適当に流していた。その絶妙な距離感が澪にとっては「ちょうど良い」らしかった。僕も澪といると楽しかったし、彼のことが嫌いではなかった。

 ――僕にとって、澪はある種の悪友と言っても良かった。


「えぇ〜……」

 澪が持ってきたその悪い知らせに、僕は落胆の声を上げる。

 歌うことは……嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだ。問題なのは皆の前で・・・という部分だ。内気な性格だった当時の僕はともかく静かに――できるだけ目立たず、学校生活を送りたがっていた。

「良かったじゃないか、お前の出番だぞ」

「なんでそうなるんだよ」

 からかうようにそう言った澪に、僕はすかさずツッコミを入れる。

 目立ちたくは、ない。――けれど、歌は本当に好きだったので、せっかくなら少しでも上手く歌いたい。……ちょっと練習しようかな。

 そんなことを考えていると、澪が自慢するかのように、鼻を鳴らしながら、高らかにこんなことを言った。

「オレはお前の才能・・に前から気付いてたからな。 あのさ、それで……テストが終わって、もし人前で歌うことがイヤじゃなくなったら、オレに言ってくれ。 ――オレ、前からイクとバンドやりたかったんだよ」

 あまりの衝撃に、僕は本を落っことした。……この・・僕が・・? 澪のバンドに? いやいや、あり得ない。第一、澪は僕と違って、ギターの才能もある。なのになんで、澪はそんな突拍子もないことを言い出すんだろう。

 そう思って、いつものように彼の話を軽く流して、すぐに断ろうとした。――が、澪がすごく真剣な表情かおをして、じっと僕を見つめていたので、断るに断れなくなっていた。

「……できるだけ、前向きに検討はさせてもらうよ」

 仕方なく、僕はそんな曖昧あいまいな返事をすることにした。それでも、澪はぱっと目を輝かせると、嬉しそうに「おう!」とうなずいてみせた。

 とりあえず、歌の練習だけはしておくか。


    ♪


 僕はテストまでの間、毎日課題曲の練習をすることにした。最初の頃は裏庭で歌っていたのだが、納得がいかずひとり首をひねっていた。……どうせやるなら、本番テスト通りにしようか。ふと、そんなことを思いついて以来、僕は音楽室に通うことにした。

 僕としてはこっそり練習しているつもりだったのだが、いつの間にか澪にバレてしまっていた。どうやら、後をつけていたらしい。そんな訳で時々、澪が僕の歌を聴きに来ては顔を輝かせていた。そんな澪の様子を僕は不思議に思っていた。

 練習の成果もあって、僕は課題曲を何とか上手く歌えるようになっていた。……よし、これで合格間違いなしだ! そう思っても、僕は本番テストまで気を抜かず、最後まで練習を続けた。


 そして、テスト直前のある日のこと。

 僕はその日も練習をしていた。楽譜を見ながら、課題曲を歌っていると、後ろのドアを開く音がした。……どうせまた澪が来たんだろう。そう思って、最後まで歌い続けた。

 無事に歌い終え、楽譜から目を離して顔を上げると、目の前に意外な人物の姿があった。

「いっくんって歌が上手なんだね」

 ――なんと、そこにいたのは英璃だったのだ! しかも、あろうことか、僕の歌をほめてくれていた!

「え、英璃!? なな……なんでここに!?」

 何だか急に恥ずかしくなって、僕はしどろもどろになっていた。……え、今何て言った? 上手い? 僕が・・? そんなこと、澪は一言も口にしていなかった。

「レイ君が教えてくれたよ」

 英璃の答えを聞いて、僕は頭を抱えた。……アイツめ。そもそも、澪には英璃との関係を話していなかった。いや、たぶん、何となく知ってはいるだろうとは思っていたが、よりにもよってなんで英璃に練習のことを話すんだよ。

「ね、もっかい。 いっくん、もう一回歌ってよ」

 そんなことを考えていると、やけに、英璃が僕に歌うようねだった。澪なら平気なのだが、英璃となるとちょっと……。あまり上手く歌える気がしなくて、僕は断ろうとしたが、英璃が上目遣いに僕を見つめてくる。そんなの、反則じゃないか!

「……分かったよ」

 渋々僕は了承して、英璃ができるだけ目に入らないように、楽譜を高く上げて歌い始める。時々、恥ずかしさがこみ上げてきたが、テストはもっと大人数に聴かれるし、今よりずっと緊張するはずだと自分に言い聞かせて、歌い続けた。

 歌い終わると、英璃はしばらく恍惚こうこつとしていて、しばらく経ってから、ほうと息をついて僕に言った。

「好きだなぁ、いっくんの歌」

 英璃に褒められて悪い気はしなかった。僕は自分の歌を人並みだと思っていた。でも、英璃や澪の反応を見ると、そうじゃないのかもしれないという気さえしてきた。

「私、もっと色々いっくんの歌、聞きたいなぁ。 ね、今度テスト上手くいったらさ、バンドやってみなよ。 レイ君に誘われてるんでしょ? いっくん上手いし、私すごくいいと思うよ」

 僕が戸惑っていると、英璃がそんなことを言い出した。……ていうか、アイツ、バンドのことまで英璃に話してんのかよ。まんまと澪にのせられたような気がしたが、僕はうなずいて、前向きに考えてみることにした。


 そして、迎えたテスト当日。

 僕はそれほど緊張せずに、課題曲を歌い切った。――英璃の前で歌った時の方がよっぽど恥ずかしかったのだ。余裕があったので、ついでに思い切り歌ってもみた。

 歌い終わった時、目に映ったのはドヤ顔をしている澪と、すごく嬉しそうにわらっている英璃の顔だった。ちなみに、皆は目を丸くして、言葉を失っていた。

 しばらく沈黙が降りた後、誰かが拍手し始めたのを皮切りに、全員が僕のことを称賛していた。

 正直信じられない気持ちでいっぱいだったが、同時に、僕はすごく清々しい気持ちで満ちあふれていた。 

 そして……――。

「よお、イク。 ――待ってたぞ」

 その日、テストで文句なしの合格をもらった僕は澪の元を訪れ、軽音楽部の門を叩くことになったのである。


    ♪


 以来、僕は澪のバンドで、ボーカル担当として活動することになった。――僕の「日常」に少しだけ色が付いたのである。

 とはいっても、僕はそれほど積極的に、軽音楽部として活動をしている訳でもなかった。普段はいつも通り静かに過ごして、時々は練習に参加して、発表会には必ず顔を出す――そういう姿勢スタンスだった。けれど、参加する時は必ず、全力で取り組んで、思い切り楽しむことにしていた。

 澪と同じく、バンドのメンバーも無縁と言っても良い面子メンツだったが、僕は彼らのことも嫌いではなかった。むしろ、一緒にいてすごく面白くて楽しいくらいで、バンドは僕の「居場所」のひとつでもあった。

 メンバー達は澪と同じく「絶妙な距離感」がちょうど良いと言って、僕を認めてくれていた。それに、澪が僕のことを許してくれているのも大きかったのかもしれなかった。


 一方、英璃はというと、すっかり僕の歌にハマってしまったようだった。

 僕が活動を始めて以来、英璃は必ず、バンドの発表会に来てくれるようになった。ただ、英璃の応援はそんな大っぴらなものではなく、ひっそりとしたものだった。――発表の場にそっとやって来て、僕達のバンドの曲に聴き惚れた様子を見せると、最後には僕にわらい掛けるとまた静かにその場を去る。そして、感想を必ず登下校の時に話してくれていた。

 テストのあの日以来、僕はすっかり人前で歌うことに魅了されていた。けれど、やっぱり、内気な僕にとっては大勢の前に立つのは少し恥ずかしくもあった。でも、当時の僕はそんな英璃の存在があったからこそ、バンドで歌い続けることができていたのである。


 ――こうして、僕にとって、歌はとても大切なモノに変化していったのだった。

 それが中学生の時の思い出。静かな「日常」の合間に、僕はひたすら歌い続けたのである。

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