第三節 クローバーの虐殺①

 山の麓にあるその村は、周囲を森に囲まれた細長い地形をしていた。

 警官たちは村を囲んでいる森の木の陰に隠れていた。村に目を向ければ木造の家がいくつも建っているのが見える。その中には、屋根に点々と黒い穴が開いているものがあった。

 突如銃声が響き、警官の一人が隠れていた樹に当たった。立ち並ぶ家をにらんでいたダニエルは、手に持った銃が軋むのではないかというほど、手に強く力を込めた。

「奴らは家の中に立てこもるつもりらしい。火炎瓶を用意しろ!焼き殺してやる」

 サンセットが警官たちに指示を出した。


 バークは屋根に開けた穴に銃口を差し込み、その隙間から外を見つめていた。彼女が屈みこんでいるのは、普段物置として使われている中二階のようなスペースだった。今は荷物は全て取り払われ、家の床に無造作に積み上げられていた。

 彼女は木の陰にちらりと見えた顔に向けて発砲した。ボルトを立てて引き、再び元に戻す動作をしている間に、隣から銃声が響いた。父親が発砲する音だった。

 武装したヴァーブたちは村の中でも森に近い、端のほうの家の中に隠れていた。彼女が今いる家には、彼女と父親のほかに二人の男女がおり、全員屋根に開けた穴から警官たちを狙っていた。

 突然、樹皮に縁取られたバークの視界を明るい炎の塊が横切っていった。彼女は驚きに目を見開いた。炎の塊は隣の家の手前に落ちたかと思うと、途端に燃え広がった。隣家はたちまちに火に覆われた。

「火炎瓶だと!」

「まずいな、すぐ燃え移るぞ!早くここから出るんだ」

 彼らの間に緊迫感が走る。

「出るといったってどうする!あっちは木の陰に隠れているんだぞ!」

「ひとまず村の内側に逃げ込もう」

「だめだ!火に囲まれると出られなくなる!」

「クソ、的になるしかないのか!」

 彼らの間に重苦しい沈黙が降りた。

「でもただの的じゃない」

 バークがぽつりと呟いた。

「撃ち返してくる的だ」



◇◇◇



 息も詰まるような暴力の気配が濃くなってゆく夜に、バークは炉の前で自分の銃のメンテナンスをしていた。眠りにつく気にはならなかったのだ。

「バーク」

 戸口から顔をのぞかせたハウルが彼女に声を掛けた。彼は今日、村の入り口で見張り番をしているはずだった。バークは外で何かあったのかと目つきを険しくした。

「どうしたの、兄さん。奴らが来た?」

「違う。お前に会いたいという人が来ているんだ」

「私に?」

「ヨルカ・フロントラインという女性だ。お前の知り合いか?」


 バークが外に出ると、リエブレの女性が数人のヴァーブと共に立っていた。どうやら彼女――ヨルカのことを警戒していたらしい。とはいえ、ここまで戦争の気配が近づいている中、ストライキ参加者である彼女に村へ入ることを許したのはかなり寛容な対応だと言える。ストライキが失敗して以降、ヴァーブは労働者らに対する信頼を失っていた。おそらく彼女にそれが許されたのは、バークの名を出していたからだろう。

「この人は大丈夫。本当に私の知り合い」

 そう言うと村人たちは安心した顔をして、その場から離れて行った。

「一体何の用」

 バークはヨルカを見下ろし、低い声で言った。彼女は敵ではないが、それでもストライキ参加者たちがヴァーブにとって有用な存在ではなかったことは確かだ。

「あなたたちは戦うの?」

 ヨルカはバークはまっすぐ見つめ返した。

「当然。それとも、暴力は間違っているとでも言うつもり?私たちは生きるか死ぬかなのに」

「そうじゃない。協力したいんだよ。わたしたちはきっと戦いには役に立たないけど、非戦闘員が逃げるのを助けるくらいはできる」

 バークは黙って続きを促した。

「今街の中には警官や民兵がたくさんいる。あそこを通って逃げるのは難しい。でも山の中を通って逃げるのにも、特に子どもや老人は時間がかかる。だから炭労連のメンバーを集めて、そういう人たちを連れて州外に逃げるの。逃げた後の生活の支援も、まだ目処は立ってないけどやるつもり。ストライキは失敗したけど、わたしはまだ負けたつもりはない」

 バークは目を伏せて黙っていた。ヨルカは彼女を待った。

「分かった。炭労連を頼るよう皆に伝える。だからお願い……。私の恋人や母さんも連れて行って」

 バークはヨルカの目をじっと見つめた。ヨルカは強く頷いた。


 朝の光は雪を黄金に染めた。銃を背負ったバークは恋人のクライと向き合っていた。炭鉱警察や民兵との間の緊張は極限まで高まっていた。これが彼らの最後の会話になるかもしれなかった。

「なあ、バーク。もしかして君は、女だから戦わなければならないと思ってるのか?女は所詮守られる側だと、そう思われたくないから戦うのか?」

「……そうかもしれない」

 バークはクライから目を逸らした。彼は彼女の両肩を掴んだ。

「だったら戦う必要はない!男も女も逃げたいときに逃げれば良い!誰かがお前を責めても俺は君を絶対に責めない!」

「知ってる。クライは私を責めない。でも私は戦いたい、戦うべきだと思っている」

「何故!」

 バークは自分の肩に置かれた彼の両手に、自分の手を重ねた。

「この気持ちが本心なのか、義務感を感じているだけなのかは判断がつかない。でも私は私の感情が、本当の私の感情じゃなかったとしても、何よりも優先したいと思っている。それは私の本心のはず」

 クライは俯いた。口元が震えていた。彼はゆっくりと両手を彼女に向けて差し出した。バークは手を広げ、彼の背中に腕をまわした。クライも彼女を抱きしめた。

「愛しているよ、バーク」

「私も。クライとここで共に過ごした時間が、一番幸せだったよ」


 クライが炭労連の協力のもと、他の武装していない村人と共に逃げた後、ハウルはバークに近づいた。

「バーク、今からでも遅くはない。クライと一緒に行け。私はお前に、幸せになってほしいよ……」

 バークは兄をまっすぐに見つめた。

「わたしにとっての幸せは、ここでずっと生きていくことだった。でもその選択肢は奪われた。だからわたしはせめて、わたしたちに故郷を譲り渡す気なんて少しもなかったことを、奴らに知らしめてやらなければならない」

 ハウルは俯きながら微笑んだ。 

「そうか……。すまない、兄として、お前の選択を何よりも尊重すべきなのに」



◇◇◇



 火に追われて、ヴァーブ達が家の中から出てきた。燃え盛る家を後ろに、彼らはすぐさま目の前に銃口を向けながら森へ向かって走り始めた。銃声がいくつも鳴り響いた。しかし木を壁にしている警官とは対照的に無防備な彼らは、次々と銃弾に倒れて行った。

 ダニエルは一人の女――長毛に青い目をしている――の頭を狙った。ダニエルに気づいた女は彼に銃口を向けた。彼の撃った弾が女の肩に当たったのとほぼ同時にダニエルの頬に熱の線が走った。次の瞬間、別の誰かが撃ったのか、女の腹から血しぶきが出た。

 女――バークは雪の絨毯に崩れ落ちた。

 幾人かのヴァーブが森のすぐそばまでたどり着き、木を介しての銃撃戦になった。しかし彼らは圧倒的に数が少なく、劣勢であることは変わらなかった。しばらく銃声が鳴り響いた後、ふと沈黙が訪れると、ダニエルから見える範囲に立っているヴァーブはいなくなっていた。家が焼けながら崩れ行く音と負傷者のうめき声だけが聞こえる。死んでいる者からは何も聞こえなかった。

 ダニエルは他の警官とともに、銃を構えたまま倒れているヴァーブにゆっくり近づいていった。生きている者は頭を十分狙える距離まで近づいて一人ひとり撃っていった。うめき声は一つ一つ絶えて行った。死者から流れ出た温い血の温度は雪に吸い取られていった。

 ふと後ろから銃声が複数聞こえて、ダニエルは振り返った。負傷した警官の応急処置などをしていたはずの警官たちが森の中に向けて銃口を向けている。

「何だ?!何があった!」

 ユリシーズがこちらへ走ってくる警官に向けて叫んだ。

「後ろから奴らが」

 男の背中から血しぶきが出た。男は走る勢いのまま前のめりに倒れた。

「クソっ、どうなって……」

 ユリシーズの側頭部が血を噴き出し、彼は地面に倒れ伏した。白い雪の上に血がどろっと広がっていった。ダニエルは身体の表面をぞわりと悪寒が走り抜けるのを感じた。


 遠くで警官の頭から血が吹き出たのを確認したハウルは、ボルトを操作して弾を装填した。はき出された空の薬莢が木の枝をすり抜けて闇に吸い込まれていった。

 彼は木の上にいた。

 彼は、村の中で戦う村人らと分かれ、他の何人かの村人と共に森の中に紛れていた。村の中に意識が向いている警官の背後を突くためだ。彼らは更に2つのグループに分かれていた。森の入口近くで警官のすぐ後ろから銃口を向けるグループと、高所である山の中から警官を狙撃するグループだ。彼は後者のグループだった。

 警官たちは家を燃やしたせいで、村の中に逃げこむことができない。斜面を下って村の入り口へ逃げればこの状況から脱することもできるが、縦に長い地形は逃走にかかる時間を長引かせる上、彼らがそちらに逃げたがるだろうことは既にハウル達も把握している。

 ハウルの新緑の色をした目は、烈火のような強い光を湛えていた。


 ダニエルは銃を両手で握りしめながら森に向かって全速力で走った。斜め前方を走っていた同僚が足から血を吹きながら彼の視界の後方に消えて行った。ダニエルは速度を緩めず突っ切っていった。彼は森の中にほとんど飛び込むようにして突入した。森に入ったことで上からの狙撃が止んだ。


「クソッ!」

 ハウルは舌打ちをした。警官たちが森の中に入ってしまったので、狙えなくなったのだ。彼が地面に降りようとしたとき、伝達係の男が彼のいる木の根本にやってきた。

「今どうなってる!ここからじゃ狙撃できない!助けに行ったほうがいいのか?!」

「こちら側はもう駄目だ!お前はこのまま東へ行って民兵と戦ってる隣村を助けに行ってやってくれ。俺は他の奴らにもそう伝えに行く」

「反対側の森はどうなってる?!まだ望みがあるなら助けに行く!」

「あっちも劣勢だ!お前は助かるかもしれない別の村の奴らを助けに行け!」

「だが……っ、奴らは父さんとバークを殺した……!私は奴らを皆殺しにせねば気が済まない!」

 ハウルは歯をむき出しにして叫んだ。

「ハウル!子どもを含め、逃げ遅れた奴らはまだ森の中にいる。そいつらが生き残れるかは俺たち次第なんだぞ!?」

 ハウルは歯を食いしばった。彼は自分のライフルを見つめた。

「……くそっ!――分かった。お前も無事でいろ!」

 ハウルは木から降りた。



◇◇◇



 エーデルワイス州民兵D中隊がその村へやってきたときには、既にヴァーブ達はそこから移動した後だった。

「逃げたのか?」

 中隊長の大尉が言った。その言葉に対し、軍曹の一人が口を開いた。

「武器を持って森の中に潜んでいると考えるのが妥当でしょう。お分かりの通り、地理的には向こうの方が有利です」

「では村を燃やそう。を壊されたとなればここまで戻ってくるかもしれん」

 ルフェリは隊列の中から彼らの言葉を聞いていた。彼は彫像のような無表情だった。


 兵士たちは村の中心部から円を広げるようにして家を燃やしていった。つい最近まで人々の生活の場であった家々は、彼らの暴虐によりあっけなく崩れ去っていった。

 ルフェリは一軒の家に松明の火を移した。炎はゆったりとしたスピードで家を飲み込んでいくので、ルフェリは他の兵士と同じように家の壁を反対側から破壊して木片を火のあるほうへ移動させた。



◇◇◇



 木の壁に囲まれた家の中は、炉の真上に空いた穴から入ってくる太陽の光を明かりとしていた。

 その子どもはいつも適当な木の枝で炉のすすを掻きまわしたり絵を描いたりして遊んでいた。太陽の光が天井ではなく入り口のほうから入ってくるくらいの時間になると、背中を向けた入り口から投げかけられる人型の影が、母親が帰ってきたことを知らせてくる――。

 気づくとルフェリは自分の家があった辺りに来ていた。といっても家は撤去されており、少しずれたところに別の家が立っているだけだった。他の兵士が後ろで燃えている家の陰から現れたので、彼は手に持っている火のついた木片を、その家の壁に向かって放り投げた。


 ほんの数刻前までは新雪に覆われていた白い村は、破壊に呑まれて真っ黒に煤けた木片を残すのみになった。


 D中隊は分隊ごとに分かれて森の中に入った。ルフェリの属している分隊が山の斜面を登っていると、突如銃声が辺りに響いた。歩いていた兵士の一人が倒れた。男の側頭部に斜めに開いた銃創から血が吹き出た。辺りの空気がびしりと凍り付いた。

「10時の方向だ!」

 軍曹が叫んだ。兵士たちは木を陰にしつつそちらの方向を探った。

 銃声が響く。一人倒れる。相手の排莢のタイミングで兵士たちは銃声の方向に走り、再び陰になる木を見つける。銃弾は木の陰から僅かに顔を出した民兵のこめかみや眼球を正確に貫いていった。

 相手は一人らしい。それも、ひどく銃の腕の立つ者だ。

 ルフェリは相手の姿を視認できなかった。とはいえ障害物となる木の多い場所であること、銃声がかなり大きく聞こえることから大して距離は離れていない。銃声が鳴れば即座に移動し、相手の居所を探る。そうしている間も銃声が断続的に響いていたが、ルフェリのほうに弾は飛んでこない。

「いたぞ!」

 誰かが叫んだ。ルフェリもすぐに相手を見つけた。豹柄に緑の目をしたガタの男が木の上にいる。



◇◇◇



 ハウルは森の中を移動していた。遠くで固まって移動する数人の人影を見つけた。彼は山の斜面を下り、その人物たちに近づいた。ハウルが近くまでたどり着くと、向こうもハウルの存在に気づいたらしい。子どもを抱いている一人の若い女が振り向いた。

「う、撃たないでくれ!」

 彼女は叫んだ。

「落ち着いて。私はヴァーブだ。助けに来た」

 ハウルはできるだけ優しい声を出した。女は安堵の表情を見せた。彼女の後ろには炭労連のメンバーらしいリエブレの男が一人、ヴァーブの老人を背負っていた。

「今麓は危ない。もう少し高いところまで登って、それから東に向かって移動してくれ」

「分かった……」

 ハウルは彼らの背中を優しく押しながら、山の斜面を登った。彼は民兵を警戒して周囲を見回した。

「……!」

 斜め左下に人影がいくつか見えた。ハウルは息を呑んだ。

「落ち着いて聞いてくれ。まだかなり離れているが敵がいる」

 女たちは動揺した顔を見せた。ハウルは微笑んでみせる。

「大丈夫だ。このまま上へ登って。今までと同じ速度で歩き続ければバレる距離じゃない。私は敵を仕留めに行く」

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