第三節 クローバーの虐殺②

 民兵たちは樹上の男に向けて一斉に撃ち始めた。男のほうは、木を盾にして銃弾の雨から身を守りながら確実に民兵たちを撃ち殺していく。ルフェリは木の陰を渡るようにして男の背後に回り込もうとした。男はルフェリの動きに気づき、彼が木の背後から現れた瞬間を狙って照準を合わせた。ルフェリは目をかっと見開いて自分に向けられた銃口の真っ黒い穴を睨みつけながら、歯を食いしばった。だが銃弾は彼の足元の雪をその下の土もろとも吹き飛ばしただけだった。ルフェリはすぐさま男に向けて発砲した。足を貫かれた男はぐらりと傾いて地に落ちた。

 木の根元を這って取り落したライフルを拾おうとする男を見下ろして、ルフェリは銃口を男の額に向けた。後から駆けつけてきた他の兵士たちがルフェリの後ろから男にライフルを突き付けた。

「きさま、俺をわざと避けたろ……」

 ルフェリはつぶやいた。男――ハウルはルフェリをじっと見つめた。まばたきもせずに。

「この同胞殺しめ」

 ハウルはルフェリを罵った。

「誰が同胞だ?おまえはここで一人きりだ」

 ハウルは乾いた笑い声を出した。

「分からないか?お前こそ、そこで一人きりだよ」

 ルフェリは腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じたが、それが表情に出ることは無かった――男が何かを投げたからだ。ルフェリは目を見開き、とっさに身を引いた。

 右肩に何か光を反射するものと、血――ナイフを投げられた。ルフェリは動揺したまま引き金を引いた。銃弾は男の脇腹を貫いた。ルフェリは腹から血を噴き出しながら呻いている男の頭を撃って殺した。

 ルフェリは荒い呼吸をした。肩の痛みが遅れてやってきた。はじめ服をあたたかく濡らした血は、すぐに冷たくなって彼の身体を冷やした。彼は新兵の一人が怪我の様子を尋ねてきているのにも気づかなかった。



◇◇◇



 森の奥から現れたヴァーブ達を皆殺しにした後、警官たちは森に入り、隠れている他のヴァーブを探し始めた。非戦闘員の多くは炭労連の協力のもと、虐殺が始まる前に逃げ出していたが、森の中を移動するのに慣れず、逃げ遅れてしまった者も存在していた。

 ダニエルが歩いていると、斜め後ろから木の枝が折れる音がした。ダニエルは振り向いた。

「誰かいるだろ?」

 ダニエルは銃口を向けながら言った。彼の声に呼応して、少し離れたところに生えた低木の群れの陰から二人のガタがゆっくり立ち上がった。若い女と、子供を背負った初老の男――彼らは銃は持っていないようだった。非戦闘員だろう。

「安心してくれ。大丈夫だから」

 彼は銃を降ろした。

「うちに帰してくれるの?」

 女が震えた声で言った。

「いいや。それはできないと思う。きっとこの戦争はきみたちの負けだ。それに、村はもう燃えてしまったから」

 ダニエルは俯きながら言った。

「燃えた?あんたたちがやったの!どうしてそんな酷いことができるの!まるで悪魔みたい!」

 その女は怒りを露わにした。

「仕方ないだろう。こっちだってあんたらに相当殺されたんだ。これは対等な戦争だよ。負けたほうが去るんだ」

「ここはわたしたちの土地だ。ここを血まみれにして燃やして破壊しても、あんたたちには帰る場所があるのに、どこが対等だっていうの?」

 ダニエルは苛立ちを露わにした。

「そもそもあんたらがここを去らなかったのが悪い!どうして俺たちの言うことを聞かないんだ!」

「どうしてわたしたちが言うことを聞くと思ったの!私たちが思い通りに動かなかっただけで殺したりなんかできるの!わたしたちはあんたとおなじ、人間なのに!」

「ここをどこだと思っている!ユーゴニア合衆国だぞ!」

 ダニエルは歯をむき出しにして叫んだ。

「もういい……。お前たちも奴らと同じだ。殺す」

 彼女は肩を強張らせてあとずさりした。ダニエルは発砲した。女は腹から血を吹きだしながら倒れた。子供の悲鳴が響いた。

 残された男はひどく動揺しているようだったが、子どもが自分の肩に顔を押し付けているのに気づいて、ダニエルを睨みつけた。

「お願いだ、この子のことは見逃してやってくれ!子供は悪くないだろう!」

 声は震えていた。

「子供を殺されたくなかったら俺を殺してみたらどうだ!」

 男は黙ってダニエルを睨みつけたまま、ゆっくり地に膝をつけて、子供を降ろした。子供は動揺して男の腕をぎゅっと掴んだ。

「後ろにまっすぐ走るんだ、振り向かないで。早く!」

 男は子供に言い放った。子どもは戸惑いながら後ろに向かって走り始めた。男はダニエルをじっと見つめたまま、ゆっくり立ち上がった。逃げる子どもの姿は男の後ろに隠れて見えなくなった。

 銃声がした。


 ダニエルは足元の男の遺体を跨いで、こちらに背中を向けて走っている子供に照準を合わせた。子供は大して遠くへは行っていない。時折木の根に足をひっかけて躓いたりしながら、逃げようとしている。

 それでもダニエルは、自分が正しいと思っていた。



◇◇◇



 紫色の空の下、ダニエルの側を冷たい風がびゅうびゅうと音を立てて通り過ぎた。それは彼の背を早く歩けと押しているようでもあった。

 炭鉱労働者たちの簡素で画一的な家々の中では目立つ大きな白い建物が見えてきたとき、ダニエルはふと後ろを振り返った。太陽はすでに沈んでいる。丘の上にある病院からは、コールタールの色に沈む石炭の街がよく見えた。彼は街から目を離し、病院の中に入った。


 病室はとうに消灯されていた。廊下から投げかけられる光がベッドの上で緩やかに盛り上がる毛布の山をいくつか照らし出していた。時折、熱や痛みにうなされる人間の声が聞こえた。

 ダニエルは窓際のベッドの一つに近づいた。目的の人物は寝ていなかった。彼は夜空に浮かぶ美しい星や満月には目もくれず、黒い山の輪郭をじっと見つめているようだった。

 彼はダニエルの足音に振り向いた。

「なんだ、見舞いに来てくれたのか……」

 ダニエルは男――ルフェリに笑みを返した。

 この病院は「暴動」の最中からずっと、負傷者の治療を行っている。炭鉱労働者も警官も民兵も、ここか隣町の病院まで運び込まれて手当をされていた。

「身体の調子はどうだ」

「怪我よりも熱のほうが厄介だったよ。だがもう動ける。これ以上ベッドの上にいると身体もなまってしまうしな」

「だったら」ダニエルは窓の外に目を向けた。「少し散歩をしよう」


 ダニエルはルフェリと並んで人気の無い道を歩いた。

 ルフェリは薄い色の病院着の上に軍服の上着を着て歩いていた。病み上がりで体力が落ちているのか、乱れた呼吸音が目立った。ダニエルは彼に合わせて歩きながら、口を開いた。

「殺しをやってみた気分はどうだ」

「そういうお前は……」

 ルフェリは質問で返した。

「俺は別に。生き物なら皆最後には死ぬだろう」

 ダニエルが足元の氷を気づかず踏むと、それはパキリと音を鳴らして割れた。

「そうか、それは良かったな。なんだかお前のほうが兵士に向いている気がするよ」

 ルフェリはそう吐き捨てた。

「同情でもしてるのか?」

「そんなわけないだろう。だが人間を殺して平常心でいられるほうがおかしい」

 ダニエルはそれには答えなかった。すぐ目の前には夜の闇に沈む山が広がっている。


 山の麓で口を開けている怪物の如き森の入口に、ダニエルは何の躊躇もなく足を踏み入れた。ルフェリは困惑して足を止めた。ダニエルは後ろの足音が止まったことに気づき、振り向いた。

「何故こんなところに?」

 ルフェリは問うた。ダニエルは少しの間沈黙した。

「……人殺し同士の話がしたいんだ」

「別に話すことなんかない。どうせ最後には死ぬんだろ?」

「俺だって動揺してるんだ。なあ、頼むよ……」

 彼はすがるようにして言った。ルフェリは少しの間ダニエルをじっと見つめ、それからゆっくりと一歩足を踏み出した。


 森の中に入ってもダニエルは歩き続けた。夜の森を風がすり抜け、黒い針葉樹の群れが不穏な噂話でもするかのようにざわざわと音を立てた。ダニエルは月明かりに照らされた雪を踏みしめて奥へ奥へと進んだ。後ろからも雪が踏みしめられる音が聞こえる。しばらくの間、音の主との距離は変わらなかった。

「ダニエル、待て!」

 ダニエルは後ろから腕を掴まれて立ち止まった。前腕を掴む青い鱗の生えた手は氷のように冷たかった。

「何だよ」

「そんなに遠くまで行かなくたって」

 ひゅ、とルフェリが息を吸い込む音が鳴った。

「こんなところには絶対誰も来ないだろう」

 彼はダニエルの腕を強く引っ張った。

「そうだな。もう誰も来ない」

 ダニエルはルフェリの手を振り払った。そして振り向きざまにナイフを取り出して見せた。

「え、は?」

 ルフェリは困惑をあらわにしながら、少しあとずさりをした。ダニエルは大股で彼に近づき、その喉にナイフを突き刺した。


 ダニエルは荒い息をしながら、雪の上に横たわるルフェリの死体を見つめていた。青く見える雪の上では、彼の血はコールタールのように黒かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虐殺の国 既知のツンドラ @kichino-tundra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ