第2話 真田班長

 川田署に配置されて三日間は初任教養を各課長から受けることになった。初任教養と言っても警察学校での座学とそれほど変わりなく、俺は寝ないことに全神経を集中させていた。卒業式の日、佐藤が言っていた真田班長についてはあえて考えないようにしていた。

 南雲交番は川田署管内の一番端に位置しており、川田署から直線距離にして10キロメートル以上ある。俺たち新米警察官は車通勤の許可がないため自転車通勤を命ぜられた。遠距離のため交番には顔を出さなくて良いと交番所長に言われていた。それでも少しくらい顔を出しておいた方が良いと考え、昼休みに川田署から南雲交番に電話をかけた。

「はい。南雲交番真田です。」

太く低い声で応答があった。いきなり真田班長が電話口に出るとは考えてもみなかった。全身の毛穴から汗が吹き出るのを感じた。

「あ、あの、この度、南雲交番勤務を命ぜられました。た、立花恭二です。」

緊張のせいだろうか、たどたどしくなり自分の名前を噛んでしまった。

「ああ、お前かよろしく。どうした?」

相変わらず威圧感のある低い声で問われた。

「あの、本日教養が終わりましたら交番に挨拶に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ああ、いいよ来なくて遠いし、所長にそう言われてるだろ。ひとつお前に言っておくがな、立花。飯時に電話なんかしてくるな。てめえの都合で動くんじゃねえぞ。じゃあな」

真田班長は相変わらずのトーンでそう言うと問答無用で電話を切った。

予想外の展開であった。電話なんてするんじゃなかったと後悔した。

 俺はことの顛末を佐藤に話した。佐藤はいつものにやけ顔になり、

「うわ、何ファーストコンタクトで怒らしてんだよ!だけど真田班長はやばいな、腹減ってイラついてたんじゃないの?」

と茶化してきた。午後からの教養は全く頭に入ってこなかった。


 三日間の初任教養が終わり、明日からはいよいよ交番勤務に就くことになる。あの電話以降、真田班長とは話す機会がなかった。あの日、佐藤では話にならないので同じ所属になった総代の山崎に相談をしていた。山崎は一般企業に勤めていたが、警察官になるという夢を追いかけ中途で採用された人物だ。年齢は俺よりも一回り上の32歳で、社会経験も有り、頼りになる人生の先輩である。そんな山崎は佐藤とは違い真面目に応えてくれた。

「立花君。食事中に電話をかけてしまったのは確かに良くないけど、そんなに叱られることでもないと思うよ。でも警察って独特の空気感あるじゃない。だから警察の常識はそうなのかもしれない。僕もまだ経験ないからよくわかんないけどね。ただ来なくて良いって言われたのなら謝りに行かない方がいいんじゃないかな。そういう人って謝りに行くと余計に怒りそうだしね。」

そんなものかと納得はしたが、結局総代に相談しても解決できなかったわけであり、憂鬱で長い三日間となった。

 

 交番は三交代制で24時間勤務である。俺の班は三人編成で真田班長、警察2年目の池谷先輩と俺の三人だ。本当はもう一人班員がいるらしいが何故休んでいるか教えてもらえなかった。しかし、だいたいの想像はつく、きっと真田班長と合わなかったのだろう。

 交番勤務前夜に池谷先輩から電話があった。

「立花さん明日からよろしくお願いしますね。明日俺が交番まで車で送るから本署一階で待っててくださいよ」

 池谷先輩は一年前に採用された高卒で、大卒の俺の方が年上だが拝命が一日でも早ければ先輩である。池谷先輩も、年上の俺に一応は気を遣っているのか、敬語混じりのタメ口で話しかけて来るので、なんだか変な感じがした。池谷先輩は柔道の猛者らしく、来年は機動隊の柔道特練が決まっているらしい。

 

 翌朝、本署の玄関前で待っていると池谷先輩が丸いシルエットの軽自動車に乗ってやって来た。がっちりとした体格の池谷先輩とはひどく不釣合いな車であった。

「先輩、かわいい車に乗っていますね。」

「立花さん。こういうギャップが女にもてるんすよ。」

挨拶もそこそこに俺は車に乗り込んだ。道中では真田班長との電話の件を相談した。

「えー!立花さんそれは班長怒るよぉ。飯は交番勤務で一番楽しい時間だよ。それを邪魔したらノンノンよ」

「はあ、やっぱりだめですよね。どうしたらいいですかね?」

「そんな小さなこと気にしてたら班長とは仕事できませんよ。無視無視!立花さん良いこと教えてあげますよ。班長との会話で困ったらポリスマインドって答えとけばいいっすよ。班長好きだからポリスマインド。」

「ポリスマインドですか?なんですかそれ?」

「ポリスマインドはポリスマインドすよ。」

答えになっていないが、この軽いノリは誰かさんと似ている気がする。

「ところで立花さん今日の飯はちゃんと持ってきてます?」

「はい。コンビニで買ってきたカップ麺とレトルトカレーです。簡単な方がいいかなってこれにしました。」

そう答えると突然、池谷先輩がにやけるのがわかった。

「立花さん。今日の昼飯はカップ麺で決定すね。班長カップ麺好きだから、わけてあげたら喜びますよ。」

なんだか怪しいが昼食だろうが夕食だろうが同じことなので、昼食はカップ麺を食べることにした。


 川田署は県庁所在地を管轄に受け持つが、当県は人口減少が続く地方である。市内はそれなりに賑わっているが、市中心部から離れると山と田畑が広がっている。

 南雲交番は市中心部から少し外れた地域を受け持つ。管轄の半分が住宅地でもう半分が山と田畑である。交番は築40年と県内では指折りの歴史ある交番である。歴史あるとは言ったが、単に予算がおりず建て替えが後回しになっているだけらしい。

 交番に着くと警察官が一人、事務室で新聞を読んでいた。大柄な体格で顔つきは柔道家牛島辰熊に似ていた。柔道未経験の俺でもわかる。この人は柔道の猛者だ。

「おはようございます!本日から南雲交番勤務に就きます立花恭二です!よろしくお願いします!」

「おう。俺が3班班長の真田猛彦だ。よろしくな。」

この人が真田班長その人であった。俺はなんて人を怒らせたんだと、さらに深く後悔した。

「おはようございます。班長非番組はどこに行ってますか。」

池谷先輩は既に防刃衣を着装し無線をつけながら班長に質問をしていた。

「非番は人身事故の現場に行っている。発生が1時間前だからそろそろ帰ってくるだろう。ところで、立花お前体重は何キロある?」

「57キロです。」

「ほっそいなぁ。警察学校でちゃんと筋トレしたんか?そんな体では犯罪者にやられるぞ。」

いきなり否定的なことを言われ思わずムッとしてしまった。言い返してはだめだと分かっていても短気な俺は我慢できなかった。

「班長自分は筋トレは苦手でしたが、走るのは得意です。1500メートル走はいつも1番でした。」

「ふーん。で?走る犯人に追いついてその後どうする?タッチしたら鬼さん交代じゃないんだぞ。もし俺が犯人だったら、お前は俺に勝てるのか?」

しまったと思ったが吐いた唾は飲めない。また、やってしまった。

「すみません勝てません。」

「だめだ!勝てませんじゃない。やるんだよ!警察官はな例え自分より強い犯人でも逮捕すんだよ!よし、今週の術科訓練は俺が稽古つけてやる。」

まずい殺される。俺は警察学校で柔道をかじっただけの素人である。

「班長、自分は剣道初段でして、術科は剣道で報告してしまってますが。」

また無駄口を叩いてしまったと思った瞬間、真田班長の手が俺の後ろ首に回された。

「柔道だったよな?」

「はい!自分は柔道です!」

「じゃあ目標を設定しないとな。来年までに黒帯な。そうと決まればまずは筋トレだな。非番が人身事故から帰って来るまでスクワットな。はい始め。」

時刻は午前8時を回ったところであった。まだ勤務時間外である。池谷先輩はずっと笑いを堪えながら、書類を作成していた。佐藤お前の言っていた意味が分かったよ。俺ハズレだわ。

 結局、非番組が交番に帰って来たのは午前9時を少し過ぎた頃であった。

「おい立花、非番帰って来たからもう良いぞ。」

もう足腰に限界がきていたのでその場に倒れ込んだ。

「立花。お前に今足りないもの何かわかるか?」

真田班長に問われ、何と答えるべきか困っていると、班長の後ろの方で、池谷先輩が下手くそなウインクをしている。俺は池谷先輩との会話を思い出した。

「ポリスマインドです!」

そう答えると真田班長は少し驚いた表情で、

「わかってるじゃないか。ちゃんと磨けよポリスマインド!」

「はい!頑張ります!」

よくわからないが正解だったらしい。


 その後、午前中はパトカーで警らをしながら管内を案内してもらったが、特に事件事故等なく、昼休みをむかえた。

 俺はカップ麺にお湯を入れると自分の席についた。すると真田班長が声を上げた。

「馬鹿野郎!お前それはな」

—ピーピーピー—

真田班長が何かを言おうとした瞬間無線のコール音がけたたましく鳴り響いた。

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ポリスマインド マサマサ @msasami

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