第3話

1986年4月3日凛人に嬉しい出来事が起こる、弟の誕生だ。49センチの2600グラムと凛人よりやや細身だった。2才半になった凛人はだいぶ世の中のこともわかり始め、弟の誕生を喜んだ。凛人の時は、光男が名前をつけたので次は私の番だと奈美子は光男に話をしていた。考えた末、海のように広く穏やかな心を持って欲しいと海斗と名付けた。海斗は凛人と違って良くなく赤ん坊だった。光男「今度の子はえらい元気のよかばいねー元気さを少し凛人に分けて欲しいくらいやね」奈美子「そうやねー、凛人はどちらかちゆうと大人しかもんねー

」。凛人は1歳で保育所に入った為、1番下のクラスのワイン組を2回受けることになった。この頃の野球界のヒーローはセリーグ、シャイアンツの4番原子やパリーグラキオンズの村田などだった。光男は大の野球好きで地元パリーグモークス戦は必ずと言っていいほど見ていた。モークスのピッチャー後藤はスクリューとフォークが得意だった。光男「こげな球が俺も投げてみたかー」。光男は後藤投手の投げる球に魅了されていた。光男「凛人も海斗もまだ小さいから野球は分からんやろなー」。しかし4歳頃になると凛人も光男が見る野球にだいぶ興味を持ち始めた。凛人「パパー、このテレビでやってる奴、野球てゆうっちゃろう?面白そうやねー」。光男「おおー、凛人もだいぶものごとが分かるようになってきたばいねー、そうたいこれは野球てゆうスポーツばい凛人。凛人も後藤君が投げるような球投げてみたかろう?」凛人「うんようわからんけど僕も野球選手みたいな人になりたかー。」光男はその言葉を聞きもしかしたら本当にプロ野球選手にでもなるんじゃないかと一瞬、期待をよぎらせた。その頃からバットを振ったりボールを投げる真似事をするようになっていった。1989年3月凛人5歳にして嬉しい出来事が起こる。大好きなアニメ「ノラ衛門」の映画ノラ衛門のぶ太の日本誕生を家族4人で久留米市の映画館へ見に行ったのだ。凛人は映画館に行くのは初めてだったのでテンションは爆上がりだった。ノラ衛門の内容も5歳になるとだいぶ理解できていた。海斗はまだ2歳だったのでよくわからなかった。奈美子「良か映画やったねー凛人、親に感謝ばい」凛人「ありがとうママ」ノラ衛門は当時凄い人気で4人が座れないくらい賑わっていた。何事にも熱い時代だったのだ。

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プロ野球選手凛人 せいきくん @seikikun

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