その夜、感じた絆は

@itokonyaku

第1話

 大学のときに所属していた演劇サークルの集まりに顔を出したのは、そのときがおれにとって久しぶりのことだった。


 久しぶりに参加したのは、京香さんが留学先のニューヨークから帰ってきたと聞いたからだ。


 京香さんはおれの高校・大学の先輩。2つ年上。


 おれが高1のときの文化祭、3年生はどこのクラスも劇をやっていた。8クラスの内、おれはたまたま5クラスほど鑑賞することができたが、京香さんのクラスの劇だけクオリティが頭一つ抜けていた。


 高校の文化祭のクオリティじゃなかった。


 その素晴らしい劇の中でも京香さんの演技は抜きん出いていて、主役ではないのに舞台に出ている間は観客の視線を一身に集めた。


 彫りが深めで唇がチャーミングな、特徴的な顔立ち。(聞けばクオーターで中南米の血が入っているらしい。)バレリーナのような芯の通った姿勢の美しさが圧巻だった。


 そのときだったのだろう。どうやらおれが京香さんに一目惚れしてしまったのは。


 しかも、後で知ったのだが、劇の脚本と演出は京香さんが考えたそうだった。


 むしろそっちがメインだったのだが、役者の一人が直前になって出たくないと言い出し、京香さんが出演することになったそうだ。


 京香さん、凄すぎない?


 どうにか彼女と同じO大学に入り、彼女が所属しているという演劇サークルに入った。


 高校のときまではずっとバスケしかやっていない。演劇は文化祭で少しやったくらいの経験しかなかったが、裏方として貢献できるようにがんばった。照明、音響を担当したり、BGMを作ったりするのがおれの役割だった。


 そんなふうに演劇サークルでともに時間を過ごしたと言えなくもないが、おれが想いを打ち明ける機会はなかった。京香さんはモテていたし、カリスマ的存在でもあった。アプローチする勇気なんてものもなかった。


 おれが3年生のとき、京香さんは演劇の本場ニューヨークに留学に行ってしまった。本格的に演劇を勉強しに行くと。


「ニューヨークでマスター(修士号)を取って、向こうで働くつもり。」


 彼女はその大きな目を輝かせて言っていた。その言葉は力強く、京香さんが言うならそうなるんだろうなと思わせる説得力があった。


 それから2年と数ヶ月が経った。


 京香さんは相変わらず綺麗だったけれど、おれが彼女に感じていた力強さ、オーラみたいなものが薄くなっていた。


「京香さん、あんなに小さかったっけ?」


 ぽつりと呟くと、隣りにいた友だちが同じようにポツリと言った。


「だよな。挫折の帰国って感じだよな。」


「そうなんだ。」


「アメリカで就職なかったらしい。」


「なるほど。」


 京香さんはアメリカで演劇に関わる仕事をするのが夢とずっと言っていた。おれたちも京香さんならその夢を実現するだろうと思っていた。


 だが、現実は京香さんに厳しかったようだ。


 留学した経験を生かして日本で働くこともできるが、京香さんはどうするつもりなのだろう。そんな事を考えつつも、その場では京香としっかり話す機会はなく、集まりはお開きになってしまった。


 それでも、久しぶりに会った友人たちとの会話が盛り上がった。来て良かったと思った。


「じゃあ、また来年くらいかな。」


「多分。じゃあな。」


「おう。」


 おれは普段酒を飲まない。久しぶりに酒を口にするのは悪くなかった。夜桜を見ながらアパートまでの道を歩いていると、今日酒を飲んで良かったと思った。


 ただ、ちょっと飲みすぎたかもしれない。来た道を少し戻り、夜桜が綺麗な公園のベンチに腰掛けた。


 ぼーっとしていると、前の道を京香さんが歩いているのが目に入った。


「京香さん」


 おれがためらいなく声をかけられたのは、アルコールがおれの緊張や遠慮を吹き飛ばしてくれていたからだろう。


 おれと京香さんの関係は、2つ学年が離れている割にはよく話す先輩後輩という程度のもの。普段ならあんな自然に声をかけられなかったと思う。


 京香さんはゆったりとした動作で振り返ると、「加瀬くん」とおれを認めて手を上げた。


「お疲れさまでした。京香さんはこの先の地下鉄ですか?」


「そう。加瀬くん違うの?」


「はい。おれは家近いんで。今は飲みすぎたっぽいので、風に当たりながら酔いを覚ましてます。」


「あー」


 京香さんは少し考えてから、「私も風にあたっていこうかな。」と笑った。


 あのときの京香さんの様子を思い出せば、話し方や動作が緩慢で、随分酔っていたと分かる。おれが見たことのないレベルで酔っていた。


 彼女がベンチに腰掛けるタイミングに合わせてアテレコするように「よっこらせ」と言うと、京香さんは「私そんなおばさんみたいな動きしてる?」と笑った。


「してます。完全に。」


「ま、私も年取ったからね。夢見る少女じゃいられないのよ。」


 夢というのは、この場合アメリカで演劇の世界で活躍することだろう。京香さんが全力をかけて挑み、叶えられなかった夢だ。


 ははっと笑う彼女の横顔に痛みを感じたおれは、すっかり言葉を見失ってしまった。


 少し間があってから、そう言えば、と会話をつないだ。


「そんな感じの歌ありましたよね。」


「確かに。『夢見る少女じゃいられない』。あったような気がする。」


 何か冗談を言って空気を変えたかったが、「京香さんのテーマソングにしたらどうですか?」という冗談しか思いつかなかった。刺すように強烈な皮肉になってしまう。


 またしばらく沈黙が訪れ、春の夜の風が吹いた。ブランコが小さくカタカタと揺れていた。


「ブランコ乗りませんか?」


「エモいね。」


「ですよね。」


 二十代半ばの男女二人が夜の公園のブランコに腰掛けた。


「京香さん、おれ今『T機械』っていう産業用機械のメーカーで働いてるんですけど、この前工場で―――」


 それからおれたちはお互いの近況を話し合い、昔の思い出話をしたり、子どものころの話をしたり、冗談を言い合ったりした。




「―――それでその上司がよく言ってるのが、『おれは上司をやってるんじゃない。部下たちがおれを上司にしてくれてるんだ。だから、おれを当てにするのはやめとけ。』っていう話で。」


「ははっ。面白いね、その人。何さんだったっけ?」


「川島さんです。」




「でも、それじゃあどうして怒ってるのか分からないじゃん?」


「ですね。どうしたんですか?」


「うん。私もどうして自分がそういう発想に至ったのか理解できないんだけど―――」




 まるで昔からお互いに知っている幼なじみのように、おれたちは語り合った。まるでこの夜がいつまでも続くかと信じ切っているかのように。




「それにしても不思議だね。」


「今の話に不思議なところありましたか?」


「今の話じゃなくって、ほら、加瀬くんってこんなに話しやすい人だったんだなと思って。」


「話しやすいですか?」


「特にジョークがわりと私のツボだわ。知性を無駄遣いしてる感じとか、センスあるのかないのかよく分からないところとか。」


「それは褒めてくれているんですよね?」


「もちろんだよー。」


「でも、そうですね。あまり話す機会なかったですもんね。」


「そう。それで、こんなに会話の波長が合う―――って言って意味分かる?」


「言ってることは分かります。」


「波長が合う人なのに、これまで全然話してこなかったんだなと思って。」


 おれは何も答えず、心地よい酩酊感に包まれながら、二人の間で通じ合ったなにかを感じてみた。京香さんから香水の匂いが漂ってくる。


 時計を見た。午後2時になろうかとしていた。


「もう2時ですよ。」


「加瀬くん」


「はい?」


 呼ばれたので隣の京香さんの方を向くと、京香さんの顔がすぐ近くまで来ていた。


 おれは顔を逸らさなかった。


 キスは一瞬。


 ねぇと彼女は言った。


「今晩泊めてよ。」


 ―――おれは頷いた。


 それからおれの部屋までの道のりで二人は口数少なく、ただ手を繋いでいた。


 部屋に着くと、京香さんはカーディガンを脱いで机の上に置いた。


「シャワーとかはいいでしょ。」


「はい。」


 先に仰向けでベッドに倒れ込んだ京香さんに、おれはゆっくりと体を重ねた。


 その夜は全てが緩慢だった。


 視線も、体も、声も、全て。


 二人の間で通じ合ったなにかを探し当てるように、緩慢にお互いを感じあった。


 朝起きると、京香さんが朝食を作ってくれていた。


 二人で朝食を食べ、部屋を出るとき、京香さんはおれの目を見て尋ねた。


「また来てもいい?」


「はい。連絡しますね。」


「絶対してね。」


 その言葉に嘘はなさそうだった。


 ―――それから京香さんからの連絡は一度も来なかった。


 今彼女がどこで何をしているのか、それからはよく考えた。演劇サークルのメンバーにも聞いた。だが、誰も知らないらしかった。


 あの夜、おれは京香さんとの間に何か特別な絆みたいなものを感じた。


 ずっと憧れだった人だったけど、振り返るたびに自分でも驚くほど自然に話せた。京香さんもリラックスして、普段とは少し違う姿を見せてくれていた気がした。


 おれたちはあの瞬間、確かに特別な何かを共有していた―――はずだった。


 あれはおれの錯覚だったのか。


 酒が入っていたせいで起こった、ただのよくある「ワンナイト」だったのか。


 そう言えば、アメリカでの話はあの夜一回も出なかった。アメリカでの挫折をほのめかすような言葉を一瞬漏らしただけ。


 あれから十年。仕事で出会った人と結婚して子どももできた。


 あの夜のことは誰にも話していない。








(完)

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