エピローグ

エピローグ(5年後)

 太陽は輝き、地球上の人々を照らす。どんな人に対しても平等に。

 それはありがたいことでもあるが、ありがた迷惑なことでもある。所詮、この世は競争社会なのだ。生存競争は、種と種の間でも、ひとつの種内においても、この地球上に初めて単細胞生物が誕生して以来、ずっと繰り広げられてきた。

 この世の生き物社会において、完全に横並びなんてことは、幻想で塗り固められた脆い砂の楼閣に過ぎないのである。


 だが、ひとつだけ考え違いしてはいけないことがある。

 それは、筋肉や脳の力の強いものが生き残るのでは決してない、ということだ。最後まで生き残ることができるものとは、結局、生きる意志、もしくは生きる気力と云ってもいいが、そういった精神力が他より強いものなのである。

 だから、僕は持って生まれた強い意志で、生存競争に勝ち残ってみせる。

 この弱肉強食――いや、精神力の弱いものが倒れ、精神力の強いものだけが生き残れるという、この『気弱肉気強食きよわにくきづよしょく』の世界で!


 などというつまらない戯言たわごとを、誰でも平等にその灼熱の光で照らしてしまう太陽の馬鹿野郎が作り出す炎天下のもと、ややもすればぼーっとして気を失いかけてしまう頭の中で、考えていた。


 ――なんのこっちゃ。゛きよわにくきづよしょく゛って、意味わからんわ、自分でも。


 急に切なくなって、ため息を派手に吐く。

 そんな風に僕が吐いたため息が空気に混ざり、はかなく消えていった場所――それは、我々小市民の住む小さな町の、その片隅にある小さな公園の一角だった。

 日曜日の昼下がり。

 公園樹木の作り出す数少ない日陰は、既に他の小市民たちにより占拠されていた。

 そのせいで、真夏の強い日差しをうんざりするほど直接的に浴びながら、我が家の序列階層ヒエラルキーにおける上から2番目で、3歳になる娘の祐奈ゆうなが公園の砂場遊びに興じる姿を、僕はすべり台の上から見守っている。


 ――今、すべり台を滑り出したら、きっと尻を火傷するだろうな。


 ステンレスでできたすべり台の板は、まさにバーベキューの焼き台と化していた。

 間違いなく、目玉焼きやハンバーグの1枚や2枚はあっという間に焼き上げるであろう。それ程、チンチンに仕上がっている。

 そんな僕の思いなどどこ吹く風で、真夏の公園の華となって遊ぶ、祐奈。

 砂場にできたこじんまりとした砂の楼閣――お城のようなものを見た彼女は、ちっと小さく舌打ちしたあと、周りにいる大勢の゛お友達゛――いや、大勢の゛取り巻き゛といった方が正確か――に対して、こう云った。


「ちょっとぉ、つばさくん、なんどいったらわかるの! そこにはもっとゴージャスなおしろを、どどーんとつくりなさいっていっているでしょぉ?」

「え、うん……。でも、すなばではそんなゴージャスなものなんてつくれないよ」

「はあ? あんた、なんねんすなばあそびやってるの? そんななきごと、ききたくないわよ!」

「ふ、ふえーん。おかあーさーん! ゆうなちゃんがこわいよー」

「もう、さいきんのわかものはいったいどうなってるのよ。あれくらいでなきだすなんて、ほんと、こまったものね! さあ、あんたたちはてをゆるめないで、もっとはたらきなさいよねっ」

「は、はい!」


 両腕を脇に着け、目の醒めるようなピンク色のワンピースを身にまとった我が娘が、口を真一文字に結びながら砂場の男子たちを見下ろした。泣きながら何処かへ行ってしまったつばさ君を黙って見送った他の若き男子たち数人が、怯えたように顔色を蒼くし、砂場の造形に勤しんでいる。


「……似ている」


 彼女の行動を見るといつも思い出す。

 我が家のヒエラルキー第1位である我が゛妻゛の美しさ、そして強さを。

 なにせ5年前、百億年という数字を聞いて泡を吹いて倒れた僕を小脇に抱え、純白の衣装で蝶のように舞いながら追手のお父様と雛地鶏フィアンセから逃げ切った、当代きっての強者ツワモノなのだ。

 しかし、砂場の『労働者』たちはもう限界なのだろう。

 暑さに体力を奪われつつある男の子たちの動きが、ますますゆっくりとなっていった。明らかに疲弊している。


 ――このままではマズい。


 そう思った僕は、じりじりと照りつける陽射しをかいくぐるようにして砂場へと向かった。


「なあ、祐奈。もうそろそろ違う遊びをしないか? パパとジャングルジムで遊ぼうよ」

「はあ? なによ、そのつまらないおさそいのことばは……。パパ、わたしといっしょにあそびたかったら、もっときのきいたせりふでもいいなさいよね!」

「……すみません。次はがんばります」

「そうね。わかればいいのよ、わかれば」


 ――似ている。


 血のつながりとは、恐ろしいものだ。

 なんとも懐かしい感じのする言葉の数々を娘から浴びせられた僕は、ひとりいじけてブランコに乗ることにした。それを前後に揺らしていると、なんとも心が落ち着いてきて、童心に戻ったかのよう。

 そんな子どもの気持ちで娘をじっくりと観察してみる。

 すると祐奈は、゛お山の大将゛というよりは゛公園の女王゛といった感じの振る舞いで、下僕しもべの男子たちに対し、ひっきりなしに命令を出し続けているのが見えた。


 ――末恐ろしき、子。


 童心が一気に吹っ飛び、彼女の将来を危ぶむ親の気持ちが僕の心に芽生えた、そのときだった。公園の入り口辺りから、すさまじいエネルギーを包含したオーラを放つ人物の気配を感じたのである。

 公園入り口に向かって、光の速さで振り返る。

 するとそこには、夕暮れ前の真夏の太陽を背中に従え、後光が射した如来さまのような神々しい姿をしてこちらに向かって歩いて来る、ひとりの女性の姿があった。

 真夏だというのに、エレガントな羽根突き帽子と真っ白なファーコート。その下に身に着けたオレンジ色のスカートスーツから突き出た両足は、あの頃からのスマートさをいささかも失っていない。まさに、息を飲む美しさだった。

 我が妻で、我が家のヒエラルキー第1位の人物だ。

 その姿を見るなり、砂場の男の子たちは捨ておいて、妻の胸へと飛び込んで行く娘。


「ママ、おかえり!」

「うん、ただいま。いい子にしてた?」

「もちろん、いいこだったよ。あれから、゛しもべ゛もたっくさんつくったし」

「んまあ、なんていい子なんでしょう。さっすが、我が娘ね」

「……」


 そういえば今日は、ママが一週間ぶりにパリの出張から帰ってくる日だった。

 夫である僕もその喜びを爆発させ、その胸に飛び込もうとした、その瞬間。妻の口から、我が家のヒエラルキー第3位、つまりは最下位の僕に向かって、冷たく鋭い言葉のやいばが放たれたのである。


「何してんのよ! アンタはさっさと家に帰って、夕飯のしたくをしなさいな。あ、それから、今日のワインはボルドーのヴィンテージてことで、よろしく」

「わ、わかりました……。でも、そんなことより、僕もその親子の輪に混ぜて欲しいんですけど……」


 久しぶりに愛しの妻に会ったのだ。

 僕だって、今日ばかりは反論したかった。

 が、そんな僕の気持ちなど受け入れられる由などなかった。妻と娘は烈火のごとく怒りだし、寸分違わぬ調子で、こう云ったのだ。


「この輪に混ざろうなんて、3憶5千万年早いわ! すぐに、ご飯支度を始めなさい!」

「はいぃ、了解ですっ!」


 ――僕はこの家で生き残って見せる。絶対にな!


 飛び散る涙も、気にせず。

 僕は、近所のスーパーへと夕飯の買い出しに駆けだしたのであった。



 ―END―



 最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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