【12-2】

「……あなた、一番重要なことを忘れてる。私からの宿題がまだ終わってないわ。この私をその気にさせる、気の利いた『告白』をまだ聞かせてもらってないじゃないの!」

「結婚してくださいッ!」


 間髪入れず叫んだ彼の言葉が、今度は私の勢いを遮った。

 顔をあげた彼の澄み切った瞳が、私の心の真ん中の部分を貫く。口が開いたままになっている自分に気付き、すぐさま閉じた。

 しかし、その予測不可能だった言葉に、私が動かせた体の部分はそこだけだった。

 そんな私の手を、血の滲む、榊原祐樹の傷だらけの手が掴む。

 心の棘をすべて抜き去った後のような笑顔を浮かべた彼は、所々穴の開いた薄茶のパンツの片膝を地面に付け、ひざまずいた。ラフに着こなした黒のジャケットとボタンがはじけ飛んだ白いワイシャツに、今更ながらどきりとする。


「もう、アイデアを無理矢理に捻り出したような姑息こそくな手は使いません。ストレートに気持ちを伝えます……。ぼ、僕と結婚して下さいッ!」


 すると、横で激しい戦闘を繰り広げているはずの近藤さんと香取大五郎の戦闘オーラがすっと消えたのがわかった。二人ともその手を休め、ニヤついた表情でじっとこちらを見据えている。

 そのふたつの視線が、ようやく私の心と体を動かす力となった。


 ――結婚って、まだ付き合ってもいないし。大事なところすっ飛ばして、なに勝手なこと云ってんのよ!


 しかし、どう転がるにせよ、この場をもっと盛り上げるのには、まずは横にいる二人の対処のほうが先だろう。

 腰に手を当てた私は、戦いを怠ける男たちに文句を云ってやった。


「ちょっとあんたたち……。もっとこう、ガチンガチン火花を散らして闘わなくてもいいわけ? 宿命のライバルなんでしょ?」


 ハッとして顔を見合わせた、二人。

 手裏剣刀を持った手で頭をぽりぽりと掻きながら、香取が云う。


「あ、そうだった、そうだった。俺たち、そういえば闘っているんだったね……。あちらの展開が面白そうなんで、ついじっと見入っちゃったよ」

「ホント、そうですよね、香取さん。戦いより、あっちの方が断然面白いですもんね」

「そうだよねぇ、近藤君。そうなっちゃうよねぇ……」


 ――男と男の勝負なんて、ガアガアほざく割には大したことないのね。


 私は、強制的にこの場面を盛り上げるよう、二人に命じた。


「ふん。私の結婚式で、しかも恋人略奪の場面なんだからね。もっと派手に闘って場を盛り上げてくれなきゃ、あんたたち許さないわよ!」

「はいぃ」「了解ですッ」


 忍術も武術も、私の゛腹からの声゛の威力には敵わない。

 一度身震いをすると、いかにもわざとらしく再びの戦闘態勢に入った彼らが、にらみ合った。でも未だに彼らの神経の集中するところは戦闘にはなく、こちらの言動にあるようだった。耳が、こちらに向かってそばだてられているのが明らかだ。

 私はこれ以上の期待を二人にかけることを諦め、先ほどからずっと『まな板の上の鯉』の状態になっている榊原祐樹に、ゆっくりと目線を戻した。途端に私の口元から漏れてきたのは、小さなため息だった。


 ――まあ、多少の順番の違いは、目をつぶることにするか。


 ここからが、私が『女』を見せるところである。

 私は、両手で榊原祐樹の頬を挟むと、私の目をじっくりと見つめさせるように、その顔の向きを微調整した。


「さて……話を元に戻すわよ。さっきあんたが云ったこと、もう一度私の目を見ながら云ってみなさい」

「け、けけけけ、結婚してください!」

「うん、それよ。その言葉よ。シンプル・イズ・ベスト! 私をその気にさせる言葉――それはまさしく、その言葉なのよ」

「え、そうなんですか? それじゃあ……」

「そう。あなたは――榊原祐樹は、ついに私の心を射止めたってわけ。さあ、ニューヨークでもパリでもウイーンでもベネチアでも、どこでも好きなところに私を連れていきなさい!」


 一瞬の沈黙の後、彼はぼそりと云う。


「えーっと、ですね……。いずれも私の給料と貯蓄では連れていけない場所ばかりなんですが……」

「ごちゃごちゃ、うるさいわね! こういうときは、『わかりました。地球の裏側でも宇宙でも、どこでも真奈美さんの好きなところに連れてきます!』って云っとけばいいのよ。……まあ、いいわ。とにかく今すぐ、この私――世界で一番麗しいお嬢様、黄川田真奈美をここから連れ去りなさいっ!」

「はいぃ」


 戸惑いつつも、ぐいと私の細腕を取った榊原祐樹。

 これぞ最初の共同作業だとばかり、私をぐいぐいと引っ張って走り出した。

 と、その刹那――。

 一連の騒ぎを聞きつけたのだろう。ともにタキシードをばっちり決めたお父様と雛地鶏謙が、血相を変えた様子で、私のいた新婦控室の対面――廊下を挟んで反対側の部屋から姿を現したのだった。


「やや!? 黄川田のお父さん、恋の負け犬たる榊原君が、なぜかあんなところにいますよ。……そうか、真奈美さんを連れて行こうとしてるんだな」

「何だと? こら真奈美、何をしている! まさか、お前たち……。馬鹿なことはやめておけ。今ならまだ間に合う、そこで立ち止まるんだ!」


 その程度の脅し文句で、私たちが立ち止まるわけがない。立ち止まれない。

 二人にあっかんべえをお見舞いして、そのまま赤い絨毯の敷詰まった廊下を走り、出口へと向かう。榊原祐樹は、どうやら忍者との戦闘で体力を消耗していたらしく、次第に足の運びが遅くなってきた。


「祐樹さん、その手を離さないでね。がんばって、私に付いて来るのよ!」

「あ、はい。がんばります……」


 いつの間にやら、私が彼を引き摺っている格好に。

 略奪ドラマの感動シーンとはなにか違うような気もするけど、今はそんな些末なことに執着している暇はない。横で榊原祐樹が「その台詞、僕が云いたかったのに……」と呟いたのも、聞こえなかったことにしておく。


 祐樹さんの優秀な後輩、近藤さんが忍者の香取やお父様たちをうまく食い止めているのだろう。大きな障害もなく長い廊下を駆け抜け、巨大な玄関広間に飛び出したときのことだった。

 涙声も相当に混じっているのだろう。

 ズーズーとした濁声だみごえのお父様の叫びが式場の天井に反響し、辺りに轟いたのである。


「待て。待ってくれ、真奈美! もしも、本当に二人してここから出て行くのであれば、もうお前は私の娘でも何でもない――勘当だ。それでもいいのか? 榊原君もよく考えなさい!」


 勘当という言葉が、ずしりと私の華奢で可憐な胸に突き刺さった。

 自然と、足が止まってしまう。

 すると急ブレーキをかけた形になって、祐樹さんが前のめりにつんのめった。

 しかし、私はひるまなかった。猛然とした勢いで後ろを振り返る。もちろんそれは、私の――いえ、私たちの決心の堅さを示すためだった。

 見れば、30メートルほど先の廊下で、顔を真っ赤にしたお父様が立ちすくんでいるではないか。そのすぐ横で、あたふたするばかりの私の゛元゛結婚相手――雛地鶏謙がいる。


「おお、わかってくれたか、真奈美。戻ってきてくれるんだな」

「馬鹿ね、何を云ってるのよ……。勘当ですって? ええ、それは望むところですわ、お父様。私は愛に生きるの。黄川田家とはこれでおさらばです。さようなら!」

「な、なんだとぉ!?」

「そんなあ! 真奈美さぁん、後生だから私と結婚してくださいよぉ!!」


 とりあえず、雛地鶏の奴の泣き言は無視しておいた。

 しかし、勘当という言葉にびびったのだろう。

 私の手を握る榊原祐樹の手が少し震えているのに気付く。大丈夫、私が付いてる――とばかりに、その手をぎゅっと握り返した。


「勘当なんて、尋常じゃないですよ。真奈美さん、本当にいいのですか?」

「あんたね、なに云ってるのよ。ここから私を連れ出そうとしてるのは、他ならぬアンタでしょお?」

「まあ、そうなんですけど……ね」


 こちらの勢いに少し陰りが見えたのか、お父様が畳みかけてくる。


「確かに、榊原君はなかなか見どころのある男だ。だが如何せん、金がない。生まれてこのかた、お嬢様暮らしの長いお前が庶民の結婚生活に本当に耐えられるとでも思っているのか?」

「大丈夫ですわ、お父様。私、お父様が思うより金銭感覚は庶民的なのですから……。彼のやっすい給料でも、この美貌と知略を生かして働く私の給料と合わせれば、きっと何とかなるはず! だって、百万円ぽっちのヨーロッパ旅行は月1回くらいで我慢するし、5百万円のお値打ちな豪華客船世界一周旅行なんて年に1回でいいし、3千万円ぽっきりの超破格な宇宙旅行には結婚10周年記念に1回でも行ければいいもの! ね、全然大丈夫でしょう?」

「う、嘘だろう? 華々しい生活があんなに大好きだった前が、たったそれだけの禁欲生活に耐えられるなんて……」


 私の衝撃的カミングアウトに、お父様はがっくりと項垂れてしまった。

 まあ、それも仕方ないことだと思う。こう見えて私、実は意外と安上がりな女なのである。お父様、今まで黙っていてごめんなさい。


「……いえ、全然大丈夫じゃないです、真奈美さん。お金が全然足りません……。で、でも、僕が真奈美さんを幸せにする自信だけはあります! 根拠はないけど」


 せっかく感動的なシーンだったのに、それをぶち壊すかのような榊原祐樹のぼそぼそ声が、横から聞こえた。

 自信があるのか無いのか良く分からないコメントは、再び聞こえなかったことにしておこうと思う。

 しかし、それも束の間。

 榊原祐樹が、ショウタイムは終わったとばかりに、力みなぎる声で、こう云ったのだ。


「いつまでも、ここでぐずぐずしてはいられません。急ぎましょう、真奈美さん!」

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