【12-3】

 私の白魚のような手を、思ったよりも武骨な彼の手が勢いよく引っ張った。

 硝子のように透明で華奢な私の胸の中に、最近忘れかけていたキュンと甘酸っぱい感情が、充満する。


 ――これよ、これ。これが、私がずっと追い求めていた感動シーンよ!


 傍から見れば、ウエディングドレス姿の私が宙を舞う妖精のように見えることは間違いない。そして、それを敢然とした態度で私を私の知らない別世界に連れ去ろうとしている彼、という構図。

 私の脳裏に、思えば短いようで長かった、今までの彼――榊原祐樹との出来事が走馬灯のように駆け抜けていった。


 初めて彼と会ったのは、忘れもしない――とある合コンの席。

 一般の若い男女がこぞって楽しむという『合コン』なるものがどんなものか知りたくて、無理矢理に参加させてもらったその場所に、偶々、祐樹さんがいたのだ。私としてはああいった場を見学できただけで十分だったのだけれど、そんなこととは露も知らない彼は、合コンの場で私を見初め、強烈アプローチを仕掛け続けてきたのだった。

 ――炭火焼の焼肉屋に、猿山のある動物園。公園でのアツアツおでんパフォーマンスの次は、富士山を眼下に収めたスカイダイビングだった。その後は街中まちなかでの゛かぼちゃ゛パフォーマンスに、花びらで愛を語った植物園、更には深海でダイオウイカに襲われ危く命を失いかけたあと、山間部にあるトンネルの暗闇で遭遇した゛にゃんこ゛の霊たちによる告白パフォーマンス……。

 どれもこれも、よく考えたものだと感心する。

 懐かしさ半分、呆れ半分の複雑な気持ちで、ともに走る彼の背中を見つめた。

 と、なぜか急に胸の中がもやもやと曇り出した。この前からずっと気になっていたことを、思い出したからだ。


「あ、そういえばだけど……。この前のクイズ大会の最終問題――どうして、私の゛ほくろ゛の場所を知ってたの?」

「ええーっ。真奈美さん、今、それを訊きます? えーと、あのう、それはですね――」


 まさに、挙動不審。彼の走りが、急にギクシャクしだす。

 その明らかにおどおどとした動きに無性に腹が立った私は、流れにさおさすように、びたりと足を止めた。すると、榊原祐樹は私と手をつないだまま、急ブレーキがかかったようにつんのめって、仰向けにばったりと倒れたのだった。


「イテテテ……。なんで急に止まるんですかぁ……」


 まるで、車にひかれたカエルだ。

 顔面を地面に擦り付けたまま、彼はうなっている。

 と、そのとき――。

 銀色のチェーンがついた装飾品のようなものが、彼のジャケットの胸ポケットから、道路の上に転がり出た。


「ん? 何よコレは」

「あーっ、それは!」


 榊原祐樹が隠そうとするよりも早く手を出し、拾い上げてみる。

 するとそれは、今まで彼が身に着けているのを見たことがないロケットペンダントだった。転んだ時の衝撃で緩んでしまったらしい銀色の蓋が、かぱかぱと動く。


「……ちょっとぉ。これはどういうことなのよ」

「どういうって……それは……会社の後輩にもらったもので……。あー、しまった! ジャケットのポケットに入れたまま、出すのを忘れてたよ!」

「ああーん?」


 かぱかぱの蓋の下に貼られていた写真――それは、ハート型に切り取られた可愛らしい女性の顔写真だった。


 ――なんで、こんなものを持ち歩いてるわけ?


 写真の中で、朗らかに笑う若い娘。

 どんな人物なのかも知らなければ、その名前すら知らない、が。


「で、この女の子は誰なわけ?」

「……女の子? あーっ、何だその写真は!?」

「それを、こっちが訊いてるのよ」


 これから起こるであろう展開を察知した彼は、その場に正座した。

 頭をポリポリ掻きながら、ひたすら首を傾げている。


「ほほう……アンタ、いい度胸じゃないの。アンタは私が好きでもないヤツと無理矢理結婚させられそうになって苦しんでいるときに、こんな可愛い彼女とデートして楽しんでいた――そういうことなのね?」

「い、いえ違います! それはこの前のバレンタインデーの日に会社の女の子が僕にチョコと一緒にプレゼントとしてくれたもので、特に僕の方からどうっていうことじゃ――」

「それじゃ、どうして後生大事にジャケットの胸ポケットに入れてるのよ! 写真付きのペンダントを」

「いや、それはたまたまっていうか、忘れてたっていうか――写真が入ってるってことも知らなかったし――」

「ゆるさーん! その娘に対しても大分失礼だよ。榊原祐樹……やっぱり私、アンタを見誤ってたわ!」

「そ、そんなあ……僕、本当に知らなかったんですぅ」


 ひたすら弁明する、彼。

 その表情からは虚偽の匂いは感じられなかったが、゛写真の彼女゛に対してムカつく気持ちはどうにも抑えきれない。

 ペンダントごと踏み潰し、その辺の草むらにそれを放り投げてやってから、私は正座する彼に向かってこう云い放った。


「榊原祐樹。アンタなんかが私に告白するなんて、やっぱり百億年早いわよッ!」

「ひゃ、百億……年!? まだ地球もなかったじゃん……」


 その場で仰向けにばったりと倒れた榊原祐樹は、口から泡を吹きながら、うわ言のように「ひゃくおく……ひゃくおく……」と何度も呟いた。


「ちょっと薬が効きすぎちゃったかな。仕方ないわね……」


 私は、窮屈な純白のハイヒールを脱ぎ捨てると、「よいしょ」とおばさんのような掛け声とともに、意識の薄れた榊原祐樹をおんぶした。


 ――お父様からもらった靴なんて、もう要らない。


 素足がどんなに汚れようと、構わなかった。

 本当の自由に向かって、今、私は走り出したのだから――。




 キミに届けたい、永久とわの愛を。ウエディングシューズのヒールに込めたラブレター。


 ―エピローグに続く―

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