命を食らえ若人よ

violet

世界って本当に素晴らしいな

 砂漠を歩いていた。日本ではない、とある国の砂漠だ。時刻は11時半くらい。


 はあはあ、と俺は息を切らしながら歩き進んでいく。朧気に前方を見つめる。薄い茶色のさらさらとした砂の地面。雲一つない青い空。じりじりと照りつける太陽。そして自分を誘導する男性が一人。


 その男性は老人であった。調理器具などが詰め込まれた大きなバッグを背負い、木製の杖を付いて進んで行く。その歩みは慣れたように軽快だ。


 俺は背負っているバッグから水筒に手を伸ばした。しかし、思い直して手を引っ込める。俺に分配されている水と食料は、かなり少なかった。今ここで飲んでしまえば、後が辛くなる。


 だがしかし、俺の身体は極限状態にあった。じりじりと、太陽の日差しが身体を照りつける。体温が上昇して、身体がそれを冷ますために汗を出す。身体中の水分が汗として流れて、そして喉が渇く。


 補給されない水分。発散されない体温。脳機能が衰えているのか、頭痛や目眩が酷い。


「ガッフ……!?」


 目眩によって、俺は足を踏み外してしまう。俺はおもわず両手を砂の地面に付けてしまう。


「……あっちぃっ!」


 すると、日照りによって熱くなっている砂が、俺の両手のひらを焼いた。


 ああ、どうしてこんな目に遭ってしまったのか。俺は目を閉じて、回想をし始めた。





 俺はジャーナリストである。その辺の雑魚とは違い、大成功をしたジャーナリストだ。テレビにも引っ張りだこで、最近は本業よりも芸能活動の方が収益を出ている。


 そんな俺の年収は、いわゆる金持ちに分類される程に多い。あり余った金を何に消費するのかが、毎年の悩みであった。


「佐藤さーん。腹が減りましたよー。焼き肉でも食いに行きましょう」


 俺のことを佐藤と呼ぶこいつは、田中。仕事の部下である彼は、俺がお金の使い道に困っていることを知っている。だからこうやって、ずうずうしく要求してくる。


 しかし俺も断る理由がなく、何だかんだで彼を信頼しているのもあって、俺は付き合う。


 俺は田中を焼肉屋に連れて行った。金が有り余っている俺が、安い焼き肉屋に行く理由はない。赴いたのは超高級焼き肉店であった。


 A5ランクの牛肉がテーブルに置かれた。筋肉に網目のように張り巡らされた白い脂肪。まさに霜振り肉である。


「ああ、こういうタイプのやつね」


 俺は呟く。置かれた牛肉は確かに立派なものだが、俺はその手のものを何度も食ってきた。もはや、食べなくとも食感や味が分かってしまう。


 牛肉が鉄板で焼かれる。ジュウジュウと肉が焼かれる音が響く。田中はそれをまるでオーケストラの合奏を聴いているかのように目を閉じていた。


 一方で俺は、何度も聴いて、何とも思わなくなったカノンを聴いているような気分であった。


 田中だって、俺に付き合って何度もこういった肉を食っているはずだ。よく飽きないものだ。


 俺は焼き上がった肉を箸でつまんで食べた。


「あー、はいはい」


 美味い肉の味と食感がした。何もかも、俺が想像した通りのものだった。


「あー、もういいや。田中、残り全部食って良いよ」


 俺が言うと、田中は嬉しそうに残りの肉を食らう。


「焼き肉も飽きたな。何か珍しい料理とか……」


 と俺は言いかけて、そしてがっかりした。メジャーな美味い食い物は食べ尽くした。だから新感覚を味わえる食べ物を食べたい。そういった思考には何度もなっていている。その度に料理を調べては食べ、調べては食べを繰り返した。そして、もはや俺の食べたことがない料理はなくなっていた。


「世界って、くだらねえわ」


 俺は呟いた。何も料理だけではない。世界中の、ありとあらゆるものを体験し尽くした俺は、感動する回数がかなり少なくなっていた。


「ああ、佐藤さん。俺の知り合いである料理研究家の人がいるんですけどね」


 田中がそんな切り出しで、世界で最も美味い食い物についての話をし始めた。





 そして俺はこの砂漠にいた。持て余していた金をふんだんに使って、その世界で最も美味しい食べ物について突き止めたのだ。


 俺と仙人は、その食べ物の食材を取りに来ていた。仙人は食材の調理方法を知る、唯一の人物であった。


 倒れていた俺に仙人は近づく。そして俺と違って沢山持っている水を、俺にぶっかけた。


「ほら、はよせい」


 そう言いながら、仙人は水をグビグビと飲んだ。俺はそんな態度にイラつきながらも、立ち上がる。


 これは条件であるから仕方がない。世界で最も美味い食い物を食わせてやる代わりに、俺の水と食料は少なくする、というのが条件であった。


 時刻は12時半頃。ずっと歩き進んできた俺たちの視界に、奇妙な光景が見え始める。ヤシの木が至る所に生えていて、そしてその奥には薄らと泉のようなものが見える。


「仙人、あれ……」


 俺は必死の思いで仙人に尋ねた。


「ああ、あれが目的地だ」


 俺たちは目的地であるオアシスに辿り着いた。


 そこは、先ほどの砂漠とは別世界のような場所であった。遠くから見たとおり、ヤシの木が生え、草花が生い茂っている。自然豊かで水もあるせいか、色鮮やかな鳥や蝶が飛び交っている。


「ワシが言ったことを覚えているか」


 仙人が俺に釘を刺した。もちろん覚えている。ここの生態系は特殊で、ほとんどの動植物には毒が含まれている。毒があるのは泉で泳いでいる魚などもそうで、泉は奇麗に見えるがその毒に汚染されている。


 目の前に大量の水があるのにお預けをされている気分だが、水と自然によって周囲はかなり涼しい。砂漠よりも、かなり楽であった。


 ほら、と仙人は俺に弓と矢を渡した。俺はここで幻の牛を狩る。


 金牛と呼ばれる、卵黄の如く金色に輝く牛だそうだ。もちろん、その金牛にも毒がある。しかしこの仙人なら、その毒を排除して調理することが出来るそうだ。


 オアシスは狭い。だからすぐに、その金牛を見付けることができた。俺と仙人は草影に隠れる。俺はそして、弓を引いた。


 金牛は俺に気付かずに、呑気に草を食っていた。その下げた頭に、俺は狙いを付ける。


 弓矢を扱うのは初めてではない。そして狩猟として、命を狩ることも初めてじゃない。


 しかし、なんだろう。俺は極限まで飢えていて、そしてその飢えを満たすために命を狩ろうとしている。それを実感しているのか、緊張のようなものを感じている。


 そういえば狩猟を体験した時も、狩った獲物をその場で調理して食うなんてことはしなかった気がする。


 先ほどまで生きていた物を食らう。本来ならそれは、気持ちの悪いことなのかも知れない。でも今の俺はとにかく飢えを満たしたい一心であった。それが何だか、不思議であった。


 俺は矢を放った。矢は空気を引き裂きながら直進していき、やがて金牛の頭部を射貫いた。


 金牛は、ばたりと倒れる。


 すぐに俺と仙人は牛に近づいた。仙人はバッグから調理用の鉄板を置いた。


 その後に大きな包丁を取り出して、倒れている金牛にあてがった。


 すると牛が突然暴れ出した。頭を射貫いたというのに、まだ生きていたのだ。


「見ろ。この生命力を。お前はこれから、この生命を食らうのだ」


 そう言いながら、仙人はザクリと包丁を突き刺した。


 たった今絶命した牛に、俺は目を閉じる。


 いただきます。


 仙人は手際よく、包丁で牛を解体していく。肉の表面が露わになって、血液が溢れる度に、何ともいえない匂いが俺の鼻孔を擽る。それは、バターと醤油を熱して混ぜたような、あるいはそこに牛肉の脂も混ぜたような、そんな香ばしい匂いであった。


 空腹で死にそうな俺がそんな匂いを嗅いでしまうと、もう堪ったものではなかった。身体中がその肉を食べたい、食べたいと主張する。グウグウと腹がなって、水分不足のはずなのに涎が溢れてしまう。


 そんな金牛の肉の表面は、金色の皮膚と違って真っ白であった。


 いや、真っ白というのは語弊がある。白い表面に、薄らと赤い筋が見える。


 俺は察して、さらに涎が溢れてしまう。この白い部分は全て脂肪だ。霜降り肉が赤い筋肉に白い脂肪が網目のように張り巡らされているのに対して、この肉はほとんどが脂肪で、ほんのちょっとだけ筋肉があるだけなのだ。


 こんなの、美味いに決まっているじゃないか。俺はあふれ出る涎を、ゴクリと飲み込んだ。


 仙人が、その肉を鉄板に置いた。ジュウっと肉が焼ける音が途端に響き渡る。


 それはありふれたカノンのような音色だ。しかし何だろう、幾重にも楽器の音色を重ねたような、そんな重厚感のある音色のように感じる。バチバチと肉汁が熱によって弾ける音。パリパリと表面が焼かれる音。熱が内部に浸透して、そして肉の色が変わっていく音。


 仙人は肉をひっくり返した。すると、白かった肉の表面が変わっていた。いつも食べ慣れている肉のように、こんがりときつね色である。表面は熱によって、脂肪の油がパチパチと跳ねている。


 そして先ほどまで香っていた匂いが、さらに香ばしい匂いとなって、それが空気中に放たれた。


「ああ、仙人。はやく、はやく」


 俺は涎をまき散らしながら、仙人にねだる。もはや、限界であった。


「ほら、出来たぞ」


 焼き終えた肉の一切れを皿にのせて、俺に差し出した。両面がこんがりと焼かれて、豚トロのように熱で反り返った肉。俺はそれを箸でつまむ。すると肉は、ぷるんっと震えながら箸にぶら下がった。


「命を食らえ若人よ」


 仙人が言った後、俺は恐る恐る口に運んだ。


 口内に入った肉が味蕾に触れる。その刺激に、全身に鳥肌が立った。今まで体験したことのないような、濃厚な味。焼いたチーズよりも濃厚で、クリーミーで、そして肉らしい香ばしさもある。


 俺はその肉を噛んでみる。歯が脂肪に食い込んでいき、やがてプチっと弾ける。瞬間、先ほど感じた濃厚な味のする液体が、じゅわっと口内を満たすほどにあふれ出た。まるで口内を犯されているかのような、未知なる味による支配。俺はそれら全てを、ごくりと飲み込んだ。


「うまい」


 俺はただ一言そう呟いた。そして、ポロポロと涙が流れる。あまりの美味さに、感動して泣いてしまったらしい。


「嘘だろ。ありえねえ。こんなに美味いなんて、そんな」


 俺はそう言いながらも、もう一切れを口に含んだ。水風船のような脂肪を噛み、破裂した中身によって口内が満たされる。


 不思議なことに、俺の体調も徐々に良くなっていく。この肉は世界で最も美味い肉であるが、同時に世界で最も栄養価の高い食べ物であるらしい。衰弱しきった身体にそれが与えられたものだから、身体が喜んでいるのだ。


「ごちそうさまでした」


 俺は手を合わせて祈る。命を頂いた。そのことを、強く実感しながら。


「聞きなさい、若人よ」


 仙人が俺に言った。すっかり元気になった俺は、仙人に向き直る。


「この牛は確かに珍しい。味も逸品だ。しかし食べ慣れてしまえば、大したこともない」


 仙人は言った。冷静になった今、俺は改めて思い返してみる。確かに、新鮮な感覚ではあった。とても魅力的な味であった。しかし、俺や田中が普段食べている肉と、大差はなかったのではないか。この肉を毎日食べるとしたら、嬉しいだろうか。


「泣く程までに美味かった理由。それは、この肉を得るために過酷な砂漠を進み、飢えや喉の渇きに耐え、そして自らの手で命を狩ったからだ。噛みしめた肉に宿る命の重みを感じていたからだ」


 仙人に言い諭されて、俺は思考する。田中と食べたあの時の肉だって、確かに美味しかったはずだ。そう感じられなかったのは、俺の問題なのだ。だって田中は、あの肉を美味そうに食っていた。


 俺は両手を見る。この手で命を奪った感覚。その命を食らった感覚。


 俺はその両手を胸に添える。奪った命を、胸に抱くように。


 俺は命を食らい、生まれ変わったのだ。





 後日。日本に帰国した俺は、ビルの屋上に出た。青い空と、白い雲。日本の真昼は、砂漠よりも涼しい。


 俺はそのままフェンスに寄りかかって、スマホを取り出した。


「あ、もしもし。田中か」


 そして俺は、田中に通話をした。すぐに田中が出て、いつもの調子の良い声が聞こえてくる。だから俺は、世界一美味い肉を食ったあの日のことを語ってやる。


「それでさ。俺、仕事をやめようと思うんだよ」


 短い冒険譚を語った後に、俺はそう告げた。田中はとても驚いた様子であった。


 俺は仕事を辞めて、農業でもしようかと思っている。苦労して育てた野菜を食らうのは、きっと美味しいだろう。そんなくだらない理由であった。


 俺が農業をやろうとしていることを伝えると、田中は盛大に笑った。それもそうだろう。以前の俺だったら、金で手に入るものをわざわざ自分で育てるなんてことはしない。


「なあ田中。そういう訳だから、焼き肉食べに行こうぜ」


 俺が提案すると、田中は少し渋った。俺が以前、肉を不満げに食っていたから、気を遣っている感じであった。


「大丈夫だよ。きっと今度は、美味いと思えるから」


 俺はそう言って、空を見上げた。


 あの日の俺とは違う。生まれ変わった俺なら、きっと美味いと思えるはずだ。


「なあ、田中」


 見上げた空に、俺は呟いた。



――世界って本当に、素晴らしいな



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