第二節 クローバー炭鉱のストライキ④
ダニエルは身体に衝撃を感じてよろめき、倒れた。銃弾は目を見開いてこちらを見ているヨルカを貫くことなく、空を引き裂いて何処かへ飛んでいった。
「ヨルカ!」
誰かが彼女の名を呼んだ。地面に手をついていたダニエルはがばりと顔を上げた。左腕に赤黒く染まった布を巻きつけたオヴェハの男が、ヨルカの片手を掴んで駆けだそうとしているところだった。
「クソが!」
悪態をついたダニエルは走り去ろうとする二人に向かって何発か発砲した。しかし動揺と焦りの込められた銃弾が二人に当たることは無かった。二人はすぐに建物の影に入り見えなくなった。
「ダニエル」
彼は振り向いてライムライトを見た。表情を歪めたダニエルとは対照的に、彼は涼し気な顔で微笑んでいる。
「謹慎は終わりだ。仕事に戻りなさい」
◇◇◇
人気のない路地裏に、二人分の荒い息が響いていた。
「結局、こうだ」
ランドスケープの声はひどく掠れていた。
「私たちのやったことは社会を一歩でも先へ勧めることができたのだろうか。本当は……、本当は……」
「進んでいますよ」
ランドスケープは右に目を向けた。薄暗い路地裏で、ヨルカの瞳は奇妙なほど強い光を宿していた。
「だって私は貴方の言葉で希望を取り戻したのだから。貴方は私という人間を変えた。社会をほんの僅かに変えたんです」
◇◇◇
銃の詰め込まれた地下倉庫は圧迫感があった。ダニエルがラックに立てかけられたライフルに触れたところで、後ろから声が聞こえた。
「山耳の奴らも殺すべきじゃないのか」
「何でだよ。今はあんな奴らのことなんかどうでもいいだろ」
同僚の話し声。弾薬を銃に詰め込む小さな音が聞こえた。ダニエルはライフルを手に持って自分も弾薬を詰め始めた。
「ストライキが長引いたのはあいつらが加担してたからだろ。報復が必要だ」
「まず暴動をどうにかしねえと。報復がどうとか言ってる暇はねえよ」
「あんなのすぐに終わらせるさ。それにこれはチャンスだぜ」
「何の?」
「そりゃあ……」
ダニエルは最後の弾薬を弾倉に滑り込ませた。
ダニエルはライフルを抱えて街の中を奔走した。火炎瓶を持つ者――スト破りの女を殺したとされる三人が逮捕されたあの日までは、少なくとも労働者たちは火炎瓶など用意してはいなかった――や、仕事道具のつるはしで窓ガラスを割る者たちに銃口を向ける。彼らが投降したなら留置所へ連れて行き、しないなら発砲した。彼はそれを機械的に行い続けた。
「持っている物を捨てて投降しろ!」
彼は建物の側面の壁際に追い詰められた男の労働者に向けて叫んだ。
「どうして俺たちの言うことに耳を傾けてくれなかったんだ!」
火炎瓶を手に持った男が叫んだ。もう片方の手には火のついたマッチを持っている。
「早くそれを捨てろ!」
「俺たちはただ仕事に見合っただけの賃金が欲しいって、そんなささやかなことを望んだだけなのに!」
男がマッチを瓶の口に近づけようとした。ダニエルは引き金を引いた。男の肩から血が吹き出た。
大通りにはガラスの破片や細かい瓦礫などが転がっていた。ダニエルは銃を両手に坂道を下った。眼球が乾いて瞼の裏側と擦れたし、口の中はやけに水っぽくて不快だった。 四つ辻に出たとき、軍服を着た男が横の道から現れたので、彼は立ち止まった。
その男は見慣れた顔をしていた。
「ルフェリ?なぜここにいるんだ」
ルフェリは首を傾げた。
「知らないのか?俺たちも保安官命令で動員されたのさ。あっちに帰ってからすぐ呼び戻されたよ」
彼の言うとおり、ルフェリの背後の道には軍服を着てライフルを構えた兵士の姿がちらほら見えた。
彼はダニエルの顔を覗き込んだ。
「それより大丈夫か。顔色が良くない」
「お前はヴァーブ達を殺せるか……?」
ダニエルはひとりごとのように呟いた。
「話が見えない。どういうことだ?」
「そういうことになるかもしれないと思っただけだ」
ルフェリは目を逸らした。彼は石畳の上のガラス片を見ているようだった。
「国が俺に殺せというのなら、殺すとも。当然さ、俺はユーゴニア人なんだから」彼は顔を上げてダニエルを見つめた。ほとんど睨みつけているといっていいほどだった。「逆に聞くが、おまえはどうなんだ。ずいぶん同情してるみたいだが」
「分からない」ダニエルは首を振った。「彼らが奴らとは違うと彼ら自身で証明してくれたら助ける。だがそうじゃなかったら――」
◇◇◇
ルフェリは伯母の部屋にいた。彼は黒い喪服を着たままだった。正面に座っている伯母のジーナも同様であり、彼女は黒いドレスを着ていた。共に医学生であるルフェリの二人の兄は、今ここにはいない。
「つまり、大学をやめろということです?」
ルフェリは静かに問うた。険しい顔をしているルフェリとは対照的に、ジーナは無表情だった。夫の死後様々な手続きに追われていた彼女の目元には隈が出来ていたが、それでも隙の無い印象のある女性だった。
「そこまでは言ってない。単に私がお前の学費を払うつもりは無いというだけだ。それでも通うというのであれば好きにするが良い。お前ほど成績が良ければ、奨学金だけで卒業できるかもしれないしな」
彼女はまっすぐルフェリを見つめていた。ルフェリは目を泳がせた。
「この国は努力家のお前に報いて市民権を与えた。本当に医者になりたいというのなら、お前という人間が本当にこの国にとって有用な存在であると証明しなさい」
「どうして……」
彼は逡巡した。頭の中にある疑問を口に出すべきか迷っているようだった。どうして兄さんたちは証明しなくても良いことを、俺だけが証明しなくてはならないのですか?/俺が貴女の生物学的な息子じゃないからですか?/それとも俺が混血だからですか?
結局彼は、その全ての疑問を飲み込むことにした。今までと同じように。
彼はその後、いくつかの奨学金に申請の手続きをした。彼の成績は、それらの審査基準を十分に満たしていたはずだった。
「嘘だ……」
ルフェリは自室で一人、震える声を漏らしていた。紙束を持つ両手が震えている。ぐしゃりと紙に皺が寄った。
彼は審査に全て落ちていたのだ。
「おかしい……。要件は満たしていたはずだ。どうして……!」
ふと窓が目に入った。室内の明かりを反射した黒い夜の窓は、鏡のようにはっきりと彼の顔を映した。
そこに映る顔はドラコの顔ではなかった。
◇◇◇
「暴動」が鎮圧されると、今度はストライキ参加者に協力していたヴァーブに銃口が向けられることになった。アルストロメリア炭鉱警察は「武器の提供」/「暴行や殺人の教唆」などの疑いで村を強襲しようとしていたのだ。
そしてそれは民兵も同様だった。郡の保安官は「暴動の種の徹底的な排除」を名目としてその派遣を取りやめなかった。炭鉱警察同様、民兵もヴァーブに対して攻撃を仕掛けようとしていた。
民兵たちは「暴動」の鎮圧された静かな炭鉱街を巡回しては、未だくすぶっている火種を徹底的に踏み消そうとしていた。それは同時にヴァーブがこの地域から逃げることができないよう監視する意味もあった。彼らがここから逃げるには、街の中を通るか山の中を通るしかないからだ。
ルフェリが沈黙する街の中を歩いていると、民兵の制服でも警官の制服でもない普通の服を着ている一人の男が焦げたレンガ壁の前に立っているのを見つけた。見たところドラコらしかったので、ヴァーブでもストライキ参加者でもないだろうと彼は考えた。銃は背負ったままにして、簡易的な質問だけ済ませて家に帰るよう忠告しようと近づくと、男の顔がよく見慣れたものであることに気づいた。
「シャノワール?なぜここにいる」
シャノワールはルフェリに気づいたようだが、目を合わせようとはしなかった。
「貴方と話がしたくて」
「それでわざわざ?俺が通るとも限らないのに」
「ヴァーブを殺しに行くんですか」
唐突な質問だった。ルフェリは眉をひそめてシャノワールを見つめていたが、彼が一向に目を合わせようとしないのを見てため息をついた。
「そうだが」
シャノワールはルフェリを睨むように見つめた。
「いいですか……。あの人たちを殺したところで貴方の夢はもう叶わないんですよ」
ルフェリは睨み返した。
「そんなことはもうどうでもいい。俺は国に殺せと言われたら誰でも殺す!」
ルフェリは彼の横を通り過ぎようとした。シャノワールは彼の軍服を着た腕を乱暴に掴んだ。
「ルフェリ!俺はこんなことを言ってお前を苦しめたくはない。だが今だけはどうしても言わなくてはならない。お前は誰を殺そうとしているのか本当に分かっているのか?お前はお前と同じ身体を持った人間達を殺すことでお前自身を殺そうとしているんだ!そんな利己的な動機で他人の命を奪えるほど落ちぶれた人間なのか、お前は!」
シャノワールはルフェリの反応に身構えた。だが意外にもルフェリは冷静なままだった。
「だからこそ殺さなくてはならないのさ。きさまに分かるか?この身体に生まれた人間の苦しみが!分かるわけがない!ただ隣で見てただけの奴には!俺は自分の中の醜い部分をズタズタに引き裂いてようやく本当の人間になれるんだよ。初めから人間だったきさまらには理解できないだろうがな!」
「何故そんな悲しいことを言うんだ!お前は人間だ!美しい人間じゃないか!」
ルフェリが笑い声をあげたので、シャノワールは驚いて黙り込んだ。彼はさもおかしいといった様子で、シャノワールに掴まれていない方の手の甲で口元を隠しながら笑いつづけた。そしてようやく笑いがおさまると、子供を諭すような優しい声でシャノワールに語り掛けた。
「自分のことを美しいと思っていれば、俺はあんなに苦労しないで市民権を得られたのか?自分の肉体を受け入れていれば、俺はまだ夢を抱いた学生のままでいられたのか?」
そう言い終えると、彼は冷めた顔をしてシャノワールの腕を振り払った。そしてシャノワールの前から去ってしまった。後にはもうその背中を追うこともできない男だけが残された。
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